ニッポン子育て発見記3 中国で失われた文化が「日本に残っていた」
《日本の皆さん、こんにちは。私は中国出身で、今は日本で生活しながら3人の子どもを育てている媽媽(マーマ)です。私は日本が大好きです。そんな私が発見した日本文化のすばらしさを、皆さんにお届けします》
ニッポン子育て発見記 2 「お辞儀をする心」
《日本の皆さん、こんにちは。私は中国出身で、今は日本で生活しながら3人の子どもを育てている媽媽(マーマ)です。私は日本が大好きです。そんな私が発見した日本文化のすばらしさを、皆さんにお届けします》
ニッポン子育て発見記 1 「静かにする」教育
《日本の皆さん、こんにちは。私は中国出身で、今は日本で生活しながら3人の子どもを育てている媽媽(マーマ)です。私は日本が大好きです。そんな私が発見した日本文化のすばらしさを、皆さんにお届けします》
罪をとがめるより更生を励ます
悪行を改めるよう、寛大な心で更生を励ますことは、良知ある人を育てることに繋がる、というお話。1900年も前の物語とされる、「元」泥棒と賢人の典故を紹介します。出典は中国北宋時代に、学者・宋李昉らにより編纂された『太平御覧』の第900巻、兽部十二 牛下から。
南宋王朝の繁栄と助け合いの精神
繁栄を極めた中国歴代王朝。その中でも、南宋の庶民の暮らしの中に文化の真髄が反映されていました。当時、周辺諸国の憧れの的だった南宋には使節団がひっきりなしに訪れ、中国で一生を終えたいと願う国王も多くいたと伝えられています。しかし、彼らが見たのはあくまでも表面的な部分です。目に見えない本質の部分こそが、「中華文明の神髄」であり、数千年間の繁栄を維持し続けた根本となるものです。
【故事】人材を見るには私心を交えず
古代から現代まで、リーダーになる人には必ず敵がいるものです。でも、敵の良いところを認め、その人を重要なポストに推薦できる人というのは、滅多にいないかもしれません。私心を交えず、人材をうまく使いこなしたチー・シーという政治家をご紹介します。
臣下の安危を顧みないとどうなるのか
中国の春秋時代、晋の君主である文公(ぶんこう)の乗った馬車が険しい山道を通ることになりました。崖下に落ちないよう、臣下たちは文公の馬車を支えながら歩きましたが、晋の将軍・隋会(ずいえ)だけは手伝おうとしませんでした。
人を助けても見返りを求めなければ、福報を得る
明の時代、太倉州(現在の江蘇省太倉県)の司法官を務める顧佐(グーズオ)は思いやりがあり、正直な人でした。顧氏はかつて菓子店の主人の冤罪を晴らし、助けたことがありました。店の主人は感謝のしるしとして、顧氏に17歳の娘を差し出すと3回も申し入れましたが、すべて顧氏に断られたという逸話が残っています。
「アルミの雪平鍋」が和食に最適な理由。上手に選べば長年使える相棒に
皆さんのホッとする瞬間はどんな時ですか?私は毎日の生活で、意識的にリラックスやリフレッシュできる時間をつくっています。
【わたしの好きなもの】THE SLIPPERS
皆さんのホッとする瞬間はどんな時ですか?私は毎日の生活で、意識的にリラックスやリフレッシュできる時間をつくっています。
【わたしの好きなもの】日本の精油
皆さんのホッとする瞬間はどんな時ですか?私は毎日の生活で、意識的にリラックスやリフレッシュできる時間をつくっています。
【わたしの好きなもの】季節のしつらい便 端午の節句
5月5日はこどもの日ですね。
こどもの日といえば、鯉のぼりを飾ったり、柏餅を食べたり、菖蒲の湯に入ったり。
でも、何故鯉のぼりを飾り、かしわ餅を食べるのか・・実は詳しく知らずに風習として行っていることではないでしょうか。
古代中国人の講じる「気節」とは
君子は「持節(じせつ)」、つまり気節を保つすることを大事にしていました。「気節」とは志気と節操という高尚な品格を指します。具体的に言うと、正義を貫き、威圧を前にしても決して屈しない頑強な精神を持つことです。
【紀元曙光】2020年7月17日
17歳11か月で棋聖のタイトルを獲得。高校生棋士、藤井聡太七段の快挙であった。
【紀元曙光】2020年6月28日
中国人にしてみれば、自国の誇りでもある「唐」の概念を、イカの干物のように押し広げてしまう日本語の感覚は、嬉しくはないだろう。
【動画】なぜ社会主義者は記憶を抹消したいのか
アメリカを含む多くの国々で、若者に示される「新しい歴史」に異変が起きている。
それは伝統文化を否定する「歴史」であり、国の成り立ちを批判し、建国の父たちを侮辱する。若者たちは自分のルーツを憎み、社会主義のレンズを通して歴史を解釈するよう教育される。
【紀元曙光】2020年4月27日
「稽古」という日本語が好きだ。
食べ物は単に空腹を満たすもの
