パレスチナを支持する学生らによる大学内でのデモ活動を特徴づけるのは、キャンプの設営だ。そこで学生たちは急進的な講演を聞いたり、大学側に要求を提示したり、最新のスローガンを練習したりできる。
野営地には反抗的な兆候と危険な雰囲気が広がり、未熟な学生たちを陶酔させる。そして急進派を、ユダヤ帝国主義やその他の悪とされるものに対する戦いの中心へと引き寄せる。
野営を組織する者の立場からすれば、仮に生徒の中から逮捕者が現れ退学処分を受けたなら、もうけものだ。退学処分を受けた生徒は高い確率で過去の人生と決別し、急進的な政治と政治的な暴力という新しい世界にいざなわれる。かつてナチスがヒトラー・ユーゲントを組織した際も、この仕組みを利用した。しかし、学生らがなにをしようと、大学側は野営地をそのままにはしておけない。
そこで、大学側がいかにしてこれらの過激派キャンプを解体するかが重要となる。
テキサスをはじめとする保守的な地域では、大学側と州当局は何のためらいもなく警察を派遣し、野営を解体するだろう。
一方、ニューヨークやロサンゼルスなどの進歩主義的な特色のある地域では、野営は大学と地域のサポートによって守られる。その場合、干渉しないのがベストだ。体制側から関心が払われなければ、野営はその面白さと意義を失い、次第に萎んでいく。メディアも関心を失い、学生は散り始める。
すると、デモの強硬派はさらに大きな賭けに出て、コミュニティの共感を失うリスクを犯してでもいっそう挑発的な態度を取ろうとする。そうなれば、法秩序という大義の勝利だ。これはニューヨークなど極めて民主党寄りの都市で起こりうるもので、当局がある程度忍耐できれば、最終的に警察を呼んで活動家を排除できる。
この戦略はかつて、シカゴ大学長だったエドワード・レヴィ氏の名前にちなんで「レヴィ・プラン」と呼ばれた。1968年、反戦活動家らがシカゴ大学の管理棟を占拠した(当時学部生だった筆者は暴動を直接目にした)。
暴動に対する共感の醸成を防ぐために、当時のレヴィ学長は警察を呼ぶのではなく、建物を孤立させて学生過激派を無視した。数週間後、学生らは再び主導権を握ろうと建物に対して系統的な略奪、破壊行為を仕掛けた。それを境に活動家は大学コミュニティの支持を失い、そのタイミングでレヴィ学長は彼らを建物から排除、退学処分とした。
コロンビア大学のネマト・シャフィク学長はこの方法を受け継いだ。パレスチナ支持を掲げる学内野営デモに対して、シャフィク学長は待った。やがて、活動家がハミルトン・ホールを占拠し、職員を人質にした(多くの良識ある人々の反感を買った)タイミングで警察を呼び、占拠者を逮捕させた。人々は、数週間為す術もないように見えた学長を非難したが、シャフィク学長は政治的に難しい状況において思慮深さと忍耐強さを表したのだ。
アメリカ人の多くが、デモ活動はいつまで続くのかと尋ねてくるが、デモは終わることはない。イスラエルが地図上から消え去れば満足する活動家もいるだろうが、それ以外の者やデモを支援する人にとって、イスラエルは単なる口実でしかない。彼らは、アメリカは打倒しなければならない大魔王サタンで、イスラエルはサタンの子だと主張するイランと同じ立場をとっている。
長い戦いとなるだろう。卒業式シーズンを控え、シカゴで開催予定の民主党全国大会が迫るなか、長く、血生臭い春と夏になる。
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