なぜプーチン大統領は択捉島を訪問したのか 終戦81年 北方領土問題の現在

2026/08/15 更新: 2026/08/15

8月15日、日本は81回目の終戦の日を迎える。その2日前の13日、ロシアのプーチン大統領が北方領土の択捉島を訪れた。ロシアの現職大統領が北方四島に足を踏み入れたのは初めてだった。プーチン氏は島の水産加工場などを視察した。

2024年1月にプーチン大統領は北方領土を必ず訪問すると述べており、これまで日本政府は、ロシア側に対し、大統領による北方領土訪問が行われないよう、累次申し入れてきた経緯がある。 

なぜプーチン大統領はあえて択捉島を訪問したのだろうか。

防衛白書への対抗か

米シンクタンクの戦争研究所(ISW)は、今回の訪問について、日本が8月4日に公表した2026年版防衛白書でロシアを主要な脅威と位置付けたことへの対抗である可能性が高いと分析している。

プーチン氏は訪問前日の12日、太平洋艦隊司令官との会談で日本の防衛姿勢を名指しで批判した。択捉島では太平洋艦隊司令官やウクライナ方面で交戦中の部隊の代行司令官とも面会しており、対ウクライナ戦争を継続するロシアが、極東でも軍事的圧力を強める一環との見方を示している。

「断じて許容できない」 日本政府の抗議

高市早苗首相は同日、首相公邸で記者団に「強く抗議をする」と述べた。首相によれば、2024年1月にプーチン氏が北方領土を必ず訪問する旨を述べて以来、日本政府はロシア側に対し、大統領による訪問が行われないよう累次申し入れてきた。

首相は北方領土を「歴史的にも国際法上も我が国固有の領土」とした上で、今回の訪問は「日本国内の対露感情を一層厳しくし、中長期的な関係回復を困難にした」と語った。外務省はノズドリェフ駐日ロシア大使を召致して抗議した。外務大臣談話は北方領土を「我が国が主権を有する島々」と表現し、訪問を「極めて遺憾」としている。

外務省によると、四島が日本領として確定したのは1855年である。日露通好条約は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認した。外務省は、四島はそれ以降、外国の領土となったことがないとしている。

有効期間中の参戦 中立条約と四島占領

日ソ中立条約は1941年4月25日に発効し、1946年4月24日までの5年間、効力を有するものと定められていた。

ソ連が対日参戦したのは、その有効期間内の1945年8月9日である。外務省と内閣官房はいずれも、ソ連は当時有効であった中立条約を無視して、あるいはこれに違反して参戦したと記述している。

日本が降伏の意思を明確に示したのは8月14日のポツダム宣言受諾だが、ソ連軍の攻撃はその後も続いた。千島列島への攻撃開始は8月18日、四島の占領が完了したのは8月28日から9月5日までの間である。内閣官房は、この占領の際に日本軍は抵抗せず、完全に無血で行われたと記している。玉音放送が流れた8月15日の時点で、四島にはなお日本の施政が及んでいた。

1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島に対する権利を放棄した。しかし条約は「千島列島」の地理的範囲を定義しておらず、日本政府は、日本が固有の領土として領有してきた国後島・択捉島はこれに含まれないとの立場を取った。

歯舞群島・色丹島についても、北海道の一部として扱われてきた経緯から同様の立場である。加えて、ソ連は同条約に署名していない。日本側は、この2点を四島の領有権を主張する根拠としている。

共同宣言から交渉打ち切りまで

1956年10月の日ソ共同宣言は戦争状態の終結と国交回復をうたったが、四島の帰属では合意に至らず、平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すと明記するにとどまった。

2018年11月、シンガポールで会談した安倍晋三首相とプーチン氏は、日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることで合意した。だがプーチン氏は同年12月、締結後に北方領土へ米軍が展開する可能性への懸念を示唆し、ロシアは2020年7月、領土の割譲禁止を明記した改正憲法を発効させた。

2022年2月のウクライナ侵攻を受けて日本が制裁に踏み切ると、ロシアは同年3月に平和条約交渉を打ち切り、四島交流と自由訪問を中止した。同年9月には、それらの合意の効力を停止している。

元島民らの墓参や自由訪問は、新型コロナ禍の2020年以降、実施できない状態が続く。高市首相は13日、墓参は人道上の問題であり、話し合いのチャンネルを開けて対応してきたとした上で、「今回非常に残念な状況にある」と述べた。

択捉島の面積は3167平方キロメートルで、四島の中で最大である。現在は約6千人のロシア人が住み、サケ・マスの水揚げで知られる。プーチン氏が13日に視察したのは、その水産加工場だった。

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