スターリンの作為による大飢饉「ホロドモール」
ウクライナの国旗は、目にも鮮やかな青と明るい黄色が上下に配置されたシンプルなデザインになっている。広がる青空と豊かに実った麦の大地を表しているそうだ。
ウクライナは農業大国である。その国土は肥沃で、欧州でも有数の穀倉地帯であるとともに、小麦をはじめとする農産物は輸出用としても同国の主力産品となっている。
そのウクライナが旧ソ連に属していたころ、具体的には1932年から1933年(あるいは34年)とされるが、未曽有の大飢饉が襲う。ウクライナでホロドモールと呼ばれるこの災害は、多分に人災の側面がつよいため「スターリンの作為による大飢饉」とも言われている。
被害の中心となったウクライナばかりでなく、北コーカサス、ヴォルガ地域、カザフスタン、南ウラル、西シベリアの各地域でも餓死者が大量に発生した。死亡者の総数はつかみにくいが、千数百万人ともみられる。
当時、ソ連ではコルホーズ(集団農場)における農業生産が行われていた。外貨獲得のため国民を飢えさせても穀物を輸出する「飢餓輸出」が進められるとともに、富農撲滅運動の名目による反革命分子の粛清(つまり殺害)が続き、多数の犠牲者が生じていた。
当然のことだが、こうした労働の集団化は、いかに思想的なテコ入れをしても人々の意欲は維持できず、必ず生産性の低下を招く。理由は簡単で、人間とはそういうものだからである。
毛沢東の大躍進運動による惨劇
ウクライナのホロドモールから25年後、中国全土において、中世ヨーロッパのペスト禍にも匹敵するような、阿鼻叫喚の惨劇が起きる。
1958年5月、中国共産党八全大会第2回会議で「社会主義建設の総路線」「大躍進」「人民公社」の3つのスローガンが打ち出された。この3つを、彼らの言葉で美的に称すれば「三面紅旗(3枚の赤旗)」になる。こうしていわゆる毛沢東の大躍進運動が始まり、鉄鋼と農産物の大増産を目指すこととなった。
なにしろ毛沢東の命令であるから、やらねばならないし、できなくても「できたこと」にしなければならない。結果、大幅に水増しした「生産量」の報告書が、各地の人民公社から毛のもとへ届いた。
毛沢東は、「これだけできるなら、もっと増産できるだろう」と無慈悲な要求を返す。さらに水増しした報告書が中央へ送られる。日本にも雑誌『人民中国』などで伝えられた「子供が乗っても倒れない穀物」のフェイク写真は、そうした鉛のような空気のなかで生まれたに違いない。ただ、当時の日本人は、こうした中共の対外宣伝に結構だまされていた。
そうして農地は荒れ、生産力が急激に低下した中国は、ついに必然的結果として飢餓地獄となった。中国共産党は「3年続きの自然災害」だと今でも言っているが、実態は、毛沢東の無謀な政策が招いた人災である。
農民にとって大切な農具を溶かして、役にも立たない粗悪な鉄をつくった。稲の穂を食害するからといって皆でスズメを捕獲したが、そのため害虫が大量に発生した。「苗を密集させて植えれば収穫量が上がる」というから、やってみたら全く逆効果だった。しかし、その明確な事実を口にすることはできない。「反革命分子」にされて、殺されるからである。
1959年から61年ごろの3年間に、被害の全容はまだ分からないが、農村部を中心に4千万人とも言われる人々が餓死したという。ほかに、7千万を超えるという説もある。
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