2025年7月21日、バングラデシュの首都ダッカにおいて、中国製F-7 BGI戦闘機が訓練飛行中に機械故障を起こし、人口の集中するマイルストーン(Milestone)学院・医科大学の建物に墜落した。墜落によって発生した爆発と火災により、校舎内の多くの生徒・学生が命を落とし、周辺社会に深い衝撃を与えた。
この事故による死者は31人に達し、そのうち少なくとも25人が12歳以下の児童であった。負傷者は100人を超え、多くが重度の火傷を負った。犠牲者には、生徒の救助を試みた教師や、戦闘機を操縦していたパイロットも含まれている。
中国製戦闘機とバングラデシュ空軍の訓練実態
墜落機のF-7 BGI戦闘機は、中国の成都飛機工業社が開発したJ-7/F-7シリーズの最新モデルで、旧ソ連製MiG-21の改良型にあたる。2011年に、バングラデシュ空軍は、16機の導入契約を締結し、2013年に配備を完了した。以降、F-7は主に訓練目的で運用されてきた。
事故当時、機体はムハンマド・トゥキル・イスラム飛行士が操縦しており、離陸直後に技術的な不具合が発生。彼は住宅地への被害を避けるため進路変更を試みたが、機体の制御が困難となり、ちょうど生徒の下校時間帯にマイルストーン学院・医科大学へ激突した。衝突の衝撃で校舎は火に包まれ、多数の児童が炎と瓦礫に巻き込まれた。
救出活動と遺族の証言
事故直後、救助隊は校舎に取り残された生徒や教職員の救出に全力を注ぎ、171人を救出したが、その多くが負傷していた。現地では、焼け焦げた校舎を前に、保護者や地域住民が深い悲しみに沈んだ。
9歳の娘ヌスラット・ジャハン・アニカさんを亡くした父親アブル・ホセイン氏は、妻と複数の教師も負傷したと語った。さらに、生徒20人以上の救出に尽力した教師マヘリン・チョウドリー氏は、自身も重度の火傷を負い、命を落とした。
社会の動揺と広がる抗議運動
事故翌日の7月22日、ダッカ各地では学生や市民による大規模な抗議活動が発生した。参加者は「犠牲者全員の氏名公表」「責任の明確化」「被害家庭への補償」「訓練飛行の一時停止」などを求めた。マイルストーン学校は小中高一貫の大手私学で、空軍基地から約11キロの住宅密集地域に位置し、この空の事故は、近年のダッカにおける最も深刻な事故と位置づけられた。
テレビ報道では、政府高官の視察時に「なぜ兄弟姉妹が命を落とさねばならなかったのか、説明しろ」と涙ながらに訴える生徒や教職員の姿が映し出された。
軍・政府の対応と政局の行方
事故を受け、軍当局は直ちに現地調査に乗り出し、空軍訓練規範の抜本的見直しを発表した。政府は、全国追悼日を定め、各宗教施設にて追悼行事を実施し、公共機関では半旗が掲げられた。
バングラデシュでは、2024年から学生による反政府抗議活動が継続していて、前政権のシェイク・ハシナ元首相が国外へ追放される事態となった。現在はノーベル平和賞受賞者ムハンマド・ユヌスの暫定政権が統治を担っており、次期選挙を控えた政局は、不透明な状況にある。
高まる安全対策と機体更新への要求
今回の墜落事故を契機に、学生や市民からは「旧式機の全面廃棄」「訓練飛行の安全性向上」を求める声が噴出した。2008年にもF-7の墜落事故が発生しており、再び同型機による惨事が起きたことへの不信と怒りが広がった。
事故当日には、ダッカ市内の交通が一時麻痺し、市民の不安と憤りが頂点に達し、治安部隊による強制排除が実施されたが、抗議の勢いは衰えず、社会全体が責任ある対応と抜本的な改革を切望している。
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