オピニオン 日本株式会社は危機に瀕している。

日本経済はこれからどちらの道を進むのか?

2025/09/01 更新: 2025/09/01

論評

数年にわたる景気後退を経て、多くの人々が、日本経済の最近の回復を歓迎しているが、現状はせいぜい「脆弱」といえる。2025年8月時点で、名目GDPと購買力平価ベースで世界第5位の規模を持つ日本経済は、政府介入への過度な依存によって揺らぐ弱々しい回復を示している。GDP成長率は低迷しており、第1四半期は横ばい、第2四半期もわずかな拡大にとどまり、かろうじて景気後退を回避した状態である。

過去の教訓に学ばなければ、日本の経済状況を賢明に乗り越えることはできないだろう。政府の介入は短期的には効果をもたらすが、長期的には経済の活力と成長を阻害してしまう。

この重要性を理解するには、太平洋戦争の壊滅的打撃を受けた後の日本の経済軌跡を振り返る価値がある。1960年代から1980年代後半にかけて、日本は輸出主導型のハイテク産業成長で世界を驚かせた。当時、日本は技術進歩を通じて独自の道を切り拓こうとする国々の模範とみなされ、伝統と近代化のチャンスを巧みに融合させた国として評価された。「日本〇〇株式会社(Japan, Inc.)」は、弛まぬ効率性、規律ある企業文化、そして国家の指導と民間イノベーションがうまくかみ合った姿を象徴するものとなった。

しかし、1980年代の金融緩和政策によって膨らんだ資産バブルは1990年代に崩壊し、デフレや低成長、度重なる財政・金融政策による介入を特徴とする「失われた数十年」を迎えた。それ以降の政策は、低金利、公共事業、特定分野への補助金に大きく依存し、景気後退の深刻化を防いだ局面もあったが、生産性改革を鈍らせる政府依存体質を育んでしまった。

今日の日本が直面する課題は、その長い影を引きずっている。高齢化、構造的な労働力不足、そして持続不可能な財政赤字だ。これは他の先進国が深く、そして不快なほどに熟知している状況である。各国は日本がどのように脱却するか、あるいは失敗するかを注視している。安倍晋三元首相は2010年代に景気刺激策と規制緩和を含む戦略(通称「アベノミクス」)を導入したが、根強い中央計画経済が完全な回復を妨げた。

賃金の伸びと人手不足を追い風に、個人消費が日本経済の回復をけん引している。しかし、根強い物価高によって消費者心理は冷やされている。IMF(国際通貨基金)は2025年の賃金主導の成長加速を評価する一方で、金融環境が引き締まる中で財政余力の再構築を警告し、政府の長期にわたる緩和的な金融政策が市場を歪めていると批判している。

3つの要因が重なり、現在の、日本経済の回復が「例外」に過ぎないように見せているのである。

  • かつて戦後日本の成長モデルの誇りだった輸出は、トランプ2期目政権の象徴となった関税や、ほころびつつある世界貿易関係の危険な組み合わせに制約され、頭打ち状態にある。
  • 企業の設備投資はわずかに増加しているが、それは野心というよりも慎重さの表れにすぎない。
  • 住宅投資は低迷し、公共支出も横ばいの状態が続いている。

こうした減速する回復と制約の強まりの中で、政府が2025年度の成長率見通しを1.2%から0.7%へと引き下げたのは、実質的に「回復に真の推進力が欠けている」と認めたことにほかならない。

自由市場は明確さ、競争、そしてダイナミズムによって繁栄する。しかし、日本の1990年以降の歴史が示しているのは、長引く介入がむしろ慎重さを生むということだ。2022年以降、円が対ドルで50%下落(現在は1ドル=約148円前後)した背景には、意図的な政策の影響が大きい。

日銀は、GDP比230%を超える債務水準(2020年の258%を下回るが依然として高水準)に縛られ、長期金利を抑え込み続けている。その結果、円建て資産はドル資産に比べて魅力を欠いている。この戦略は過去のパターンを想起させる。1990年代のゼロ金利政策が有用性を失った後も長く維持されたように、今の利回り抑制も歪みを固定化し、市場が本来の圧力や機会に自然に反応することを妨げるリスクがある。

輸出企業にとって円安は歓迎材料かもしれないが、歴史は過度な依存を戒めている。1980年代には、貿易黒字が日本経済の非効率性を覆い隠していたが、プラザ合意後の円高でその脆弱さが露呈した。現在は逆の問題が迫っている。円安による輸入インフレが家計や輸入依存型の企業を直撃し、コストは利益幅の縮小によって吸収されるか、消費者に転嫁されるかのどちらかだ。

日銀自身の見通し(2025年は0.6%成長、2026年は0.7%成長、インフレ率は2%程度に収束する)も、過去に景気が刺激策の効果切れで失速を繰り返してきた経験を踏まえ、控えめなものとなっている。OECDも、賃金や設備投資が底堅い一方で、消費者信頼感が物価高によって揺さぶられていると指摘している。河野太郎氏のようなベテラン議員は、利上げや財政再建を組み合わせ、「失われた数十年」に先送りされてきた構造改革を実行し、アベノミクスから大きく転換すべきだと訴えている。 

株式市場は足元で堅調だ。円安と米中間の一部関税緩和を背景に、8月日経平均は過去最高値を更新した(ただし、新たな迂回輸入への関税で既に揺らぎつつある)。しかし、2000年代初頭や2010年代半ばの上昇局面も、構造問題が再燃する中で失速した。労働市場の柔軟性向上、建設規制(特に住宅分野)の緩和、さらには政府のスリム化といった抜本的な改革を進めなければ、同じ轍を踏む危険がある。

数十年にわたる介入政策は日本を崩壊から守ったが、同時に競争力を鈍らせた。公共事業やイールドカーブ・コントロールは時間稼ぎにはなったが、改革なき時間稼ぎは高価な贅沢であり、問題を先送りするだけだ。インフラ投資の重点化や高齢化社会への移行支援といった正当な介入策でさえ、市場開放策と組み合わせなければ持続的な成果にはつながらない。

日本は依然として世界第5位の経済大国である。しかし、その規模は内に潜む脆さを覆い隠しているにすぎない。過去60年の教訓は明確だ。開放と競争に支えられた成長は持続的であり、国家の足場だけに依存した成長は儚い。綱渡りはまだ可能だが、それは政策当局が反射的な介入を控え、市場に重責を委ねる場合に限られる。

ーー経済教育財団(FEE)より

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