政府 年金マネーの国内還流を検討 背景に膨らむ家計の「静かな円売り」

2026/07/13 更新: 2026/07/13

片山さつき財務兼金融担当相は7月10日午前の閣議後会見で、家計や年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)を含む年金基金による国内金融資産への投資拡大を促す施策の検討を進める考えを明らかにした。日本経済が「金利のある世界」へと移行し株式市場も堅調に推移しているとした上で、国民が成長の果実を直接享受できるようにすると強調した。

片山氏は具体的な方策には触れなかったが、高市早苗政権の下で日本経済が新たな成長型経済に移行する過程にあるとし、「国民が日本経済の成長の果実を直接に享受できるように、まず家計、そしてGPIFをはじめとする年金基金により日本の金融資産にさらなる投資をしていただくという方向で後押しをする方策を追求したい」と述べた。

この発言は骨太の方針が掲げる成長投資の果実を金融面でどう国民に還元するかを問われての回答されたもので、片山氏はあわせて、日本国債の魅力向上のため個人向け国債の商品性を見直し、新商品の設計を早急に具体化する考えも示した。

GPIFについては「私だけでできることではない」とした上で、政府内で意思統一を図りたいとし、「成長と国民の資産形成の好循環をつくるという新しいパッケージ」で促進する考えを示した。

会見での発言を受け、市場は即座に反応した。報道では、円相場は1ドル=162円40銭付近から一時161円29銭まで急伸し、新発10年債利回りは前日比0.1%低下、日経平均株価は一時2%超上昇する円・債券・株の「トリプル高」となったと伝えられた。GPIFは運用資産約293兆円を抱える世界最大級の機関投資家である。その資金が国内資産へ向かうとの期待が語られただけで、円は買われ、金利は落ち着き、株は上がった。

なぜ「国内への投資拡大」という一言が、これほど市場を動かしたのか。その背景には、統計の表面には表れにくい、日本の資金フローの静かな地殻変動がある。

もう一つの円の売り手 日本の家計

円相場が1ドル=162円台と約39年半ぶりの安値圏に沈む中、円安の要因として語られるのは、もっぱら日米金利差や海外投機筋の動向である。しかし統計をたどると、もう一つの売り手が静かに、そして着実に規模を拡大してきたことが分かる。それは日本の家計である。

財務省の「対外及び対内証券売買契約等の状況」によると、家計の海外投資の動向を映す投資信託委託会社等による対外証券投資(ネット)は、2023年に4兆5454億円の取得超だった。

しかし新NISA(少額投資非課税制度)が始まった2024年には11兆5066億円へと約2.5倍に膨らみ、データを遡れる2005年以降で最大を記録した。大和総研によると内訳では全世界株や米国株のインデックス投信への資金流入が突出している。またニッセイ基礎研究所は、2025年に入ってもNISAの普及とインフレを追い風に、投資信託や対外証券投資への高水準の資金流入が続いていると指摘している。

この資金の流れは、そのまま為替市場での円売り・外貨買いを意味する。新NISAで最も人気の高い全世界株式型投信「オール・カントリー」(通称オルカン)は投資先の約6割が米国株であり、運用会社は新規資金が流入するたびに海外株の購入資金を確保するため、毎朝、円を外貨に替える。重要なのは、この円売りが為替水準とは無関係に執行される点だ。円が安かろうが高かろうが、積立設定された資金は機械的に円を売る。

家計の行動は投機ではない。むしろ極めて合理的な防衛である。日銀が利上げを重ねた後も現預金の金利は物価上昇率を大きく下回り、円預金に置いたままの資産は実質的に毎年価値を失っていく。「価値の下がる通貨を持ち続ける理由がない」という判断は、一人ひとりの家計にとって正しい。問題は、その合理的な個別判断が集計されたとき、何が起きるかである。

「経常黒字だから円は大丈夫」ではない

日本は世界有数の経常黒字国であり、通貨危機とは無縁だ――そう考える向きは多い。実際、財務省が発表した2025年度の国際収支統計(速報)によると、経常黒字は34兆5218億円と3年連続で過去最大を更新し、対外純資産は2024年末時点で533兆円と世界2位の規模を誇る。

