ネパールで若者がSNS禁止令と腐敗に大規模抗議 共産党オリ首相が辞任

2025/09/10 更新: 2025/09/10

ネパールで、SNS禁止令と高官の腐敗に反発した若者による大規模な抗議活動が発生している。衝突の末、共産党オリ首相が辞任し、政局は重大な転換点を迎えている。

9月8日、数千人の抗議者がネパールの首都カトマンズ市内でデモを行い、政府によるSNS禁止令に反対した。73歳の首相で、ネパール共産党(統一マルクス・レーニン主義)のカドガ・プラサド・オリ(Khadga Prasad Oli)党首は翌9日辞任を表明した。オリは先週、中国・北京で開かれた中国共産党(中共)の軍事パレードに出席していた。

8日には、抗議者と治安部隊が衝突し、少なくとも19人が死亡、300人以上が負傷した。警察は催涙ガスや放水銃を使用してデモ隊を排除した。議会庁舎周辺を含む一部地域では、夜間外出禁止令を発令し、検問所を設置した。

SNS禁止令が抗議を招く

ネパール政府は先週、Facebook、YouTube、X、WhatsAppなどを含む26のSNSを遮断する決定を下した。この措置は若者の強い反発を呼んだ。

当局は、この措置がフェイクニュースやヘイトスピーチの拡散防止、安全保障の確保に必要だと主張した。一方、多くの国民、とりわけ30歳以下の「Z世代」は、言論の自由やデジタル利用権を侵害するネット検閲の導入だと受け止めた。

世界銀行の統計によれば、2023年時点でネパールのインターネット利用率は56%に達し、数百万人がSNSを利用している。ネパールの国内総生産(GDP)は429億ドルで、SNS関連コンテンツの制作は年間約2480万ドルの収益を生み出している。

禁止令について問われた際、オリは「国家の尊厳と主権は、少数者の経済的利益よりも重要である」と発言した。この言葉は若者たちの怒りをさらに増幅させた。

2025年9月9日、抗議者はカトマンズのシンハ・ドゥルバール宮(ネパール政府の主要行政庁舎)に集結した。前日には、警察が禁止令と汚職に反対するデモを強制的に鎮圧していた(Prabin Ranabhat/AFP via Getty Images)

抗議の激化と腐敗問題

禁止令発令前の数週間、SNS上では「ネポベイビー(縁故による特権を持つ政治家の子供たち)」を追及する運動が広がり、華美な生活ぶりが暴露されたことで国民の不満が高まった。

9月8日、多くの若者がカトマンズで平和的な抗議行動を開始し、汚職追放と禁止令撤回を求めた。しかし、抗議はまもなく暴力的な衝突に発展した。

政府は9日、SNS禁止令の撤回を発表し、全サービスの復旧を確認した。しかし抗議は収まらず、国民の怒りは禁止令を超え、政治エリートの腐敗糾弾へと拡大した。

抗議活動は南部や西部にも拡大した。参加者の多くは1995~2010年にかけて生まれた若者であり、制服姿の学生の姿もあった。人々は「腐敗をなくせ、SNSを止めるな」「若者反腐敗」などのスローガンを声高に唱え、政府の無策や若い世代が経済的機会を得られない現状に不満を訴えた。

大統領が対話を要請

オリの辞任後、ネパール政府首席秘書官と治安当局幹部は共同声明を発表し、各方面に自制を求めるとともに、政治的対話による解決を呼びかけた。ネパール軍も声明を出し、国民保護への決意と民族団結の必要性を強調し、事態の沈静化を訴えた。

ラム・チャンドラ・ポウデル(Ram Chandra Paudel)大統領も抗議者に対話を呼びかけ、「民主国家において市民の要求は対話と交渉によって解決されるべきだ」と述べ、さらなる混乱を避けるよう国民に自制を求めた。

AFP通信によれば、Z世代の抗議者ラクシャ・バム(Rakshya Bam)氏は「オリの辞任は運動の勝利だが、これは始まりにすぎない」と語った。

同日夕方までにデモ隊はオリを含む主要政党指導者の私邸や党事務所を襲撃し、放火した。議会庁舎やシンハ・ドゥルバール宮からは黒煙が上がり、国民情報や公共記録の焼失が懸念された。ネパール最高裁判所や有力紙「カンティプル(Kantipur)」の編集部も放火被害を受けた。

SNS上では、連立政権を構成するネパール会議派のシェール・バハドゥール・デウバ党首(Sher Bahadur Deuba)や、その妻のアルズ・ラナ・デウバ外相(Arzu Rana Deuba)が襲撃を受ける映像、さらに財務相が市民に追い詰められる映像が拡散された。

2025年9月9日、抗議激化を受け、ネパールのオリ首相は辞任を表明した。写真は2024年4月25日、地震発生10周年の記念行事でカトマンズに到着した際のオリ首相(Prakash Mathema/AFP)

オリの経歴

オリはネパール東部の出身で、若い頃から反君主制運動に関わり、計14年間服役した。ネパール共産党の創設者の一人である。

2015年に初めて首相に就任し、2018年に再選。2021年にも一時的に再任された。過去10年、ネパールは繰り返し政権交代を経験してきた。

ネパールは10年以上続いた内戦を経て2008年に王制を廃止し、連邦共和制へ移行した。毛沢東派共産党も政権に参加したが、その後も政局は不安定で、人口約3千万のこのヒマラヤの国はCOVIDによる観光業の打撃など厳しい経済状況に直面している。

2024年7月にオリが政権復帰を果たした際の初の外遊先は、伝統的な優先国であるインドではなく中国を選んだ。彼は民族主義的姿勢を鮮明に打ち出し、中共との関係強化と「一帯一路」構想への協力を主張してきた。

2025年8月末から9月3日にかけて、オリは中国を訪れ、天津で開かれた上海協力機構サミットや北京での軍事パレードに出席した。

オリは腎臓病を患い、臓器移植手術を受けた後も定期的に海外で治療を続けている。

林燕