【三国志を解釈する】(14)忠義か不義か 献帝を取り巻く人々が現した義
呂布に従った陳宮は曹操に捕らえられたが、曹操に降伏せず、死ぬまで後悔しなかった。これは、国に有力な君主がない時、義の果たし方だ
【三国志を解釈する】(13)曹操は天 劉備は人 孫権は地 三国志演義が伝えた三才の文化観
董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。
【三国志を解釈する】(12)乱世の難題 答えが徳に潜む
人々が怒りの声を上げようと上げまいと、社会全体は意識的に正義を実践しており、董卓の行動は当然ながら非正義とされた。礼儀や法律は状況に応じて変わることがあるが、人間としての道徳感は変わることはない。古代人は明白に生きていた
【三国志を解釈する】(11)廃帝を叫ぶ董卓を盧植が論破
宦官に拉致された漢の少帝と陳留王を、官吏や将軍が見つけ出した後、西涼の刺史である董卓は、混乱に乗じて、皇帝を守るという名目で、大軍を率いて少帝のもとへ直行しました
【三国志を解釈する】(10)童謡が予言していた皇帝の運命と董卓の死
「帝は帝にならず、王は王にならず、千乗万騎は北邙山を追い駆ける」当時、子供たちに歌われたこの童謡は漢霊帝の死後、最後の二人の皇帝の運命を予言していた。作者は天意の存在を暗示している
【三国志を解釈する】(9)中国人に義を教えた「三国志演義」
古代の人々は、「天経地義」という規範を信じ、それは天の理と人の道に合致するという意味に限りません。『三国志演義』では、「天経地義」のもう一つの深い意味を明らかにしています。それは王朝の交代は、天が主導を行い、地が演じる役割を果たすことによる結果だということです。
【三国志を解釈する】(7)劉備 誓いを破り、大義を失い、白帝城に死す
劉備と張飛との出会いに続いて、ついに関羽の登場です。張飛の声は雷のごとく、勢いは奔馬のごとくというものでしたが、関羽の相貌は神将のごとく、一身に神威を帯びており、一見しただけで人々に畏敬の念を覚えさせるものでした。関羽は身の丈9尺(後漢の尺度では約208cm)、髭の長さは2尺(同じく約46cm)、熟した棗(ナツメ)の様な紅顔、唇は朱を塗ったよう、切れ長の目、太く逞しい眉を持ち、その風貌は堂々たるもので、威風は凛々たるものでした。
【三国志を解釈する】(6)張飛と劉備 剛と柔の組み合わせ
初めて読者の前に姿を現し、劉備と出会った張飛が、『三国志演義』ではこのように描写されています。
【三国志を解釈する】(5)劉備は腐れ儒者ではなかったのか?
前章では、黄巾軍が反乱を起こし、張角軍が幽州(注1)の国境に攻め込んできたので、状況は危機的であったということを紹介しました。総督である劉焉は、全県に義勇兵を徴集する召集令状を発行し、その召集令状が涿県(注2)に届いたということです。そこで、劉備が正式に登場することになり、「桃園結義」の物語が始まりました。
【三国志を解釈する】(4)黄巾の乱 道術を悪用した張角が残したもの
"霊帝の末期、黄巾賊が蜂起すると、各州、各郡はそれぞれの兵を動員し、劉備は部下を率いて鄒靖に赴き、実力で黄巾賊と戦い、安西の尉官を解任させました。これは歴史書『三国志』の中で、劉備が賊を倒して安西府の尉官になったことを記した原文です。これは、黄巾軍の真実は国賊と判断されており、中国の近代史教科書で歪曲された農民の蜂起ではなかったことを示しています。「州・郡の志願兵」こそ歴史書で認識されている義勇兵であり、各州や郡の政府が組織したボランティアで、官軍とともに黄巾賊と戦ったものです。
【三国志を解釈する】(3)桃園の誓いの時代背景 なぜ黄巾の乱は起こったのか
「三国志演義」の著者が「桃園結義」について語るとき、物語の背景を説明しなければなりませんが、この背景の説明は今日の小説とは異なります。それが非常に重要で、黄巾の乱の物語と世界の混沌の盛衰の根本的な原因を明らかにしています。その歴史観は明白であり、この部分を理解していないと、物語の本当の意味を理解することはできません。
【三国志を解釈する】(2)三国志が現代に伝えた遺産 「義」とは?
「三国志演義」は「義」をテーマとしています。この長い物語の巻頭は、劉備、関羽、張飛が張飛の屋敷の裏にあった桃園で血の繋がらない義兄弟として誓いを結んだ「桃園結義」(桃園の誓い)です。 では、この「義」とは何でしょうか。
【三国志を解釈する】(1)素朴な疑問 「三国志演義」と「三国志」の違いは何か?
諸葛亮、劉備、関羽、張飛、曹操の名を知らないものはいません。これらの英雄が活躍する三国志の何百もの物語のほとんどは『三国志演義』で語られていますが、これらの物語はすべて「三国志」を題材にしています。では「三国志演義」と「三国志」、この2つの作品はどう違うのでしょうか。