1999年7月20日未明、中国共産党(中共)は法輪功煉功場で連絡役を務める者たちを大規模に逮捕し始めた。これは、今日まで26年間も続く迫害の始まりを示すものであった。それは一つの陰謀であり、法治ではなく政治運動として位置づけられた。また、それは中共が自ら墓穴を掘り始めた最初の一掘りでもあった。
「7.20」は政治運動であり、法的根拠なき弾圧
2025年7月20日は、中国共産党が法輪功への弾圧を開始してから26年目にあたり、27回目の「7.20」にあたる。四半世紀以上が経過した現在でも、多くの人々は、1999年の中南海で何が起こったのかを理解しておらず、中国共産党がなぜ最大の過ちを犯し、作るべきではなかった最強の敵を生み出し、建国以来最大の抵抗と失敗に直面したのかを知らない。
特に西側のメディアや政治家は、法輪功の修煉が中国で法律によって禁止されていると誤解しているが、実際にはそうではない。全ての起点は1999年7月20日にある。
1999年4月25日、法輪功学習者たちは信仰の自由を求めて大規模な陳情活動を展開した。これに対し、当時の党首・江沢民は、表向きには党中央弁公庁および政府弁公庁を通じて弾圧の噂を否定し、法輪功の煉功は自由であると強調する一方で、同時に内密に一連の中央文書を発し、弾圧の準備を加速させた。
7月19日夜には、中共が全国の各省・市・自治区のトップを召集して動員会議を開き、翌20日早朝から全国で法輪功の各地の主要な連絡者に対する一斉拘束が始まった。これが「7.20」という呼称の由来であり、実態である。
この大規模な拘束に際して、党中央・国務院・最高人民法院・最高人民検察院のいずれも、いかなる公式文書や命令を発しておらず、法的根拠も皆無だった。ただ、前日の夜に中共の動員会があっただけである。
2日後の7月22日、中共は民政部による「法輪大法研究会の取締りに関する決定」と、公安部による「通告」の2文書を新たに発表した。
しかし、民政部の「決定」は論理的に崩壊していた。法輪大法研究会は中国気功研究会の下部組織として1996年に自主解散しており、民政部が処分対象としたのはすでに存在しない民間団体であった。
取締りの根拠とされたのは、研究会が民政部に登録されていなかったことであるが、そもそも民政部が民間団体の登録を認めなかったためであり、民政部自身の規定が違法性を作り出していた。
公安部の「通告」もまた、法的整合性を欠いていた。存在しない組織への処分を口実に、法輪功の修煉活動全体、さらには修煉者個々人にまで制限を適用拡大する構図をとった。しかも、これら2文書はいずれも「7.20」の逮捕劇から2日後に発表されており、後付けの正当化にすぎなかった。
結局、7.20の大規模逮捕は、法的根拠となる正式な文書すら存在しないまま実行されたことになる。その後に発表された文書も、荒唐無稽で法的根拠に欠けていた。
この観点に立てば、「7.20大規模逮捕」は陰謀であると断言できる。また、これは決して一度きりの出来事ではない。中共建政以降の歴史を振り返れば、同様に法的根拠なく民衆を迫害する「政治運動」が繰り返されてきたことが明らかである。7.20の大逮捕も、そのような体制的特徴に根差した事件の一つである。このような現象は、法治とはほど遠いものであり、根本的に政治的な運動、すなわち体制のもとで意図的に引き起こされたものであると言える。
3か月後、江沢民が「反邪教法」を突貫制定
さらに愚かな事例がある。この政治運動を主導した江沢民は、数か月で法輪功問題を片付けられると踏んでいた。最長でも3か月以内に弾圧を成功させ、自らの「偉業」を宣言でき、その間の当局の違法行為も誰からも追及されない、という腹積もりだった。中共が過去に行ったあらゆる政治運動のスケジュールから逆算すれば、それは当然の予測でもあった。歴史的に、共産党に標的とされた団体が1か月以上持ちこたえた例は存在しない。
しかし、3か月経過しても事態は収束せず、むしろ長期戦に突入する中で、江沢民はようやく弾圧の法的根拠が欠如していることに気づいた。その穴を塞ぐため、全国人民代表大会常務委員会に命じ、1999年10月30日に「反邪教法」と呼ばれる「決定」を突貫で通過させた。
しかし、その内容はスローガンを寄せ集めただけのもので、実際に運用可能な法律の条文ではなかった。それは歴史に残る笑い話に過ぎない。
実際、この「決定」は実施不可能な性質ゆえに、その決定は一度も運用されたことはない。実際に適用されたのは別の法律条文であり、ほぼすべての法輪功学習者の違法な判決に用いられてきたのは、刑法第300条第1項「邪教を利用して法律の施行を妨害した罪」である。
しかし、この法律条文は独立して適用できるものではなく、本来は他の具体的な法律の施行が妨げられているという事実がなければ使うことができないはずである。法輪功学習者はいずれも法律を守っており、どの法律の施行が実際に妨害されたかを指摘できなかった。中共の司法官たちは、そのことを知りながら、あえて無視した。中共当局は権力を背景に、力ずくで処罰を強行した。権力を握っていた者たちが、その権力を乱用して条文を捻じ曲げ、20年以上にわたり不当な適用を法輪功弾圧に使い続けてきたのである。

