中国共産党による25年にわたる法輪功迫害が子供に残した負の遺産 (2)

2024/08/08 更新: 2024/08/14

連座被害

迫害当時17歳だった本(Ben、仮名)さんは、「一体何が起こったのか」「理解できなかった」と当時を振り返る。

友人や家族は次々と彼の家を訪れ、本さんと父に対し法輪功修煉をやめるか少なくとも秘密にするよう説得しようとした。文化大革命の頃、家族の中の1人でも党に対する反逆者のレッテルを貼られれば、家族全員が標的となったからだ。

「あんたのいとこたちは数年で高校と大学に進学する。法輪功はもう続けるな。あの子達が迫害されてしまう」と本さんは叔父たちに言われたという。

複数の法輪功学習者が、中国共産党は集団的犯罪、あるいは連座制度を適用して拷問を行なっていたと証言している。1人が犯したいわゆる政治犯罪を理由に、その家族、友人、同僚、さらには職場や学校まで迫害の対象になるというものだ。

信仰を放棄しろという当局からの命令に抵抗するのと、心から心配する親戚や友人からの懇願を拒むことは、まったく似て非なるものだった。

2000年、本さんの父は北京に行って訴えを起こしたが、逮捕されてしまった。その後の10年、本さんが父に会えたのは合計で数か月ほどしかなく、父は収容施設を点々とした。

2024年4月21日、ニューヨーク市のフラッシング地区で、中国共産党の人権侵害を暴露するブースの前のディスプレイボードを見ている男性(Chung I Ho/The Epoch Times)

本さんは大学進学を諦め、高校卒業後は生活のために飲食店でウェイターとして働いた。その後もマクドナルドやバーガーキングといったファストフード店で糊口を凌いだ(やっと食べて生きてゆく)。

本さんを助けようとする者はいなかった。アルバイト先の店長でさえ当局からの嫌がらせを繰り返し受けていた。

「店長、家族、同級生、友人、皆から圧力を受けていた」

そのために、「精神状態が悪化し、長い間、人に話しかけられない時期もあった」という。

本さんはうつ病に苦しみ、激しい恐怖と絶望に苛まれた。

4年の投獄を経た2009年に本さんの父が釈放されると、父は本さんにその信仰を大事にするよう励ました。その後、本さんの精神状態は徐々に改善し、キャリア形成プログラムに参加してプログラミングを身につけた。

父親が拷問を受けたのは明らかだったが、それについて聞いても父は答えようとしなかったという。

「(拷問について)何度かたずねたけれど、父は『いや、言いたくない。あれは酷かった。もう思い出したくない』と言った」

父は、むち打ちや「トラの椅子(細い長椅子の上に何日も座り続ける拷問。極度の痛みと臀部への損傷を伴う)」については話したことがあった。

2012年、本さんは父とともにアメリカへ逃れた。

人間の本性の発露

2001年、当時高校生だった于さんは10人部屋の学生寮で同級生と一緒に生活していた。2段ベッドの上で寝る于さんは法輪功の資料をマットレスの下に隠していたが、それらは下の段からも見えていた。

「于ちゃん、それどこか別の場所に置いてよ。毎回見上げるたびに不安になるから」と、2段ベッドの下で寝る幼馴染の友人に言われた。

部屋にいる他の同級生が偶然その話を聞いていた。于さんは「政府が言っていることを信じないで」と言い、母親の友達が何度も北京へ訴訟に行って逮捕され、12年の懲役が下された話をした。于さんの目からは涙が溢れていた。

同級生の反応はまったく冷淡なものだった。さらにうちの1人が、「なんで泣いてるの? 家族でもないのに」と嘲った。

 于さんはそれ以降、迫害の話をしなくなり、めったに笑わなくなった。

4年後、医学部に進んだ于さんは学校の英語のクラスで「ヒーロー」をテーマにスピーチをするチャンスがあった。

法輪功学習者は、北京での法輪功に対する中国共産党の迫害キャンペーンに抗議しながら、警察に拘束されている (Falun Dafa Information Center)

