【分析】なぜ中国共産党はサンフランシスコ平和条約を否定するのか

2025/12/05 更新: 2025/12/05

中国共産党外交部の報道官が数日間にわたり、サンフランシスコ平和条約(1951年)の合法性を否定し、国際法上の効力を持つのはカイロ宣言とポツダム宣言であると強調したことが、国際社会や法学界で議論を呼んでいる。日中間で「台湾有事」をめぐる外交的緊張が高まるなか、事態は新たな局面に入った。

サンフランシスコ平和条約は49か国が署名も 中共は「無効」と主張

先月11月26日、高市早苗首相が、日本はサンフランシスコ平和条約に基づき、台湾に関するすべての権利を放棄しており、台湾の法的地位について「認定する立場にはない」と発言したことに対し、中国共産党(中共)外交部は翌日からこの認識を「誤りだ」と批判を繰り返している。

中共外交部の報道官がサンフランシスコ平和条約を「違法・無効」とする主な論拠は、第二次世界大戦の主要当事国である中国とソ連を排除した形で日本との講和が進められ、1942年に26か国が署名した「連合国共同宣言」に反したという主張である。また報道官は、高市氏が「完全な国際法上の効力を有する」とされるカイロ宣言とポツダム宣言に触れず、サンフランシスコ平和条約のみを強調したと批判している。

ここには、日本および台湾に関係する複数の国際文書が絡むため、個別に整理する必要がある。

まず、連合国共同宣言は短い文書で、加盟国に対し、戦争遂行のため利用可能なすべての資源を投入すること、また敵国と単独で休戦や講和を結ばないことを求めている。

しかし、1951年のサンフランシスコ平和条約は49か国が共同で署名したものであり、特定の1国が単独で日本と講和したわけではない。条約の原文でも、署名国が相互に協力しつつ敵国と条約を結ぶことを規定しているだけで、すべての連合国が同意する必要があるとは記されていない。

ソ連については排除されたわけではなく、実際に会議へ参加していた。しかし当時は冷戦や朝鮮戦争の最中であったことから、ソ連は条約に強く反対し、署名を拒否した。

一方、中国が招待されなかったのは事実である。会議参加国の間では、内戦の結果大陸を支配した中国共産党政権と、台湾に撤退した中華民国のどちらを招くべきかで激しい議論が起きた。当時、主要国の多くが中共政権を承認しておらず、また抗日戦争における中共の貢献は限定的と見なされていた。アジアでアメリカが同盟関係を結んでいたのは中華民国であり、中共が招かれなかったことは当時の情勢からすれば自然な流れといえる。

カイロ宣言とポツダム宣言の意義とは

両宣言を強調しつつ、サンフランシスコ平和条約を否定する議論があるが、これは法律論というより政治的立場の問題である。同じく国際法上の効力を持つ文書だとして、なぜ前二者は正当で後者は不当とされるのか。

実際には、厳密にみればカイロ宣言は1943年の米英中3カ国首脳による戦時下の政治的コミットメントにすぎず、日本に台湾を中華民国へ返還させる方針を示したものの、当時日本はなお戦闘中で、文書そのものに国際法上の拘束力はなかった。

ポツダム宣言も同様で、日本に無条件降伏を求める最終通牒であり、これ自体は国際法ではなく独立した法的効力もない。日本が署名する必要も義務もない文書であり、実際には「降伏文書」に引用された条件の一つにすぎない。

これらを国際法上の法的根拠とみなすのは主に中共だけで、日米欧での主流見解も「ポツダム宣言=直接の国際条約」ではなく、「戦時の政治宣言であり、法的拘束力は主として降伏文書や講和条約を通じて生じる」という理解に近い。

サンフランシスコ平和条約は台湾の帰属には言及せず

台湾の法的地位を定める主要な根拠は、1951年のサンフランシスコ平和条約および、1952年に中華民国と日本が署名した「日華平和条約」である。後者は、中国が講和会議に参加しなかったために補完的に結ばれたものだ。

これらの条約は、日本が台湾・澎湖諸島、南沙諸島、西沙諸島に対するすべての権利・権利名義・請求を放棄すると規定するのみで、台湾の最終的な帰属についてはいかなる判断も示していない。これは、敗戦国は講和条約で自ら領土を第三国に譲渡する「能動的処分」を行えないという国際慣行として一般的な措置であった。

カイロ宣言は署名国による戦時の政治的意図表明、ポツダム宣言は日本に対する最後通牒で、いずれも日本が遵守を義務づけられた国際法ではない。これに対しサンフランシスコ平和条約は戦後国際秩序を定めた最重要の国際条約であり、その第2条「台湾・澎湖に関するすべての権利・権利名義・請求の放棄」が、現在国際法上認められる台湾に関する戦後処理の主要な法的根拠となっている。