「空腹は最高のソース」という西洋のことわざがあるが、古代中国でも同じエピソードがある。明代の嘉靖(かせい、1522-1566)年間に大臣を務めた劉氏は、退職すると故郷へ戻ってきた。当地を管轄する領主は、食事の好き嫌いが激しく、味付けにうるさかった。領主を食事に招くと、必ずと言っていいほど食事に難癖をつけられ、不愉快な思いをする人が後を絶たなかった。劉氏は領主に対するそんな不満を人から聞くと、「領主は、昔私の生徒だった。わしが何とかしよう」と申し出た。
【子どもの教育に役立つ物語】本物の謙虚さとは
宋の粛王と沈元が使節として北方へ行き、燕山で宿をとった後、言葉使いが非常に優美な3000字ほどの唐の石碑を見つけた。沈元は記憶力が非常にたけていたので、何度も朗誦を繰り返すが、傍らを歩いている粛王は気にとめないようであった。
人間を4つのタイプに分類した司馬光
北宋の政治家で、歴史家でもある司馬光(1019 - 1086)は、紀元前403年から紀元969年までの歴史を編年体で綴った『資治通鑑(しじつがん)』を編集した人物。この歴史書は、実際に政治を行う上での参考にすべき書として、後代の王朝では大変重宝され、司馬光も、偉業を成し遂げた学者として尊敬されている。
罪をとがめるより更生を励ます
悪行を改めるよう、寛大な心で更生を励ますことは、良知ある人を育てることに繋がる、というお話。1900年も前の物語とされる、「元」泥棒と賢人の典故を紹介します。出典は中国北宋時代に、学者・宋李昉らにより編纂された『太平御覧』の第900巻、兽部十二 牛下から。
【故事】悪事は隠せない 夢を見て悟った男
昔、子供がいたずらをすると年配の人がよく「お天道様がみているよ」と言って諭したものです。善行も悪行も、天がすべて見ているという感覚を養うことは、子供の躾において良い面があるのかもしれません。清朝の時代に書かれた「閱微草堂筆記」から、因果応報の理を説いた小説をご紹介します。
人生絶頂だった人が転落するのはなぜ?
億単位の宝くじに当たったのに、あっという間に使い果たして貧乏暮らしに逆戻りした人の話を聞いたことはありませんか?あるいは、人気絶頂だったスターがいつのまにか忘れ去られ、落ちぶれた生活を送っているとか…。
日本人の男性はすばらしい 香港の記者が感心したこと
最近、香港の新聞でこんな記事を読んだ。日本人の夫を持つ香港の女性が、子供を連れて香港ディズニーランドへやってきた時のエピソードである。
序章
ソビエトと東欧を支配していた共産主義政権の崩壊は、半世紀にわたって続いた東西冷戦の終わりを告げた。多くの人々は共産主義をすでに消失したものとみなし、過去の遺物になったと楽観的だった。しかし、実際には、共産主義のイデオロギーは変質した形で世界中に浸透し、着実に根を下ろしていた。
満場の神韻京都公演 「日本のルーツをさかのぼっていくと中国にいく」
まだ街に新春の静けさが残る京都で3日、神韻京都公演が開催された。昨年の新春公演でも盛況だった京都公演、今年も開演前からほぼチケットが売り切れ、入口付近に設置された神韻公演のボードの前には多くの来場者が引きも切らずに記念写真をとる姿が見られた。
第十八章:中国共産党のグローバルな野望(上)
20世紀初頭、ソビエトの共産主義が暴力的に起こしたロシア革命は、共産邪霊がさらなる舞台をお膳立てするための布石だった。舞台の主役は、もちろん中国共産党である。
おわりに
創造主は慈悲深く人類を見守っている。人類が神を裏切れば、災難が降りかかる。もし人類が、神から与えられた道に立ち戻るならば、救い済度されるだろう。人類が、見せかけに騙されず、動揺せず真に善の心を持ち、神から与えられた人間の基準を保ち、伝統的価値観を復活させ、伝統文化を取り戻すならば、神は人類を悪魔から救い出す。人類を堕落させ、壊滅させようとする共産邪霊の試みは失敗に終わるだろう。
7年ぶり満場の広島公演、閉幕後にも鳴り止まない拍手
7年ぶりの公演となった広島公演。29日、30日と行われた公演は満席となった。広島での公演をずっと長い間待ちかねていた人、また山口、岡山や山陰から来場した人も少なくない。30日、演目が全て終わり閉幕してもなかなか鳴り止まない観客の拍手。神韻公演は広島の観客にとって今年最後のよい締めくくりとなったようだ。
中国舞踊最高学府の卒業生、「神韻が真の中国古典舞踊」
14歳から中国舞踊を習い始めた古韵さんは、20歳の時、中国のプロのダンサーや振付師などを育成する最高教育機関、北京舞踊学院(北京ダンス・アカデミー)に入学し、中国古典舞踊を専攻した。中国国内で数々のコンクールで賞を獲得した古韵さんは、現在米ニューヨークに本部を置く神韻芸術団でプリンシパル・ダンサーなどとして活躍している。古さんはこのほど、大紀元時報英語版のインタビューを受け、神韻芸術団の中国古典舞踊は「正真正銘の中国古典舞踊だ」と話した。