【秦鵬觀察】江油事件 いじめが招いた中国全土の怒り

2025/08/08 更新: 2025/08/08

現在、中国共産党(中共)の最高指導層は北戴河にて会議を開催している。ベッセント米財務長官はこれを「conclave(法王選出の会議)」になぞらえ、限られたメンバーによる秘密協議であると表現した。会議の成果が明らかになるまでには、なお時間を要すると見られる。

この間に民衆の蜂起が発生しないよう、中共は国民に「夏休みの宿題」を課した。それは抗日映画を視聴し、日本に対する憎しみを高めるというものである。国民の注意を逸らすための巧妙な策略に他ならない。とりわけ映画『南京照相館』がこの目的に貢献している。

しかし、周到な策にも綻びが存在する。予想外の火種が四川省江油市で着火し、瞬く間に世界的注目を集める事件へと発展した。

発端は、7月末に公開された校内いじめの映像である。これをきっかけに、多くの市民が江油市政府前に集結した。いじめを受けた子の父親は文字を読めず、母親は聴覚・言語に障害がある。この家族のために、真相の究明と学校・警察の対応を問いただすべく、人々は立ち上がった。

政府の対応と弾圧

通常であれば、政府は事態をなだめ、関係機関に反省を促す。しかし江油市では、警察が出動し群衆の排除に乗り出した。女性は地面に引きずられ、老人は圧し込められ、多数の市民が刑事拘留を受けた。

当局は家畜運搬車を使って市民を連行し、政府が国民を牛馬のように扱っている現実を浮き彫りにした。

市民の「なぜ逮捕するのか」という問いに対して、警察は「政府が説明する必要はない。公報を待て。公報を公表する前に騒ぐ者は全て逮捕する」と回答した。この姿勢は「法治」ではなく「法を用いた弾圧」に他ならない。体制側は沈黙を求め、騒ぐこと自体を罪とみなす。たとえ正当な理由があっても、社会の安定を乱す行為として処罰の対象にする。抗議する者を「秩序妨害者」と定義し、政権に敵対する存在として扱う。

これはまさに暴力団の論理である。子どもが暴行を受けても政府が動かず、声を上げる群衆が弾圧される。法治、倫理、体面といった政府の看板は、完全に地に落ちた。

それでも江油の市民は立ち上がり、催涙ガスや警棒を恐れず、「共産党退陣!習近平退陣!」の声を上げた。

政権側はさらなる警察力と特殊部隊を投入し、弾圧の度合いを強めた。

一方で、多くの中国ネットユーザーが各地の警察署の公式動画チャンネルに怒りをぶつけた。綿陽市警察署や瀋陽警察署の動画には「秩序を乱しているのは誰か」「暴力動画は削除されたのか」「一体誰を守っているのか」といったコメントが殺到し、新疆アクス沙雅県の警察署はついにライブ配信を中止する事態に追い込まれた。

ユーザーたちは事件を主導したとされる官僚の名をネット上で晒し、事件関連の動画や画像が爆発的に拡散した。配信者の中には、現地への訪問を呼びかける者まで現れた。

事件は、政権と民衆の間で繰り広げられる世論戦へと発展した。中共は「江油事件」の検索結果を微博のトレンドから削除し、中国版AIには閲覧制御を命じた。8月5日、著名ツイッターユーザーの李穎氏は、「抖音(TikTok中国版)が密かにアルゴリズムを修正し、抗議関連の動画を表示していたユーザーに観光・娯楽動画を大量に流すようになった」と報告した。その結果、観光動画のコメント欄が江油事件への言及で溢れるという、滑稽な状況が生まれた。

「江油照相館」は許されず、『南京照相館』は許される矛盾

あるネットユーザーは話題の愛国映画に触れ、「『南京照相館』はまだ観ていないが、先に江油照相館を観た」と皮肉を投稿した。一見ジョークのような言い方だが、実は強い皮肉が込められている。

『南京照相館』では涙を流したり「愛国だ!」と叫んだりすることが許されている一方、「江油照相館」では写真撮影しただけで逮捕理由となり、見ているだけでも暴力の対象になり得る。これは単なるダブルスタンダードではなく、現代中国の深刻な現実である。昔(1937年)のことなら悲しみに浸る自由があり、今(2025年)の問題については追及する自由がない。歴史を偲ぶことは認められても、今の現実を告発することは許されない。

中共はネットの投稿を削除したり、人を逮捕したり、世論をコントロールすることはできる。しかし、中国人が本来持っている優しさや正義感までは消すことができない。そして、今まさに長い間押さえつけられてきた人々の怒りが、一気に噴き出し始めている。

「江油で中国の希望を見た」

作家・李承鵬氏は「江油の街頭抗議は、石首、翁安、烏坎など過去の事例に比べて規模や強度は劣る。しかし当時は経済成長が続いていて、人々に希望があった。しかし今は経済が停滞し、不公平が蔓延し、人々は未来に希望が持てない。だから、どんな小さな火花でも、簡単に大火に発展してしまうのだ」と述べた。

独立評論家・蔡慎坤氏は、江油での抗議を清朝末期1911年の四川保路運動に重ねる。彼によれば、四川保路運動(1911年)は辛亥革命の重要な導火線の一つであった。清政府が同運動を武力で鎮圧したことで民意の不満が拡大し、辛亥革命の起点となった。

江油の人々がいじめられた少女のために立ち上がり、公正を求める姿は、社会の底辺にいる人々の正義感が目覚めつつあることを示している。このような出来事は、より広範な社会的共感を呼び起こし、「制度正義」についての問いを促す。

仮にこの怒りが体制改革や新たな市民意識の形成(公平・正義、権力責任、弱者保護)へとつながれば、江油事件は新時代における「種」となり得るのである。

秦鵬
時事評論家。自身の動画番組「秦鵬政経観察」で国際情勢、米中の政治・経済分野を解説。中国清華大学MBA取得。長年、企業コンサルタントを務めた。米政府系放送局のボイス・オブ・アメリカ(VOA)、新唐人テレビ(NTD)などにも評論家として出演。 新興プラットフォーム「乾淨世界(Ganjing World)」個人ページに多数動画掲載。
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