日本の脳梗塞修復研究から再認識する 人体という「小宇宙」の知恵

2026/06/16 更新: 2026/06/16

近年、日本の東京科学大学(Institute of Science Tokyo)の研究チームが『ネイチャー』に発表した、「ミクログリアの修復機能の維持が脳卒中後の回復を促進する(Sustaining microglial reparative function enhances stroke recovery)」と題する論文が医学界の注目を集めている。

ミクログリアとは、脳や脊髄といった中枢神経系に存在する免疫細胞の一種である。脳内の「清掃員」のような役割を担っており、普段は周囲をパトロールし、死んだ細胞のゴミや不要な成分を速やかに回収・消去することで、脳内環境を健康に保つ重要な働きをしている。

研究によると、脳梗塞の発症後、脳内のミクログリアは単に壊死した組織を掃除する「清掃員」として働くだけでなく、自ら積極的に修復プログラムを起動し、神経組織の機能回復を助けていることが明らかになった。

さらに研究チームは次のことを発見した。修復がしばらく進むと、脳内で「ZFP384」という因子が活発になり、せっかくの修復活動にブレーキをかけてしまう。その結果、本来ならもっと続くはずの回復プロセスが、途中で強制終了させられてしまうのである。

研究チームがアンチセンス核酸技術を用いてZFP384を抑制したところ、ミクログリアはより長い間修復機能を維持できるようになり、実験動物の回復状況も明らかに改善した。

この成果は、脳梗塞の後遺症治療に新たな方向性をもたらすものと期待されている。

しかし、この研究がもたらす示唆は、単なる新しい治療戦略にとどまらないかもしれない。それは、私たちに一歩進んだ根本的な問いを再考させる。

「生命はいったいどのようにして健康を維持し、回復しているのだろうか。なぜ人体は、自らを修復することができるのだろうか」

かつて人々は、人体を「目に見える肉体という形の、表面的な機械」とみなすことが多かった。機械が壊れたら、部品を交換すればよいという考え方である。

現代医学の発展に伴い、人々は今なお、中医学(中国伝統医学)が説くような「人体は陰陽五行という相生相剋(そうせいそうこく)のエネルギーメカニズムで動く小宇宙・小天地である」という視点や、その背景にある経絡や気の流れ(気機)の法則を、見ようとしなかったり受け入れられなかったりしている。しかしその一方で、人体が一般的な機械と決定的に異なるのは「自ら修復する能力を持っている」点であることに、ますます気づき始めている。

例えば、傷口は自然に塞がり、骨折は再びつながる。感染症にかかれば免疫システムが自ら病原体を排除し、脳梗塞の後には脳が一部の神経接続を再構築することさえある。これらの現象は、人体そのものが強力な回復力を備えていることを証明している。

医師もまた、自らが行っていることは人体の働きを代替することではなく、人体が本来備えている修復能力とそのプロセスを助けているに過ぎない、と気づくことが多い。この自己修復力というメカニズムから離れてしまえば、手術であれ薬物であれ、根本的な効果を発揮することはできないのである。

そのため現代医学も、「この回復力をいかに保護するか」「この回復力をいかにはたらかせ続けるか」「いかにして人体を正常な運行へと戻すか」という点に、ますます関心を寄せるようになっている。

そしてこれこそが、古代の中国医学が最も重視していた問題に他ならない。

 

この研究は何を明らかにしているのか

この研究を注意深く観察すると、最も興味深い部分は「修復そのもの」ではなく、「修復と制約が同時に存在している」という点にあることに気づく。

一方ではミクログリアが脳組織を懸命に修復しようとし、もう一方ではZFP384がその修復を制限している。一見すると矛盾しているようだが、生命とは往々にしてこのようなものである。

もし制約がなく修復だけであれば、持続的な炎症や異常な組織増殖といった新たな問題が生じる可能性がある。逆に、修復がなく制約だけであれば、損傷した組織は回復できない。生命は、ある一つの力を無限に強めることによって維持されているわけではない。

本当の健康とは、様々な力の間の調和とバランスから生まれる。 これこそが、この研究において最も深く思考に値する点である。

 

先人たちが見出していた「より大きな法則」

興味深いことに、二千年以上前の中国の先人たちは、すでに同様の問題を体系的に研究していた。

『黄帝内経(こうていだいけい)』には、次のような言葉がある。

「亢(こう)なれば則(すなわ)ち害し、承(しょう)ずれば乃(すなわ)ち制す。制すれば則ち生化す」

これは、「いかなる力も過剰に高ぶれば(亢盛)害を及ぼすため、必ず制約(制)が必要となる。そして制約とは相手を消滅させることではなく、新たな生機(生命の活力)と新たなバランスを維持するためのものである」という意味である。