610弁公室の設立と法治主義の全面的破壊
中共は1980年代から90年代にかけて、国際社会に自国の法治や近代化をアピールするため、外見だけは西側諸国にならった法律制度づくりをしたが、実際は形だけであり、法律を無視したり自ら破壊したりする事例は常にあった。しかし、中央から末端まで計画的かつ組織的に自分たちの決めた法律を全て踏みにじるという状況が本格化したのは、法輪功に対する迫害を開始してからである。
このとき、中共は文化大革命の終結後、「今後はもう政治運動はしない」と自ら誓っていた約束も破った。さらに、この法輪功に対する弾圧という新たな政治運動は20年以上にわたって続いており、文化大革命の10年間の2倍をはるかに超えて、現在もなお続いている。
大規模な政治運動と法による統治は本来両立できないものである。政治運動が必然的に法治の領域を侵食する。一方で、法治が政治運動を抑える展開は起こりえない。法輪功という特定集団に対して法律を無視する方針が採られたことは、やがて他のあらゆる領域、すべての集団や個人にも波及していく運命にある。
しかし、法治を無視した大規模な政治運動を遂行するためには、既存の法制度や政府組織では自らの意向を十分に貫徹できない。そのため、中共は自分たちの政治目標を思い通りに進めるため、既成のシステムとは別に『既存の体制の上に立つ』特別な組織構造の構築を必要とした。そのため中共は、1999年7月20日の40日前に「中国共産党中央法輪功問題対策指導小組」とそれに直属する執行機関である「610弁公室」を設立した。これらは中共に直属し、法律や政府機関さえも凌駕する超法規的な権力を持つ機関である。
この機関は、おそらく1966年に設置された中央文革指導小組以来、中共中央が設けた初の指導小組であり、後に習近平が権力集中のために構築した各種指導小組群の先例となった。
陰謀と弾圧が常態化した中共は異常
絶対的な権力は必ず絶対的な腐敗をもたらす。そして、絶対権力を持つこのシステムの主要な構成員たちは同時に習近平の権力への最大の脅威ともなっている。このため、習近平は権力掌握後、まず「反腐敗」を名目にこのシステムの粛清に乗り出し、さらに「派閥」や「集団」を組んだという罪を加えて、現在に至るまでこの浄化を続けている。
これまで粛清されたのは、元常務委員で中央政法委員会書記、さらに「法輪功問題処理指導小組」組長であった周永康をはじめ、中央610弁公室の主任や副主任を務めた李東生、傅政華、張越、孫力軍、彭波、さらには最近失脚した高以忱などの人物である。
1999年の「7.20」前後に展開された一連の陰謀は、中共が地下組織的な活動時代の思考法から一歩も抜け出していない事実を如実に示している。1999年当時、中共はすでに半世紀にわたり政権を握り、世界最大規模の軍隊と最強の宣伝機関を持ち、警察・裁判所・検察もすべて自党の支配下、立法すら自分たちの意のままという状況にありながら、いまだに公にできない陰謀や策略を繰り返しており、そういった手段以外を採用できなかった。中共はそもそも正常な政党となる意志も資質も持っていなかった。
2001年の中国のWTO(世界貿易機関)加盟は経済成長の口火となったが、15年後、アメリカは中共がWTO加盟時の約束のほとんどを守らなかったことにようやく気づき、自分たちが騙されたと感じるに至った。しかし中共は、WTO加盟2年前の「7.20」によって、すでに国際社会に対し「約束を守らない」という本性を予告していたのである。
自ら制定した憲法や法律すら全く顧みない政権に、国際的な規範やルールを守ることなど到底できるはずがない。

7.20は反迫害の象徴 世界の覚醒を26年間見届けてきた法輪功
7.20はまた、法輪功が中共の迫害に対して反迫害活動を開始した象徴的な日である。2000年以降、アメリカの法輪功学習者は毎年7.20の前後に、ワシントンD.C.に集まり、集会やパレードを開催してきた。これには、アメリカの議会議員を含む政治家、シンクタンク、人権団体も加わり、支援の声を上げてきた。
つまり、日常的に中共の実態や犯罪を暴露する報道活動などに加え、この日には特にアメリカの首都で中共の犯罪行為を全世界に向けて訴えることが恒例となっているのである。これは中共がもっとも恐れることであり、かつ何ら手立てを講じることができない事態の一つである。
このワシントンD.C.での7.20記念活動は26年にわたり続けられ、法輪功学習者は世界が中共への宥和政策から目覚め、やがてその抑止へと転じていく過程を目の当たりにし、またそれに積極的に関与してきた。さらには、中共が絶頂から凋落へと向かう流れにも深く関わった。このように、長年にわたるこうした一連の国際的な反迫害活動の積み重ねそのものが、中共の自滅への歩みを確かに刻む過程であったと言える。
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