【大紀元日本3月22日】先月はじめ、重慶市の副市長であった王立軍がアメリカ総領事館に駆け込んだという「重慶亡命騒ぎ」が起きた。事件の展開とともに、その舞台裏も徐々に明るみになってきた。この連載は事件の裏側を解き明かす、大紀元傘下の中国語月刊誌「新紀元」に掲載された「「王立軍事件大掲秘」の翻訳である。今回はその前書きにあたる。
このたび王立軍が起こした事件は、単に一個人の行動とは言い切れない。これは中国共産党(以下・中共)を知るための一つの標本となり、現代中国社会の全容を現わす縮小とも言える。
人生はあたかもクモの巣のように四方八方に広がっている。王立軍の巣は特別で、中共中央9人の常務委員から下町庶民らの日常生活まで、国内では中国の未来から、国外では米国政府の政策と関連し、まさに森羅万象を網羅する。改革派と左派の争い、陰謀家と政客の戦い、マスコミの虚言と市民の訴える真相、これら全ても、今、王立軍の一連の騒動に焦点を当てている。
中国のことわざに「牽一髮而動全身」というのがある。髪一本を引っ張れば全身が動くという意味だ。引き金を引けば玉が放たれるように、王立軍事件は林彪事件※1と同じように中国に巨大な変化をもたらすだろう。重慶亡命騒ぎはこの髪一本のように、すでに中国及び世界情勢を理解するための肝心な要点と展望台になった。
胡錦濤・温家宝(以下「胡・温」)政権は、権力者であった薄が失脚したため、内部パワーバランスを保つ駆け引きを始めた。つまり、お互いの権力と利益を侵さずに事を運ぶという一種の「暗黙の了解」を通すことだ。この目的のすべては、中共という大きい船を転覆させないようにするためにある。
しかし、薄煕来は自ら「天が与えた我が才能は必ず用いられる」と感じており、重慶へ左遷されたことに反発し、他の権力者にすがった。かえって反感を持たれた薄は慌てて応戦しようとしたが、部下であった王立軍と反目することとなった。
王・薄の争いにより、中共が幾重にも隠してきた闇が暴露された。そこには「唱紅」(共産党の歌を歌うこと)、「打黒」(暴力団撲滅運動)、李荘案※2、あるいは文強事件の闇取引※3にしても、その目的は権力を手にしたい党幹部の私的な行動なのである。党の掲げるスローガンである「人民のために尽くす」こととは全く相反するものだ。
また、王・薄が、「中共が生きている人を殺し、臓器を摘出し、暴利を取り、臓器を移植した」という驚きの「臓器狩り」の黒幕であることも暴露された。地球上今までなかったほどの邪悪さに満ちた事件である。ドイツナチス政権下のヒトラーよりも残酷な蛮行に、米国政府も沈黙を破り、中南海内部闘争に介入している。習近平が米国を訪問した時、王立軍はオバマに中米関係を解決する新しいヒントを与えた。
中共内紛の火は、江沢民にまで燃え移った。江沢民は薄煕来や周永康と違う点がある。彼は自身の死をもってしてでも中共を保護しようとすることだ。なぜなら中共が存在するだけで、台湾面積の110倍に達する領土を売り飛ばすこと、1億人を越える民衆に犯したジェノサイドを隠すことができる。したがって、江沢民は薄煕来を放棄し(尻尾を切る)、ひいては周永康を犠牲(腕を切る)にし、必死に中共を守ろうとする。
薄煕来と周永康が守ろうとするのは自分たちの権力だ。江沢民の存在は2人にとって、その権力に寄り添い、利用し、自分たちの基盤を広げようとする目的に過ぎなかった。現在、習近平を引き摺り下ろそうとする策略が王立軍により暴露された。途方に暮れた時、江沢民は手段を選ばず手を下すに違いない。
しかし現在、情勢はすでに江沢民派が尻尾や腕を切って済むような局面ではない。中共の歴史をさかのぼって見ると、毛沢東が林彪や劉少奇を切り捨て、_deng_小平が胡耀邦と趙紫陽を切り捨てたように「上が下を治めて」、「上層が下層を消滅する」方式で段々に消滅していくと、結局自滅するのは逃れない中共の宿命である。
真相を知った中国民衆が三退(中共関連組織から脱退)することによって、中共が崩壊する中で新しい中国は静かに誕生する。
事件注釈
※1 林彪事件:文革時代、毛沢東を支えた林彪・中国共産党副主席兼国防相が1971年9月、毛主席暗殺計画を企てたが成功せず、逃亡途中にモンゴルで墜落死したという衝撃的な事件。
※2 李荘案:重慶市暴力団主要メンバーを弁護した北京市の李荘弁護士は2010年1月、証拠偽造などの罪で2年6カ月の懲役刑に服す。代理弁護士による証拠調査などが不可能な点から、判決の公正性が問われている。法のプロセスを無視する重慶市「打黒運動」(暴力団撲滅運動)の被害者とも言える。
※3 文強事件:重慶市司法局の元局長。重慶市の巨大黒社会から多額の賄賂を受け取り暴力団の非合法活動に便宜を図ったとして、2010年5月に収賄、反社会組織犯罪、強姦など複数の罪で死刑判決を言い渡され、7月に刑が執行された。同事件は重慶市トップの薄煕来と政治局常務委員会入りを争う広東省トップの汪洋との権力闘争によるものだという見方もある。
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