これこそが、陰陽五行の「生剋制化(せいこくせいか)」の理論における最も核心的な思想である。それは宇宙が生まれ、運行し、生々流転して絶えることのない法則であり、人体が本来持っている運行の法則でもある。

今日、多くの人が「五行」と聞くと、木・火・土・金・水という5つの元素だけを思い浮かべがちである。

しかし、伝統医学の権威ある古典である『黄帝内経』において、五行のより重要な意味は単なる5つの物質ではない。それは5つのエネルギーの運行関係であり、宇宙と生命を動かす「気機」のシステムであって、臓腑と気血の調和を司っているものである。

「相生(そうせい)」とは無限に放任することではなく、「相剋(そうこく)」とは互いを消滅させることではない。促進と制約の間で全体のバランスを保ちながら運行し、あるべき節度と秩序を維持することである。

生(生み出す力)があるからこそ万物は発展でき、剋(抑える力)があるからこそ万物は暴走しない。それはまるで、四季が秩序正しく移り変わり、循環して変わらないかのようである。先人たちはこれを「生剋制化」と呼んだ。

現代の研究が「脳組織の修復と制衡(相互に制約してバランスをとること)のメカニズムの共存」を発見したのに対し、先人たちは「陰陽五行・生剋制化」を用いて生命全体の運行法則を記述していた。

両者は用いる言語こそ異なるものの、どちらも同じ事実を指し示している。すなわち、「生命はバランスと、互いの協調、共同の営みによって存在している」という事実である。

 

人体は一つの「小天地」である

『黄帝内経』には、「人は天地の気をもって生じ、四時の法をもって成る」とある。つまり、人は陰陽二つの気によって生まれ、四季の運行の法則に従って生成され、営まれているという意味である。

また『内経』は、「人と天地相参じ、日月と相応じるなり」とも考えている。これらも同様の意味であり、人と天地は相互に参照し合い、通じ合うことができるため、天の変化や運行を見ることで人体の変化や運行を知ることができ、その逆もまた然りであるということである。ここから「天人相応」という思考様式が生まれ、病気の予防や治療、処方の組み立て、薬の調合に用いられてきた。五行の生剋を用いてこの運行様式を回復させ、正常に戻す(扶正・ふせい)ことによって、人体が本来持っている能力を修復するのである。

それゆえ、先人たちは天地に「春生・夏長・秋収・冬蔵(春に生まれ、夏に成長し、秋に収穫し、冬に貯蔵する)」があるのを見て、人体にも同様に「肝木(かんぼく)の生・心火(しんか)の長・肺金(はいきん)の収・腎水(じんすい)の蔵」があると考えた。

天地に陰陽の消長(盛衰)があれば、人体には気血の昇降がある。したがって、先人たちが人体を「小天地(あるいは小宇宙)」と呼んだのは、文学的な比喩ではない。人体内部そのものに、宇宙の運行に酷似した法則が存在していると考えたからである。五臓は互いに協調し合い、同時に互いを制衡させながら、共同で生命の営みを維持している。

それゆえ、中医(中国伝統医学)の治療は局所の症状だけを対象とするのではない。全体の秩序を回復させることを、より重視する。

なぜなら先人たちの目には、本当の意味で健康を決定づけるのは、特定の器官が単独で強いかどうかではなく、システム全体が調和を保てているかどうかであると映っていたからだ。特に、目には見えないあの陰陽の気機の変化こそが重要なのだ。

 

なぜ『黄帝内経』は「君臣」を語るのか

『黄帝内経』では、五臓をそれぞれ君主(王)、将軍、倉廩(そうりん)之官(倉庫を管理する役人)、作強(さきょう)之官(肉体労働や技巧を司る役人)といった異なる役割に例えている。現代人の多くは、これを単なるイメージ的な描写に過ぎないと考えがちである。

しかし実はここには、先人たちの重要な認識が反映されている。それは、「人体と国家は、同様のバランスと協調の法則に従っている」という認識である。

国家の統治が秩序を重んじるように、人体の運行もまた秩序を重んじる。ある国家において、もし君主だけがいて大臣がいなければ統治は成り立たない。もし将軍の権力が無限に拡大すれば混乱が生じる。もし財政のバランスが崩れれば、国家を維持することは難しくなる。

人体も同様である。五臓はそれぞれが職務を全うし、互いに助け合いながらも、互いを制約し合っている。いずれか一方が強すぎても弱すぎても、全体のバランスは破壊されてしまう。

だからこそ先人たちは、「良相(優れた宰相)になれずんば、良医(優れた医師)になれ」と常々口にした。国を治めることと病を治すことは、本質においてどちらも「バランスと秩序」を扱う問題であると考えていたからである。

 