発表が回ってきた于さんは立ち上がり、家族の友人が投獄されていることについてスピーチした。

「彼女は私のヒーローです。信仰という正義のために立ち上がったのですから」

クラスは静まり返った。先生も沈黙していた。結局、クラスの共青団(中国共産主義青年団)代表が立ち上がりプロパガンダを流暢に喋り出した。

授業後、于さんは不安になった。正しいことをしたという感覚はあったが、それから起こることは予想がつかなかった。親友は自分を味方してくれるだろうと願っていたが、彼らさえも于さんに声をかけることはなかった。

学生寮への帰り道、于さんは精神的に傷つき、孤独感に襲われた。部屋のドアを開けるとそこにはたった1人、学生寮の寮長である女の子がいた。彼女は周りを顧みずに頻繁に夜更かしをし、マナーが悪く、わがままで思いやりのない人柄だったため、于さんは彼女と同じ空間にいることを好まなかった。

するとその女の子は于さんに向かって「于さん! もしこのスピーチを理由に逮捕されたら、私が助けに行くよ!」と叫んだのだ。

于さんの心は溶けていくようだった。彼女の顔には笑顔が浮かんでいた。

「中国で法輪功の話をすると、人々の本当の性質が現れてくるのです」

「三退」運動

迫害が始まった当初、法輪功学習者の多くは、真相を伝えれば中国共産党は態度を変えてくれるだろうという希望を抱いていた。一年また一年と、迫害はすぐに終わると信じ続けた。

2004年の11月、エポックタイムズの社説シリーズ『共産党についての九つの論評(以下、九評)』の出版が大きな転換点となる。中国共産党の歴史、残虐さ、手口に対する詳細かつ真摯な分析が、中共が変わるだろうという期待を粉々に打ち砕いた。

九評が指摘するように、中共は主として社会のある勢力に「根絶すべき敵」というレッテルを貼ることで権力を維持してきた。

莉維亜さんは初めて九評を読んだ際、「とてつもない衝撃を受けた」。なぜ中国共産党が全く脅威でない無実の人々を迫害するのかをついに知ったのである。

それ以来、法輪功学習者の間では、中国共産党体制が崩壊する以外に迫害が終わる道はないという感覚が生まれた。

「それまで私たち学習者は共産党の指導部が法輪功を受け入れてくれるよう説得を試みていた。自分たちが持つ同情心と優しさをもって中共指導部の考え方を変えようとしていた。請願書や手紙を書き、真相を伝えようとした」

法輪功学習者は、2024年4月21日、ニューヨーク市クイーンズのフラッシング地区で、中国への信仰に対する迫害の終結を求める集会(Larry Dye/The Epoch Times)

しかし、「九評が出版された後は、それらの方法を捨て去った。中国共産党が変わって迫害が終わる、という希望を捨てたのだ」と莉維亜さんは述べた。

九評をきっかけに「三退」運動が巻き起こる。「三退」運動とは、中国共産党、中国共産主義青年団(共青団)、そして中国少年先鋒隊(少先隊)を脱退することを意味する。中国共産党の党員数は1億人ほどだが、ほとんどすべての中国人がどこかのタイミングでその関連組織に加入する。

そこで、正式に党を脱退し、共産党と共産党が犯した罪業からの精神的な離脱を宣言するのである。 

法輪功学習者は中国で「三退」運動を推進し、人々から集めた「三退」声明を脱党支援NPO「グローバル脱党サービスセンター」へと提出してきた。現在、「三退」人数は4億3千万を突破している。

