揺らぐ国連 多極化する世界で問われる「存在意義」

2025/10/29 更新: 2025/10/29

先月、米ニューヨークで開催された第80回国連総会で、トランプ大統領は演壇に立ち、会場と世界の見出しを揺るがす質問を投げかけた。「国連の目的とは何か?」

故障したテレプロンプターと壊れたエスカレーターの中で発せられた彼の言葉は、人々の心に深く突き刺さった。国連は「強い言葉で書かれた書簡」を発しているにもかかわらず戦争を止められず、ずさんな移民政策で西側諸国の国境への攻撃を助長し、空虚なレトリックに支配された世界でその潜在力を浪費していると非難した。X(旧ツイッター)上では、賛同の声もあれば、国連の人道支援活動を強く擁護する声もあり、反応は激しかった。

トランプ氏の批判自体は目新しいものではなかったが、2025年は多極化する対立、グローバル化の逆流、連鎖する危機の年であり、この問いは切実に感じられた。最近の世界的な炭素税創設の動きも、この問いをさらに重要にしている。

今こそ、国連の存在意義を問い直す時だ。国連はなぜ存在するのか。何を達成するために生まれ、そして何者になったのか。第二次世界大戦の灰と燃えがらの中から、集団安全保障と人類の進歩の象徴として誕生した。しかし今日、トランプ氏の問いは核心的な問題を浮き彫りにする。国連は世界の重要な審判機関なのか、肥大化した官僚組織なのか、それとも単なる外交劇の舞台に過ぎないのか。

この記事では、国連の知的な起源と歴史的進化をたどり、現代における役割、コスト、そして世界での関連性を検証する。結論は、読者自身が判断することになる。

国際協力の知的基盤

国連は真空の中で誕生したわけではない。そのDNAは何世紀にも遡り、人類が共通のルールと制度を通じて、国民国家の混沌を抑えようと繰り返し試みてきた歴史の中にある。1795年、哲学者イマヌエル・カントは論考「永遠平和のために:哲学的草稿」の中で「恒久平和」の構想を示し、征服戦争を終わらせるために法によって結ばれた共和国の連合を提唱した。

さらに1789年にはジェレミー・ベンサムが「国際法」という言葉を生み出し、実効性のある世界規範の基盤を築いた。1849年には作家のヴィクトル・ユゴーがパリ講和会議で「ヨーロッパ合衆国」を提唱し、戦場に代わる経済的な結びつきによる平和を訴えた。

これらは単なる空想ではなかった。19世紀には現実的な試みが行われた。1863年には戦争犠牲者を保護するための国際赤十字委員会が設立され、1899年には戦争と仲裁のルールを文書として明文化したハーグ平和会議を開催した。古代にも同様の試みが見られる。ローマ帝国の「パクス・ロマーナ(紀元前27年〜紀元180年)」は帝国を通じて安定をもたらし、中世の教皇は王室間の紛争を仲裁した。

ナポレオン戦争後のヨーロッパ協調(1815〜1914年)では、当時の列強が均衡を維持するために会合を重ねた。これらの先駆的な試みは欠陥も多く、しばしばエリート主導ではあったが、ひとつの傾向を示していた。超国家的な枠組みを築こうとする人類の願望である。

警告的な第一稿

20世紀の惨禍は、より大胆な試みを求めているかのようだった。1920年、ウッドロウ・ウィルソン米大統領の「十四か条の原則」に触発され、世界初の「人類の議会」として国際連盟が発足した。国際連盟は、紛争の仲裁と、国家の大小を問わない平等な立場を約束していた。

しかし、後から振り返れば、それは最初から失敗の運命にあった。1919年、アメリカ上院が加盟を拒否し、連盟は執行力を失った。軍隊も強制力も持たない連盟は、道徳的な説得と実効性の乏しい制裁に頼るしかなかった。

1931年の日本による満州侵攻、1935年のイタリアのエチオピア占領、そしてヒトラーの電撃戦によるヨーロッパ全土への侵攻など、再び侵略の炎が燃え上がると、国際連盟はためらい、ついには権力者たちから無視される「討論クラブ」へと成り下がった。