中庸の道は、生命の道でもある

儒家は「中庸(ちゅうよう)」を説く。多くの人は中庸を「足して二で割るような妥協(折中)」と理解しているが、決してそうではない。

『中庸』のいう「中」とは、過ぎたるは及ばざるがごとしであり、過度であってはならず、また不足(弱すぎる状態)であってもならないということだ。それによって調和とバランスを達成するのである。「和」とは、それぞれが自らの位置に安んじることである。仁・義・礼・智・信はどれ一つとして欠かすことができず、互いに支え合い、互いに制衡し合っている。

いかなる側であっても、過度に拡張すれば、それは裏目(反面)へと向かう。

したがって、中庸とは消極的で保守的な姿勢ではない。全体の「動的平衡」を維持するための智慧なのである。

この視点から見れば、中庸の思想と『黄帝内経』の陰陽バランスや生剋制化は、同じ源(みなもと)から流れ出たものである。それは、国家統治と疾病治療というそれぞれの領域において具現化された、統一的な法則に他ならない。

これらは共通して次のことを説明している。本当に安定した状態とは、ある一つの力が独大することではなく、様々な力が適切な関係性を保っている状態である。これによってはじめて、国家も人体も、長期にわたる安定(長治久安)を得ることができる。

 

『黄帝内経』はなぜ冒頭で「徳全ければ危うからず」を語るのか

最も驚くべきことは、『黄帝内経』という医学の古典が、その冒頭で議論しているのが「薬物」ではなく「徳」であるという点だ。

巻頭の『上古天真論(じょうこてんしんろん)』では次のように提起されている。

「陰陽に法(のっと)り、術数(じゅつすう)に和し、食飲(しょくいん)節あり、起居(ききょ)常あり、妄(みだ)りに作労(さくろう)せず」

そして、後世の人々が「酒を以て漿(飲み水)と為し、妄(無摂生)を以て常と為す」ようになっていることを批判している。

多くの人は、これを一般的な意味での道徳的な説教だと捉えがちである。しかし、そうではない。先人たちは生命の法則、すなわち、より高い次元における「徳」を語っているのである。

いわゆる「徳全ければ危うからず(徳全不危)」とは、人間としての次元における品徳の高潔さだけを指すのではない。それは、人が生命の法則を尊重し、宇宙万物を生み出した「道」を尊重することである。先人たちは宇宙、生命、そして万物を敬畏(敬い恐れること)し、大切にしていた。伝統的な神伝文化(神から伝えられた文化)の信念において、宇宙は神によって創られたもの(神創・神造)と信じられていたため、勝気気ままに身体を消耗させることを恐れ、欲望を放縦することを恐れ、人体内部の秩序を破壊することを恐れたのである。そうではなく、生命を惜しみ、人体を大切にし、傷つけることを恐れて、ただ善用することに努めた。

それゆえ、先人たちは飲食を節制し、感情を節制し、労働を節制し、欲望を節制し、規則正しい生活を維持した。

これらの一見ありふれた生活原則は、本質的にはすべて人体の「回復力」を保護するためのものである。だからこそ、『黄帝内経』は「徳」を医学書の冒頭に置いたのだ。

なぜなら先人たちはこう考えていたからである。身体が危機に陥る前には、往々にしてまず「行動」が節制を失っている。生命のバランスが崩れる前には、往々にしてまず「人間」が敬畏の念を失っている。人が狂妄(狂おしく傲慢)になり、自大となって、なしたい放題に振る舞うようになれば、悪果は必ずやってくる。

 

現代医学へのひとつの示唆

今日、人類はすでに遺伝子、タンパク質、そして細胞のレベルでの変化を観察できるようになっている。これは現代科学の巨大な成就である。しかし、研究が深く進むにつれて、人々は次のことにもますます気づき始めている。人体の最も貴重な財産とは、特定の「薬物」ではなく、「自身が備えている回復力」そのものである、と。

今回の脳梗塞に関する研究は、まさにこの能力をいかに保護するかを探索しているものである。そして『黄帝内経』は二千年以上も前から、この能力をいかに消耗させないか、人体という「小天地」をいかに長期にわたって正常に運行させ続けるかを、人々に注意深く教えていた。

おそらく、これこそが現代医学が最も深く思考すべき点であろう。

医学が病気そのものだけに注目するのを超えて、生命全体の運行法則へと目を向け始める時、人々は『黄帝内経』の冒頭にある、あの、一見シンプルに見える言葉を改めて理解するかもしれない。

「徳全ければ危うからず」

生命の法則を敬畏することこそが、おそらく生命を守る最も根本的な方法であるからだ。そしてこれによって、全く新しい智慧が開かれ、思いもよらなかったような飛躍的な医術の進歩がもたらされる可能性も、大いにある。

白玉煕
文化面担当の編集者。中国の古典的な医療や漢方に深い見識があり、『黄帝内経』や『傷寒論』、『神農本草経』などの古文書を研究している。人体は小さな宇宙であるという中国古来の理論に基づき、漢方の奥深さをわかりやすく伝えている。
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