多くの法輪功学習者が、九評の広がりによって人々の法輪功に対する態度が転換したことを感じている。

艾米さんは、中国共産党のプロパガンダを完全に信じ込んでいた人々でさえ、九評を読んだ後にはその真相に驚愕していたと語る。

「中共に洗脳された頑固な人々でさえ、(九評に)反論することができなかった」

九評は、中国共産党がなくなれば中国もなくなると思い込まされていた人々に明確な答えを与えた。

「中国では、人々は中国共産党と中国人を区別するのにとても苦労した」と、迫害開始当時8歳だったマイクさんは語る。

九評社説シリーズは人々に衝撃を与え、中国共産党と中国は一緒ではないと人々が明確に認識する機会を与えた。

臓器狩り

2006年、エポックタイムズは複数の密告者の証言から、中国共産党が法輪功学習者に対して強制臓器収奪(臓器狩り)を行っていると暴露した。摘出された臓器は営利目的で売買され、臓器狩りに関する証拠が瞬く間に増加した。

2000年を境に、中国の臓器移植は急激に活発化する。臓器提供数は著しく増加し、多くの病院が新病棟を増設したほか、移植手術専門病院が全国各地に現れはじめた。

数年前には数件にとどまっていた臓器移植件数が、年間で数百件を超えるようになったと自慢げに宣伝する病院もあった。ところが、臓器提供システムは全く整っていない状態だった。公式に発表された死刑囚全員がドナーとなっても、合計移植件数には到底及ばない。中国での死刑執行件数が突然急増したという兆候もない。

最も顕著なのは、わずか1〜2週間という短い待機期間で臓器移植が可能だと病院が宣伝していることだった。患者が臓器を待つのではなく、臓器が患者を求めていたのだ。

その後、複数の独立調査が次のような結論を下した。中国の臓器移植システムが機能するためには、特に摘出された臓器の虚血許容時間(血流再開までに許される時間)が極端に短いことを考慮した場合、臓器の必要に応じて殺される人々が存在しなければならない、ということだった。

臓器移植を必要とする患者になりすました調査員が病院に電話をかけ、特に「法輪功学習者」の提供する臓器を求めたところ、そのような種類の臓器提供は可能だと認める言質(げんち・あとで証拠となる言葉)を取ることに成功した。

これを聞いた者は、恐怖感と嫌悪感に襲われた。

本さんは「何日も食べ物が喉を通らなかった」「そのようなことが何年も行われていたなんて嘘のようだった」と話した。

当時全寮制の学校に通っていた梅梅さんは、そのニュースを聞いて心配で仕方がなかったという。

「私は恐怖に震え、母親がすごく心配になった。特に、毎回電話をかけても母親は電話に出ないから」

2000年の初め、反法輪功活動の熱心な遂行者だった薄熙来が管轄していた遼寧省の北東部では、臓器狩りが特に広い範囲で行われた。

「大きな衝撃だった」と菲比さんは語る。迫害が始まった頃、菲比さんは遼寧省第2の都市・大連の高校を卒業したばかりだった。

弁護士の父と検察官の母を持つ菲比さんは、一般庶民と比べて相対的に良い暮らしを送っていた。
 

フィービーさんと母親は1995年から法輪功を修行している。中国共産党による法輪功迫害運動が始まったとき、彼女は高校生だった(Petr Svab/The Epoch Times)

「私は政府に対して常に良い印象を持っていた」

菲比さんは母と共に1995年から法輪功の修煉を始めていた。中国共産党が法輪功を攻撃し始めたとき、菲比さんは何かの悪い冗談に違いないと思った。

「政府が人々にこのようなことをするとは思いもよらなかった」

「思想の自由すらなく、良いものを信じることもできないなんて……私はその時、中国共産党の邪悪さをはっきりと認識した」

菲比さんの母親はその職業柄と職歴から、当局の追跡を受けることはなかった。最終的に、母親が思いつく限りの司法機関、法執行機関宛てに法輪功を擁護する請願書を届けると決心すると、事態が一変する。

1999年12月、母は菲比さんを連れて北京へ訴訟を起こしに行った。天安門広場の保安検査場へやってくると、警察は2人の荷物から請願書と法輪功の本を発見し、その場で2人を拘束した。その後、2人は数日間勾留された。