それでも、第二次世界大戦の渦中での国際連盟の崩壊は、完全な失敗とは言えなかった。戦後の指導者たちは「大国を排除しないこと」「実効性ある執行機構を備えること」そして「経済的絶望や植民地主義など、当時考えられていた戦争の原因に取り組むこと」といった教訓を学び取ったのだ。

灰からの復活

第二次世界大戦で7千万人を超える命が失われた。その惨禍を経て、人類は再び国際秩序の再構築に挑むことになった。サンフランシスコで、フランクリン・D・ルーズベルトアメリカ大統領やウィンストン・チャーチル(イギリスの首相)らが中心となり、国際連盟の失敗から導き出した四つの教訓を柱に、国連憲章がまとめ上げられた。

第一に、ルーズベルトはアメリカの主導的立場を確保し、1945年に上院の批准を取り付けた。第二に、主要国の排除を避け、戦勝国であるアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国が拒否権を持つ常任理事国として加わった。平等という理想と現実の間で生まれた、苦い妥協だった。第三に、国連は行動する力を与えられた。国際連盟にはなかった第7章の規定により、国際平和への脅威に対し軍事力の行使が認められた。第四に、国連は安全保障だけでなく、経済(世界銀行とIMF)、人権(1948年の世界人権宣言)、脱植民地化(信託統治理)といった課題にも踏み込んだ。

ハリー・トルーマン大統領は、創設会議の最後に静かに次の言葉を残した。「もしこの組織を活かせなければ、戦争で倒れたすべての人々を裏切ることになる」。しかし、国連に休息はなかった。創設から間もなく、世界は冷戦という新たな対立の時代へと突き進んでいった。

冷戦下の膠着

国連が発足してわずか1年の時、米ソの対立は安全保障理事会を拒否権発動の場に変えてしまった。ハンガリー(1956年)、ベトナム、アフガニスタン(1979年)といった主要な紛争の激化は、安全保障理事会を膠着状態に陥らせ「集団膠着状態」に陥れた。

それでも国連は適応を試み、小規模な紛争に目を向けた。冷戦下の代理戦争の緊張緩和のため、カナダのレスター・ピアソン外交官は1956年のスエズ危機で平和維持活動(PKO)を先駆けた。中立的な「青いヘルメット」部隊がイスラエルとエジプトの国境をパトロールし、このモデルはキプロス(1964年)、コンゴ(1960~64年)などにも踏襲された。

脱植民地化により加盟国は増加し、1945年の51か国から現在では193か国に達している。国連総会は安全保障理事会に対する民主的なカウンターウェイトとなり、ツバルはアメリカと同等の投票権を持つ。その一方で、ユニセフやUNHCRといった人道支援団体は、世界中で静かに難民に食料を届け、学校を建設してきた。

単極時代の逸機

ソ連の崩壊は、アメリカが台頭する「一極化の時代」をもたらした。これは国連にとって絶好の機会となるはずだった。当初はその通りに見えた。例えば1990年、安全保障理事会はイラクからクウェートを解放するためのアメリカ主導の連合(決議678)を承認した。また、カンボジア、モザンビーク、ボスニアでは平和維持活動が展開されていた。

しかし、国連には限界があった。ルワンダ(1994年)では、資源不足に苦しむUNAMIR(国連ルワンダ支援団)部隊がジェノサイド(約80万人の死者)を目の当たりにした。スレブレニツァ(1995年)では、「安全地帯」がボスニア・セルビア人による虐殺の舞台と化し、8千人以上が命を失った。

アメリカは国連の承認を恣意的に利用した。クウェートへの支援は承認したが、コソボへの介入(1999年のNATO軍による攻撃)は国連の承認を経ずに行った。

テロとの戦争と中国の静かな台頭

9.11以降、国連はアメリカの自衛権(決議1368)やテロ資金対策を承認した。しかし2003年のイラク戦争では、理事会は承認を見送ったにもかかわらず、アメリカは国連を無視して侵攻を強行した。

一方、中国は2001年の世界貿易機関(WTO)加盟を契機に、国連内での影響力を拡大している。たとえば、中国人が国連食糧農業機関(FAO、屈冬玉 ⦅農学者⦆2019年〜)や国際電気通信連合(ITU、趙厚麟⦅中国通信研究院名誉会長⦆ 2015〜22)でトップに就任している。

