中南海の「危険な職務」 8人の軍事委員会副主席 誰一人として天寿を全うせず

2026/02/04 更新: 2026/02/04

中国共産党(中共)による建国以来、上層部における権力闘争が止んだことはなく、中央軍事委員会副主席もまた「危険な職務」となった。先日、張又侠が突如失脚したことで、建国以来失脚した軍事委副主席は8人に達した。彼らの中には内紛で投獄された者、迫害の末に死亡した者、あるいは逃亡中に命を落とした者もいる。

2月2日、元中紀委監察部高官の王友群氏が大紀元に寄稿し、中共建国以来、8人の中央軍事委員会副主席が遭遇した「生と死の受難」を時系列で振り返った。

1. 彭徳懐:迫害の末に死亡

彭徳懐は実戦に長け、中共の政権奪取に多大な貢献をした。1950年、毛沢東は彭を「志願軍」司令官に任命し、朝鮮戦争へ派遣。1955年には元帥の階級を授与された。

しかし、1966年に文化大革命が勃発すると、彭は反党、反社会主義、反毛沢東思想、軍・党・国家の簒奪、外国との内通などの罪で告発された。

8年間の拘禁と心身への凄惨な拷問を経て、1974年11月29日、彭徳懐は76歳でこの世を去った。

2. 賀龍:迫害の末に死亡

1959年の廬山会議で彭徳懐が打倒された後、毛沢東は中央軍事委員会を改編し、林彪と賀龍をそれぞれ第一、第二副主席に任命した。林彪が長期療養中であったため、賀龍が軍事委員会の日常業務を取り仕切った。

1967年1月、毛は賀龍に対する隔離審査(取り調べ)の実施を決定し、周恩来にその執行を命じた。同年、康生を組長とする賀龍専案組(特別捜査班)が成立。糖尿病を患っていた賀龍は、拘留中に執拗な嫌がらせを受け、心身ともに甚大なダメージを負った。

1969年6月9日、賀龍は北京の301病院で死去した。

3. 林彪:墜落事故により死亡

林彪は戦術の天才として知られ、中共軍の主要な創設者であり、第一世代の指導者の一人であった。建国後は国務院副総理、党副主席、国防部長、軍事委員会第一副主席などの要職を歴任。一時は毛沢東の「後継者」として党規約に明記されるほどであった。

しかし、1970年の廬山会議を境に毛との対立が表面化。ついに1971年9月13日、毛澤東暗殺計画の失敗を悟った林彪は、妻の葉群、息子の林立果とともに山海関の空港から軍用機でソ連への亡命を図った。

しかし、逃亡の途上、燃料切れなどの原因によりモンゴルのウンドゥルハーン付近で機体が墜落。家族3人を含む搭乗員全員が死亡した(九一三事件)。

死後、林は党から「野心家、陰謀家、二面派、裏切り者、売国奴」などの烙印を押された。

4. 趙紫陽:軟禁のまま死去

1987年、趙紫陽は第13回党大会で党総書記および軍事委員会第一副主席に「選出」された。

1989年の「六四天安門事件(学生運動)」の際、学生への武力弾圧に反対した趙は、党総書記と軍事委員会第一副主席の職を解かれ、党籍のみを残す形となった。

それ以来、趙は16年間にわたり軟禁された。2005年1月17日午前4時、趙は自宅で病没した。享年86歳。

5. 徐才厚:立件・調査

徐才厚は2004年の第16期四中全会において、江沢民によって中央軍事委員会副主席に抜擢された。第17回党大会では政治局委員に「選出」され、引き続き軍事委副主席を務めた。

2014年4月15日、引退から1年以上経過していた徐に調査が入った。その後、党籍と軍籍を剥奪され、上将の階級も剥奪された上で司法機関へ送致された。2015年3月15日、軍事法院での公判中に徐は病死した。享年71歳。

6. 郭伯雄:立件・調査

郭伯雄は2002年の第16回党大会で、江沢民により政治局委員および軍事委員会副主席に引き上げられた。2007年の第17回党大会でも留任した。

2015年4月9日、引退から2年以上経った郭に調査が入った。その後、党籍・軍籍・階級を剥奪され送致。2016年7月25日、受賄罪により軍事法院から無期懲役の判決を言い渡され、個人資産はすべて没収された。

7. 何衛東:党籍・軍籍剥奪、自殺の噂

何衛東は、第20回党大会前までは党大会の代表ですらなく、第19期中央委員でも軍事委員でもなかった。中央候補委員ですらなかったのである。

しかし2022年の第20回大会において、習近平は自ら何衛東を政治局委員、軍事委員会副主席へと異例の抜擢をした。何は習の「軍内第一の側近」と呼ばれた。

2025年3月11日、全国人民代表大会の閉幕式に出席した後、何の消息は途絶えた。同年10月17日になってようやく、国防部報道官が、何衛東や苗華ら9人の上将が重大な規律違反および法律違反により、党籍・軍籍剥奪、司法送致となったことを発表した。

在米の時事評論家・蔡慎坤は、何衛東はすでに自殺しているとの情報を繰り返し発信している。

8. 張又侠:突如として失脚

張又侠は2017年の第19回党大会で政治局委員、軍事委員会副主席に「選出」された。2022年の第20回大会では、72歳という高齢ながら政治局委員および軍事委副主席に留任した。

ところが2026年1月24日、76歳の張又侠が突如失脚したことが公式に発表された。

王友群は記事の中で次のように分析している。

「中共の内紛において、軍事委員会主席が最も恐れるのはクーデターである。そして、軍事委員会主席に最も近い距離にいる人物こそが軍事委副主席であり、この職位は最もクーデターを起こす可能性が高いと見なされる。これこそが、中央軍事委員会副主席が相次いで悲運に見舞われる重要な理由である」

文彬