中共だけが異例の立場

1951年のサンフランシスコ平和条約は、国際条約としての要件をすべて満たす。52か国が交渉に参加し、49か国が署名。日本は吉田茂首相の下、幣原喜重郎外相が署名し、1952年4月28日に国会で批准。米上院は66対10で批准した。条約は同日発効し、国連憲章第102条に基づき国連に正式登録された。2025年現在も完全に有効な国際条約である。

国際司法裁判所(ICJ)に直接の判例はないものの、戦後処理の法的根拠として同条約が間接的に引用される例は複数ある。Oppenheim’s、Shaw、Brownlie、Crawfordといった国際法学の主要教科書も、サンフランシスコ平和条約を「典型的な多国間平和条約」として取り扱っている。

中共外交部の強硬な言いぶりだけを聞くと日本が国際法に反しているかのように見えるが、実際には、この問題に関して国際社会と異なる立場を採っているのは中共の側である。

サンフランシスコ平和条約は、国際法として100%の効力を持つ。遵守すべきはこの条約であり、カイロ宣言やポツダム宣言ではない。

中共の「国際法軽視」はもはや慣行

近年は国際秩序の擁護者を自任する中共だが、国際法を順守しない姿勢は過去にも繰り返されてきた。習近平は国連総会で「中国は国際秩序の守護者である」と発言したが、実際にはフィリピンが提起した南シナ海仲裁裁判での判決を最初から認めず、自らの非軍事化の約束にも反して島嶼の軍事拠点化を推し進めている。

さらに英中共同声明も、1984年に両国首脳が署名し国連に登録された国際的な文書であるにもかかわらず、中共は2017年以降「歴史文書で現実的意味を持たない」と主張。これに対し、2019年のG7は共同声明で英中共同声明の重要性を改めて確認した。

中共の国際文書への態度は選択的承認であり、多くの国が異議留保を表明する条文を持つとはいえ、主要な国際法そのものを否定する形での拒否は合理性を欠く。

上海での「有名歌手中止騒動」が象徴する姿勢

こうした態度は外交だけにとどまらない。上海では歌手の浜崎あゆみさんと大槻真希さんの公演が相次いで妨害された。浜崎さんは前日に突然中止を通告され、大槻さんは公演中に会場の電源が落とされた。いずれも偶発的措置とは考え難く、心理的・経済的ダメージを最大化するよう周到に準備したものにみえる。

一方、北京や広州では同様の公演が中止されることはなかった。これは中央政府の明確な指示というより、「日本に一定の教訓を与える」といった曖昧な方針が伝えられた結果、地方ごとに対応がばらついた可能性が高い。

今回の上海での公演中止をめぐる騒動で、最大の損害を被ったのは主催者側だといえる。契約上、日本側のアーティストチームには全額の出演料が支払われ、さらに補償金が生じる可能性もある。一方、主催者は損失のすべてを背負い込むことになり、破綻の危機すら指摘されている。経済的損失に加え、名誉面での責任も重くのしかかる。

中共外交部の報道官はすでに「公演中止については主催者に問い合わせるべきだ」と述べており、政治的な判断の結果生じた事態にもかかわらず、その責任を主催者に押しつける格好となった。中共当局自体も今回の件で得るものはなく、むしろ国際社会の前で大きく面目を失ったと言わざるを得ない。

一方、浜崎あゆみさんは1万4千席を前に、無観客で手を抜くことなく最後まで公演をやり遂げたことが称賛を集め、かつて日本の歌姫として名を馳せた彼女の評価は再び高まった。筆者が知るアメリカ在住の華人の多くは、この事件で初めて浜崎さんを知ったといい、その姿勢に深い感銘を受けたと語る。

中共が長年独占してきた「国際文書」の語り方

台湾の帰属や、東シナ海・南シナ海の島嶼問題に関わる国際文書については、長らく中共が事実上の「語り権」を独占してきた。多くの西側諸国が中国に対し宥和政策をとり、中共の解釈を放置してきたためである。

しかしこの10年ほどで、とりわけトランプ政権一期目のアメリカ国務省が中共との言説空間をめぐる攻防に本格的に乗り出した。これまでにアメリカは、中共が主張する「一つの中国原則」ではなく、自らの「一つの中国政策」を採用していることを明確化し、米中の三つのコミュニケと同様に「台湾関係法」および「六つの保証(米台関係に関するアメリカの6つの重要な外交政策の原則)」が重要であると位置づけた。

欧州を含む多くの国会では、国連総会2758号決議が台湾の地位についていかなる立場も示していないことを確認する決議が相次いで可決。チェコは姉妹都市協定への「一つの中国原則」条項の組み込みを拒否した。

国際的な法的文書を広く受け入れる背景には、単なる強大な権力による結果ではなく、内容そのものに一定の合理性を求める。だが中共は、その前提を理解しようとしないのである。

橫河
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