物々しい雰囲気の中で、北京の軍事パレードが無事に終わった。発信すべきメッセージを明確に伝え、この式典はおおむね成功したと言えよう。
過多な情報の中で、新型兵器や兵力を30万人削減する宣言や、江沢民の顔出しがもっとも注目され、さまざまな解読がある。見物衆として、われわれは主催者から最重要のメッセージを正確に読み取れたのだろうか。
目下、中国の軍事力は対外ではなく、対内のものだ。この点について、習近平は演説で示唆した。軍隊の改革は間もなく展開されるが、贅肉を減らし、軍の近代化を実現すると共に、江沢民勢力を一掃するための一手段だ。
中国の軍隊は国家をまもる公器というより、独裁体制と最高指導者の私物だ。だから、毛沢東、鄧小平、江沢民は軍隊を思う存分に振り回すことができた。前任・胡錦濤の悲劇をかんがみ、とりわけ厳重な現状から、習近平は軍の実権を握らなければならず、これが軍事パレードを行った最大の要因だった。
習近平はこの軍事パレードをもって、軍隊を握ったことを内外に宣言し、江沢民らの長老はただ、この歴史的転換を傍証する立会人にすぎなかった。胡錦濤が2009年に行った軍事パレードの場景と対比すれば、意図は一目瞭然だ。
江沢民の登場は物議をかもしているが、傍証人として顔出しが必要のほかに、次の考量もあったかも知れない。つまり、この手で虚を衝き、あとで完全に捕えようとして、まずわざと放すという計略だ。薄熙来から郭伯雄までのケースで実証されたように、問題人物の顔出しと失脚とは、二律背反ではない。
よそ者にとっては胡散らしいが、天安門楼上の前列に立った大物たちには、言わずもがなのことだ。故に、彼らの表情はさまざまで複雑だったわけだ。
曽慶紅はわざと愛嬌をふりまいたが、かつての自信と覇気が消え、一種の憂えも隠し切れなかった。張高麗も顔に憂愁の影が差し、気もそぞろだった。江沢民は終始こわばった面持ちで、茫然としていた…人心面の如し。彼らの顔には彼らの現状および未来が重なって映っているように見えた。
この軍事パレードは一つの転換点だ。今後、中国は予期しないことが続々と起きるだろう。国際社会として、共産党の権力闘争という因循的な観点を超越し、激闘・激変の背後にある真の原因をつかみ、適宜に対応するのが知的だ。
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