母親は検察官の職を失い、それ以降、当局の監視下に置かれるようになった。警察は定期的に彼女らの家にやってきて母親を何度も拘束した。最終的に母親は馬三家労働収容所での3年の懲役を下されるが、1年後、目の手術を受けるために釈放された。収容所は元検察官を虐待することにためらいがあったらしい。

2006年に菲比さん一家が法輪功学習者に対する臓器狩りを知ったとき、彼らの住む遼寧省がそれに深く関与している可能性を聞いて大きく動揺した。
 

法輪功の女性学習者を拷問することで悪名高い中国遼寧省瀋陽市にある馬三家女子労働教養所(Minghui.org)

菲比さんは、「本当に気分が悪くなった」「もし海外に出るチャンスがあるなら、この悪魔を人々に知らしめようと決心した」という。

しかし、菲比さんのパスポート申請は数年前に拒否されていた。おそらく、ブラックリストに載っていたのだろう。

けれども神の加護か、幸運なことに彼女がパスポートを再申請した際にパスポート発行システムが新しいものへと切り替わっていた。当局が保有する菲比さんの個人データがエラーを起こしていたのである。

データが誤りだらけのため、菲比さんは地元の交番で承諾書を取得するよう言われた。すると、驚くべきことに彼女の住所を管轄する部署が別の交番へと移動しており、そこでは彼女と面識のある警察官は1人もいなかった。菲比さんは承諾書を取得してパスポート申請に成功し、2006年に渡米した。

2008年、菲比さんはエポックタイムズに入社し、現在はデジタルマーケティング部門で勤務している。菲比さんは、中国での人権侵害を報道するメディアで働くことで、法輪功迫害の暴露に貢献できていると語った。

両親の失踪

2000年生まれの芙洛拉(Flora、仮名)さんて、彼女の人生は常に迫害と隣り合わせだった。芙洛拉さんの父親は1999年に北京で請願をした際に拘束され、彼女が生まれたときにはすでに労働収容所に投獄されていた。

芙洛拉さんは物心がついた頃からすでに法輪功学習者が修煉を理由に拘束されている話を耳にしていた。祖父母からは、学校では自分の信仰について話さないように言われた。母親はいつも着脱可能なバッテリーを備えた古い携帯を使い、当局による監視を最小限に抑えた。家族の住む部屋のドアには、信頼できる人しか知らない秘密のドアベルがついていた。

「監獄の中に生まれたようだった」と、芙洛拉さんは語る。彼女は自分の発言や話す相手に常に気をつけていた。

2007年、翌年開催の北京五輪に先立って逮捕キャンペーンが始まり、芙洛拉さんの両親2人も拘束された。

芙洛拉さんは宿題をし、母親が夕食の準備をしていたその時だった。誰かがドアを強くノックし、母親がドアを開けると10人ほどの当局者が部屋に流れ込んだ。その大部分は警察で、職を失う前の母親がかつて講義をしていた大学の職員も混ざっていた。

警察は手錠すら持たず、芙洛拉さんの母の手をベルトで縛った。当局者は家を荒らし周り、法輪功に関わる資料を発見するとそれらを全て録画した上で没収した。その間、1人の女性職員が芙洛拉さんの注意を逸らしにやってきて、怯える少女には目の前で起きていることがわからないだろうという態度で宿題についてたずねて来た。

フローラさんは法輪功学習者で、中国での幼少期に両親が何度も逮捕された(Daksha Devnani/The Epoch Times)

「ショックで泣きはしなかったが、自分の両足がずっと震えていたのは覚えている」と芙洛拉さんは語る。

警察は芙洛拉さんを車に乗せ、同じ市内に住む祖父母の家へ送った。移動中、芙洛拉さんは母が逮捕された理由についてたずねた。

「彼らには明確な答えがない様子だった」。するとうちの1人が、「あなたの母親は法輪功をやっているから逮捕されたんだ」と言った。

芙洛拉さんが「それは逮捕する理由にはならない」と反論すると、会話はそこで終わり、沈黙が続いた。

芙洛拉さんの父はその時すでに自身が経営していた小さな店で逮捕されていた。父は19か月、母は4か月で釈放された。

2012年のある日、芙洛拉さんが昼休みに学校から帰宅すると、両親が再びいなくなっていた。家にいた叔母は事情を取り繕ったが、芙洛拉さんには何が起きたのかがわかっていた。