2019年のCOVID-19流行時、世界保健機関(WHO)は北京に配慮しているとの批判を受けた。世界的な緊急事態宣言は2020年1月20日まで遅れ、発生源の解明は不透明なまま、中国の対応を称賛したことで隠蔽疑惑も指摘された。

2025年の世界における国連

現在、アメリカは依然として強大な力を持つが、多くの内外の課題に直面している。中国は台頭しているように見えるが、対外的には関税や技術戦争に直面し、国内では社会・経済の問題を抱える。ロシアのウクライナ侵攻は世界の資源を消耗させるが、支配力は限定的であり、ヨーロッパは慎重な姿勢をとる。小国は主権の主張を試みる。

グローバル化は後退しつつある。2023年の貿易成長率はわずか1.2%にとどまり(世界貿易機関データ)、サプライチェーンは近接化が進み、COVID以降の時代には純粋な効率よりも冗長性が重視される。国連やWTOのような、協力的な「フラットな世界」を前提に設計された制度は、不協和の時代にぎりぎり持ちこたえている状況だ。

国連は創設者たちの想像した「世界政府」ではない。局所的には重要だが、象徴的な役割にとどまり、破綻している部分もある。

集団安全保障の麻痺:拒否権により機能が阻害される。ロシアはウクライナ関連決議(2022〜24年)を阻止し、米中はシリア問題で対立する。総会は小国に発言の場を与えるが、拘束力はない。

人道支援:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は2024年に1億2千990万人の難民・無国籍者を保護・支援し、スーダンやウクライナの戦争の最中で過去最多となった。世界食糧計画(WFP)は2024年に1億2千440万人に食料を届けた。

技術的基盤:国際民間航空機関(ICAO)の航空基準は世界の航空運航を支え、ITUは通信を調整、WHOは健康プロトコルを策定する(権限拡大をめぐる議論は増している)。

官僚機構の帝国

2025年の国連の通常予算は37億2千万ドルで、2024年の35億9千万ドルからわずかに増加した。平和維持活動には2024年7月~25年6月までで56億ドルが割り当てられ、任務終了に伴い前年より8.2%減少している。WHOやFAO、国連開発計画(UNDP)などを含む国連全体の予算は年間650〜700億ドルにのぼると推計され、中規模国家の政府規模に相当するが、アメリカの防衛予算8千500億ドルと比べると微々たるものだ。

事務局には3万7千人の職員(2024年末時点)が在籍し、国連全体では10万人を超える。熱心な職員も多いが、業務の断片化が重複を生み、各機関が競合し、説明責任の遅延も目立つ。世界の有権者が職員を直接監視するわけではないため、スキャンダルが長期化する場合もある。例えば、イラクの「石油対食料」プログラム(1995〜2003年、数十億ドルが不正流用)、コンゴやハイチでの平和維持活動における性的搾取事件などである。外交特権が過度に機能し、改革が停滞することもある。

この状況は欧州連合(EU)と似ている。2023年のEU予算は2千億ドル(約30兆円)、欧州委員会には3万2千人の職員が在籍し、イギリスのEU離脱への反発や、非選挙機関による「民主的欠陥」をめぐる批判もある。いずれも戦後の統合の夢から生まれた組織だが、ナショナリズムの波に押されている点で共通する。
総会は「空虚な演説の舞台」と評されることもあるが、象徴的な役割は歴史上欠かせなかった。半旗掲揚、就任宣誓、国民の祝日など、好むと好まざるとにかかわらず意味を持つ。同じことは国連でも言えるだろう。

では、国連の存在意義とは何か。トランプ氏の問いがすべてではないが、考える価値はある。ローマ時代からカント、そして1945年に至るまで、人類は制度を構築し続けてきた。国連はその最新の試みであり、不完全ではあるが、まったく役に立たないわけではない。もし国連がなければ、必要な機能は別の場所に移るだろう。援助はNGOに委ねられ、基準は臨時組織が策定し、国際フォーラムはG20やその競合組織に任されるかもしれない。

真に問われるのは「次に何が起こるのか」である。国連は2025年の世界に合わせて改革可能なのか。それとも、未来の世界にふさわしい新たな国際フォーラムが必要なのか。

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