【古典の味わい】貞観政要 11
貞観の初年の頃、太宗が侍臣に向かってこう言われた。「君主としての道は、まず人民が安心して生きられるようにすることだ。もしも、重税を課すなどして人民を苦しめ、君主が贅沢三昧をするならば、それは自分の足の肉を喰って自分の
【古典の味わい】貞観政要 9
太宗は医者に「この者を治療せよ」と命じた。
中国建築上の十の奇跡(七) ―京杭大運河
古代中国では、水路が経済発展と文化交流の重要な経路と保証であったため、人々は早くも春秋時代の末年に運河の建設を始めました。長い歴史の中で、運河は何度も改修されたり、補強されたりなど、ようやく南北の五つの主要な水路を繋げました。中でも、僅かに長江の長さに次ぐ京杭大運河は世界の水運史の前例を開きました。
【掌編小説】大運河の柳 白居易「隋堤柳」より
後世の中国皇帝は、我が身を戒めるため、何を見るのが良いか。隋堤の亡国の柳樹を見てほしい。
十羊九牧(じゅうようきゅうぼく)
十匹の羊に、九人の羊飼いがいること。官僚が多すぎて、効率が悪いことの例えです。国や組織を運営するには、リーダーが多すぎると混乱をきたします。時代が変わっても、それは同じですね。
誤解4:古代中国は遅れていて、専制的だったのでは?
秦の時代(紀元前221-206年)、皇帝は中国最高の統治者となりました。古代中国の文化には、憲法はありませんでしたが、儒教思想が権力を抑制する役割を果たしました。
中国版 受験生ブルース
【大紀元日本5月1日】中唐の詩人・孟郊(もうこう)の詩に「登科後」という一首がある。書き下し文で次に記す。 「昔日の齷齪(あくせく)誇るに足らず。今朝、放蕩(ほうとう)として思いは涯(はて)無し。春
【ショートストーリー】盲目の楽士
【大紀元日本2月12日】話は、隋朝の大業年間にまで遡る。 その王位を先代の文帝から継いだ煬帝は、即位後に一転贅沢を好むようになり、詩歌を草する風流人であった一方で、残酷な刑罰をも復活させ、民の恨みの
【文化論エッセイ】経世済民
【大紀元日本12月23日】わが国は、一説によると隣国である中国と2600年の付き合いがあり、その文化的な恩恵に浴するところは、奈良飛鳥時代の大宝律令を始めとして、火を見るよりも明らかである。 身の回