最近、桜の季節に一部の中国人観光客が「桜の木を揺らす」「木に登る」といった迷惑行為を行い、反発が広がっている。一部のSNSやメディアでは、こうした問題を「中国人だから」「中華民族の特性」と一般化する言説も見られる。しかし、この見方は事実を正確に捉えていない。
同じ漢民族である台湾人の社会において、同様のトラブルは体系的に問題化していない事実が示す通り、問題の本質は民族ではなく、中国共産党が長年にわたり形成してきた統治文化、すなわち「党文化」にあり、一部の中国人によって、そうした悲劇が私たちの目の前にトラブルとしてあらわれている。
かつて中国が「礼儀の邦」と呼ばれ、自然との調和や他者への配慮を重んじる文明を持っていた点を踏まえ、現在の行動を「生まれつきの性質」とするのではなく、中国共産党(中共)が長年にわたり形成してきた価値観の影響として捉える必要があるだろう。
本稿では、中国人がなぜこうしたトラブルを引き起こすのか、この「党文化」を詳細に解明している大紀元の社説「共産党についての九つの論評(以後、九評)」の内容に従って明らかにしたい。九評は中共の実質を全面的に論じており、2004年に発表されてから、中共の文化に洗脳されていた多くの中国人の目を目覚めさせた。そうした中国人は中共やその下部組織から脱退し、その人数は現在4億5千万人にも及んでいる。
自然への畏敬の念の欠如 「闘争哲学」による傲慢さ
美しく咲く桜の木を、自分たちの撮影という一時的な娯楽のためにガンガン揺らしたり、登って傷つけたりする行為の根底には、大自然に対する「畏敬の念」の決定的な欠如がある。かつての中国人は「天人合一(自然と人は一体である)」として自然を尊んだが、中共はそれを否定し、自然は征服し、利用し、打ち負かすべき対象であるという「闘争哲学」を人民の骨の髄まで注入した。九評の【第四評】共産党は宇宙に反する「序文」には以下のように述べられている。
「人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」というように中国人は古来、天と人は一つであり、人と天地は融合し、互いに依存し合って生存すると信じ、それを守ってきた。天の道は不変であり、その循環には法則がある。地は天の時に従って、四季がはっきりと分かれ、人は天地を尊びて、恩に感謝し、福を惜しむ。いわゆる「天の時、地の利、人の和」である。中国人の概念の中では、天文、地理、暦法、医学、文学、そして社会構造に至るまで、すべてこの理念に貫かれているのである。 しかし、共産党は、「人は必ず天に打ち勝つ」と宣揚し、「闘争哲学」を持ち、天地自然を見下してきた。毛沢東曰く、「天と戦いてその楽しみは尽きず、地と戦いてその楽しみは尽きず、人と戦いてその楽しみは尽きぬ」。共産党はその中から本当の楽しみを得たかもしれないが、人民はそのために痛ましい代価を支払った。
「自然と闘い、打ち勝つ」という共産党の教育を受けた結果、彼らの目には、桜の木が「大切に愛で、共生すべき自然の恵み」ではなく「自分たちの欲望(SNS映えする写真を撮るなど)を満たすための単なる『道具』や『征服対象』」としてしか映らなくなってしまった。
公共の場における「恥」と「配慮」の喪失 伝統道徳の徹底的破壊
「周囲の人が景色を楽しんでいるのに、自分たちだけが木を独占して台無しにする」という身勝手な振る舞いは、他者への配慮や「恥を知る心(廉恥心)」の麻痺を示している。中共は政権奪取後、「文化大革命」などを通じて、中国人が数千年守ってきた「仁・義・礼・智・信」などの伝統的な道徳規範を「古い封建的迷信(四旧)」として徹底的に破壊した。その結果、社会の調和を保つ内的ブレーキが失われてしまった。九評の【第六評】中国共産党による民族文化の破壊「一(一)源は遠く流れは長いというほどの中華文化」には次のように述べている。
伝統文化の中で「天、道、神、仏、命、縁、仁、義、智、信、廉、恥、忠、孝、節」などを貫いている。おそらく文字を読めない人は多くいたかもしれないが、彼らは伝統的な演劇や評書などの文化形式を通じ、伝統文化から価値観を得ることができた。従って、中国共産党による文化の破壊は、直接に中国人の道徳を破壊し、社会を安定する基礎を破壊したこととなる。
「仁・義・礼・智・信」は中国の儒教の基本徳目であり「仁」は他者への思いやり、「義」は正しさと道理、「礼」は社会秩序を保つ礼儀や規範、「智」は善悪を見極める知恵、「信」は誠実さと信用を意味する。これらは人間関係と社会の調和を支える倫理として重視されてきた。
日本でも江戸期の朱子学や武士道を通じて、「仁・義・礼・智・信」が社会規範や生活倫理として制度化・習慣化され、また明治以降も教育勅語(明治天皇が公布した教育の基本方針となる文書)などを通じて道徳として再編され、現代でも「礼儀」「誠実さ」「空気を読む」といった形でかえって中国よりも残存しているといえる。
伝統文化が息づいていた時代であれば「人様の前で自然を壊し、迷惑をかけることは恥ずかしい(恥)」と自制できたはずだが、中共がこの「廉(清潔さ)」「恥」といった道徳基盤を粉砕してしまったため、彼らは自己の欲望を抑制するブレーキを持っていない。マナーの悪さは民族的な欠陥ではなく、中共の「文化暴力」によって人間らしい道徳基準を根こそぎ奪われた後遺症と言える。
目的のためには手段を選ばない極端な利己主義 「無頼(ならず者)」の社会化
「立入禁止」や「触らないで」といった看板やルールがあっても、自分の利益(良い写真を撮ること)のためなら平気で無視する態度は、中共政権の持つ「無頼(ならず者)」の本質と直結しています。指導層自体が法律やルールを無視して暴政を行う社会で生き抜くため、国民の側にも「自分の欲望が最優先」「他者を顧みず利益を奪い取る」という無頼の論理が蔓延してしまった。九評の【第九評】中国共産党の無頼の本性「七(三)国家の無頼化、中華民族は空前の道徳危機に直面している」には次のように述べている。
「今日に至って、中共はほとんど全ての伝統宗教を弾圧し、伝統的な価値観を破壊し、手段を選ばずに財を掠め取り、手段を選ばず人民を欺き、上の梁が曲がったため下の梁が歪み、社会全体を急速に無頼化している」
「上の梁(指導層)」が法や天理を無視して横暴に振る舞えば、「下の梁(一般大衆)」もまた、手段を選ばず己の利益だけを追求するようになる。桜を傷つける迷惑行為は、中共の統治下で「急速に無頼化」した中国社会の病理が、旅行先である日本の観光地にまで溢れ出した現象といえる「他人の迷惑よりも自分の目的を優先する」という極端な利己主義は、まさに共産党が作り上げた生き残り戦略(党文化)の現れだ。
排他主義を越えて 真の原因を見据える
桜の木を揺らす動画を見て、日本人が違和感や怒りを抱くのは当然のことだ。しかし、その怒りを民族全体への排斥感情(ヘイト)に向けてしまえば、事質を見誤ることになるだろう。
彼ら自身もまた、中共による半世紀以上の暴政と洗脳教育によって、五千年の伝統が育んだ「自然への畏敬」や「正常な倫理観」を奪われた「道徳的・精神的な被害者」だ。私たちが真に非難し、警戒すべき対象は、個人の資質ではなく、人間の心から「恥」や「配慮」を抜き取り、社会全体を無頼化させた「中共の統治システムと党文化」そのものであるという認識を持つことが重要だ。

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