警察は両親が2人とも家にいる時にやってきた。母親は玄関で拘束されたが、父は2つ目の扉の鍵を閉めることに成功し、そのまま4階の窓から室外機をつたって隣の部屋の窓へと渡った。幸運にも窓が空いていたため、隣の部屋に逃げ込んだ。

幸いにも隣の住人は父を通報することはなく、その後、芙洛拉さんの父は家を出て姿を消した。父が再び家に帰ることはなく、2014年に父は海外へ逃れた。

芙洛拉さんは高校卒業後にアメリカ留学を決定。大学卒業後、エポックタイムズの姉妹メディアである新唐人テレビに就職した。

芙洛拉さんは、自身が受けた迫害の経験がメディアで働く動機になったという。

「いつもいつも、自分がリポーターとなって弱い立場にいる人々の声となりたい、そう思っていた」

監視国家

当局によるプロパガンダに対抗する絶え間ない努力によって、法輪功に対する世間の態度は変わりつつあった。依然として無関心を保つ人が多い一方で、世の中の雰囲気は無知や敵意から同情へと変化していた。

莉維亜さんは高校時代、何人かの同級生に法輪功の真相を伝えることに成功していた。そして、政治教育科目の先生が反法輪功プロパガンダに触れると、真相を知った同級生たちは声を上げて反論した。莉維亜さんもすぐさま一緒になり、クラス全体に法輪功の真相を伝えた。

「先生はびっくりしていた」「先生は、教室でこの話をするのは禁止されていると言っただけだった」

先生は、「中国共産党に統治されている私たちが政府に反抗することは間違いだ」と主張した。

その当時、見知らぬ人に法輪功のことを話すと警察に通報される危険があった。さん

当時6歳だった米婭(Mia、仮名)さんは、彼女の父が誰かに法輪功のことを提起するたびに、それを怖がっていたと回想する。

「ただただ怖く、聞くに耐えなかった」「相手の反応を見るのが怖かった」

今、法輪功学習者をわざわざ警察に通報する人はほとんどいないという。

2020年、新型コロナウイルス感染拡大防止のために厳しいロックダウンが行われると、人々は中国共産党の本性に気付き始める。

かつての同級生がマイクさんに連絡してこう言った。「昔、君が我々に中国共産党から抜けるよう言ったときは頭がおかしいと思っていた。けれど、新型コロナで多くの人が亡くなり、ロックダウンで家に閉じ込められるのを経験してやっと君の言っていた意味がわかった」

しかし、環境が改善した面がある一方で、悪化した面もある。

粗野だった電子監視システムがここ四半世紀の間に著しく成長しているのだ。近隣住民の目が担っていた監視体制は、オートフォーカス機能を備えた監視カメラや顔面認識アルゴリズムに取って代わられている。

法輪功学習者は徐々に、携帯をスパイ、道の監視カメラを警察として見なすようになった。現在、法輪功に関する活動を電子機器上で話し合うことはない、とマイクさんは指摘する。

取材では、法輪功の活動を当局に知られないための方法にも言及があったが、安全を鑑みて方法の詳細については伏せることにした。

圧力にさらされる生活スタイルは精神を蝕む。米国へ逃れた後も心の奥底にある恐怖感と戦わなければならず、誰かが急にドアをノックしたりパトカーが自分に近づいてきたりすると、彼らは恐怖と緊張に襲われる。

「私は逮捕も投獄もされたことはない」が、「迫害は中国国民全員に深いダメージを与えた」とサムさんは語る。「特に、小さい子供と10代の若者たちが1番の被害者だ」

迫害の残した負の遺産は計り知れない。

(完)

Petr Svab
ニューヨーク担当記者。以前は政治、経済、教育、法執行機関など国内のトピックを担当。
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