中国農業大学の「人文・発展学院」において6月21日に行われた卒業式で、院長・葉敬忠氏が、卒業生に向けて注目されるスピーチを行った。
スピーチの題名は「権力に包囲される中にあっても、真善美の光を灯し続けよ(在權力的包圍中不要熄滅真善美的光)」である。
「魂のスピーチ」を慌てて削除する当局
葉氏は、そのスピーチの中で「理不尽な権力の壁に取り囲まれる現代社会にあっても、皆さんには、人間として忘れてはならない大切なものがある」と説いた。
それはまさに(おそらく自身の発言が検閲の対象になることも覚悟した上での)葉敬忠氏による渾身の「権力批判」スピーチであった。
葉氏のスピーチは、全てが「権力」によって取り回されている今の中国社会で散見される、各種の「めちゃくちゃな現象(乱象)」を挙げ、これを暗に皮肉る内容も盛り込まれた、まことに的確で、メッセージ性の高い内容になっている。このスピーチは学外でも注目を集め、多くの大手プラットフォームが相次いでネットに転載した。
ところが後になって当局による検閲が入り、ネット上に紹介された葉氏のスピーチが次々と削除されたのである。
「真善美の光を、消してはならない」
そこで、中国当局をこれほど「敏感」にさせた葉氏のスピーチはどのようなものだったのか、その一部を以下に要約して紹介する。
「戦争災害、殺戮、いじめ、ネット暴力など。さらには偏狭なナショナリズムを扇動する著名学者、娯楽的なスキャンダルに傾倒する主流メディア、公共部門におけるデータ捏造など、いくらでもある。皆さんは大学を卒業して社会に出ると、そのような権力というものの存在を、すぐに感じることだろう」
「権力には、確かに魅力があるし、大きな支配力もある。しかし皆さんは、こうした権力の包囲網の中にあっても決して流されず、醒めた感覚を保持してほしい」
「私は、次のことを心配する。皆さんが権力に包囲されたとき、郷に入らば俗に従え(入郷随俗)になってしまうことだ」
「皆さんが権力という壁に直面した時、なにも卵を壁にぶつけるように、固くて高い壁に体当たりすることを要求しているのではない。私が皆さんに望むのは、その弱い(卵の)殻のなかにある、真善美の魂を保ち続けてほしいということだけだ」
「魂の奥深くにある、その真善美の光を消さないでほしい。そして、その光に向かって思いのままに走る勇気を持ち続けてほしい。そこで、たとえ転んでしまっても、微笑みの表情を保ってほしいのだ」
「皆さんがそのように走っていくことが、多くの人たちに平等や自由、そして尊厳をもたらすかもしれない。虚偽が真実を曇らせてはならない。悪が善に取って代わってはならない。醜悪さが美を抑圧してはならないからだ!」(要約、以上)
このスピーチへの検閲をめぐり、ネット上には「これほど素朴な、人間として大切なことを学生に教えるスピーチであっても、削除される運命から逃れられないなんて。この社会はもう終わっている」といった嘆きの声が広がっている。
4年前には絶賛したが、今年はなぜ削除?
皮肉なことに、4年前の2019年06月28日、中共の機関紙であり中国官製メディアの筆頭である「人民日報」は、葉敬忠院長のスピーチを「今年最も称賛を集めている卒業式スピーチ」として絶賛し、全文を掲載した。
内容は「弱者の視点から物事を考えるようにしよう」という、まことにヒューマニズムあふれる見事なスピーチである。その文章は、中共メディア「人民網(人民ネット)」の日本語版でも発表されている。
そのなかで葉氏は、いま中国で実際に起きている全ての社会問題の根本原因について、中国社会に「戻気(リーチー、邪気)」が充満したことで「人々が、弱者の視点から思考していないからだ」と、核心を突く指摘をしている。
それが中国共産党のメディアで称賛されたことは「一種の珍事」であるが、この場合、中共の装飾に利用されたとしても、それは葉敬忠氏の責任ではない。
むしろ、核心を突いた指摘であるからこそ、中共は「それを持ち上げ、高評価せざるを得なかった」というのが本音であろう。
葉敬忠氏は、もちろん中共という巨大な権力組織のなかの人物である。ただ葉氏は、誠実な社会学者として中国の農村研究に長年たずさわってきたという、もう一つの面をもっていたのだ。
つまり、葉氏が大切にするべきだと説いた「弱者の視点からの思考」は、自身が培ってきた中国農村への深い理解と無関係ではない。
葉氏が学長として卒業する若者に向けた熱いメッセージのなかには、そうした同氏の曇りのない人間性が、まことに色よく、新鮮ににじみ出ているのであろう。
言うまでもないが、中国社会に戻気(邪気)を充満させた元凶は、中国共産党そのものである。
中共が中国社会に散布した邪気はまことに悪質で、人気のあるものに対しては病的なほど嫉妬し、真実を語るものには、これを敵視して消そうとする。
その典型が今回の事例であると言ってよい。中共の検閲の真意は、そこにある。
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