しかし、この黒字の中身を精査すると、様相は一変する。日本経済新聞によると黒字を支えているのは、過去の海外投資が生む利子・配当、すなわち第一次所得収支(2025年度は42兆2809億円で5年連続の過去最大)に加え、半導体などの輸出が伸び5年ぶりに黒字に転じた貿易収支だという。そして日本総合研究所によると、この収益のかなりの部分は日本に戻らず、外貨のまま海外で再投資されている。再投資収益は黒字額の3割程度を占めるとされ、これを除くと実際に円買いを生む黒字は大きく縮小する。

海外で稼いだお金は、円に両替されて初めて、為替市場で「円を買う力」になる。ところが日本の黒字の多くは、外貨のまま海外の口座にとどまり、日本に持ち帰られていない。海外に住む家族がいくら現地で稼いでも、日本へ仕送りしなければ実家の家計が潤わないのと同じで、帳簿の上で黒字が積み上がっても、円相場を支える力にはならない。

日本は「世界屈指の黒字国」という成績表を持ちながら、実際に円を買うお金の流れは細ってきた。その一方で、家計は毎月の積立を通じて、円を売って外貨を買い続けている。円を買う力は痩せ、円を売る力は年々太っていた。

これまで円売りの主役とされてきたのは、金利差を狙う海外投機筋だった。投機筋の円売りポジションは、日米金利差が縮小すれば巻き戻される。一時的で、可逆的だ。

家計の円売りは違う。GPIFのような機関投資家は資産構成割合を定めており、外貨資産が増えすぎれば円買いに転じるリバランスが働く。これに対し、NISAを通じた家計の投資は毎月定額の積立が中心で、老後に向けた20年、30年単位の資産形成を目的とするため、途中で売却されにくい。日米金利差が縮小し、投機筋の円売りが収まっても、家計の円売りは止まらない。構造的で、根強い円安圧力。これが従来との違いとなっている。

家計の海外投資で「貯蓄から投資へ」という長年の政策目標を実現しつつある。「資産運用立国」の旗の下でNISAの投資枠は恒久化・拡充され、家計の資産形成を支える制度基盤は大きく前進した。さらに高市政権下で閣議決定された令和8年度税制改正大綱には、子どもの進学など将来の必要資金に長期・安定的に備えられるよう、つみたて投資枠を0〜17歳の未成年に開放する「こどもNISA」(年間投資上限60万円、非課税保有限度額600万円)の創設が盛り込まれ、2027年1月の開始が予定されている。資産形成の裾野は、世代を超えて広がろうとしている。

ニッセイ基礎研究所によると、日本の家計金融資産は2025年9月末時点で2286兆円と過去最高を更新し、その49.1%、約1120兆円がなお現預金として眠る。

この巨大な貯水池から、仮に毎年1%が投資に動くだけで11兆円規模の資金移動となる計算であり、その多くが海外資産に向かえば、同規模の円売りが恒常化することになる。2024年に11兆円を超えた流出額は、その入り口に過ぎない可能性がある。

資金をどこへ導くか

家計が米国株を買うのは、インフレと円安による資産の目減りから自らを守るためだが、現在、個々の家計にとって合理的なその選択が、集計されると円売り圧力となって、めぐりめぐって円安と物価高を通じて家計自身に返ってきている。現在、個々の家計にとって合理的なその選択が、結果として集計されると構造的で根強い円売り圧力を生み出している。

GPIFの資産配分が動けば、他の年金基金が追随する可能性もあり、市場全体への影響は大きくなり得る。

もっとも、実現へのハードルは低くない。片山氏自身、GPIFについては「私だけでできることではない」と述べ、政府内での意思統一が必要との考えを示している。

報道では、GPIFの基本ポートフォリオは法律に基づき専門的見地から安全性と効率的な運用を重視して定められ変更は容易でないこと、運用資産を年金加入者の利益以外の目的に用いることを禁じる「他事考慮の禁止」の制約があること、財務相が資産配分を指示する立場にはなく実現性を疑問視する声が市場にあることも指摘されている。

年金基金など政府系機関の投資を巡っては、2025年9月の日米財務相の共同声明で、海外投資はリスク調整後のリターンや分散の目的で行われ、為替レートを目標とはしないことが申し合わされてもいる。

「貯蓄から投資へ」の実現と、通貨の安定。この二つの両立に向けた模索は、年金マネーの国内還流という形で第一歩を踏み出した。次の課題は、毎月積み上がる家計の投資マネーを、国内の成長分野へどう誘うかだろう。

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