【大紀元日本2月9日】中国天津市で2月6日夜、当局の強制立ち退きに抗議した200人余りの人々が道路を塞いだ。多くの警察官が警備し、現場は交通マヒ状態に陥った。この他一部の立ち退きを受けた人々が午前中に市政府に陳情しに行ったが銃を所持した多くの武装警察官によって追い払われた。一部の陳情者は拘束され、パトカーに乗せられ連行されていった。衝突の中で、陳情者は暴力を受けたため怪我を負った。当局による民衆の陳情権利を暴力的にはく奪した行為を彼らは批判している。ラジオ自由アジアが伝えた。
天津市河北区の立ち退きを受けた張さんは、6日金曜の朝、当局職員数百人が彼らを家から強制的に立ち退かせ、当日の晩に至ってもその行為は続けられていたと話している。立ち退きを受けた人々200人以上は賠償金が少なければ立ち退きを拒否する考えで、同日午後9時ごろ家の前の道路を塞いで抗議した。
張さんによると、当時抗議者は少なくとも200人以上はいた。北泰路と北中路の交差点が塞がると、ちょうど十数人の警察官が抗議者らに向かってきていた。当局が提示した賠償金額はあまりにも低く、とても受け入れることは出来なかった。張さんらの家は1平方メートルわずか9千元ほどだという。市場価格は1万4千元なので抗議したという。
また当局は立ち退き承諾のサインがなく、協議もなく立ち退きを強行した。現在、家の取り壊しは続けられており、張さんらが警察に通報しても相手にされなかった。同夜、民家200軒以上が取り壊され、抗議者らは帰る家も、何もかも失ってしまった。
7日になっても人々の道路を塞いでの抗議は続いていた。警察官は行動を起こさなかったものの、双方の対峙が続いていたという。
この他、およそ20人が朝、市政府の入口で抗議を行い、武装警察官に追い払われ或いは逮捕されたという。
ある女性の話では、午前9時半ごろ、20人近い陳情者が市政府門前に集まり、当局の行為に対し抗議していたところ、間もなく大勢の武装警察官がやって来て弾圧されたという。一部の陳情者は捕まり、パトカーで連行され、さらには暴力によって皆を追い払った。彼女の息子も武装警察から暴力を受け、負傷した。
武装警察官は人を殴り、大声で「ここは市政府入口だ。市委員会の事務所だ。一般人が留まることを禁じる。留まれば殴る」と叫んでいました。私の十代の息子はこれに従わなかったため殴られました。この後さらに多くの銃を持ち、鉄のヘルメットを被った武装警察官がやってきました。皆、若くてたくましく、我々のような40代、50代の人々がかなうはずがありません。
衝突の中で数人は捕まらずに済んだが、他の人たちはパトカーで連れて行かれたと楊さんは話す。楊さん一家の3人は帰る家が無くなり、路上で野宿している。息子は立ち退きを拒否したため公安に殴られ、2度拘留された。陳情を続けた楊さんは当局に3度、毎回10日から15日の拘留を強いられたという。
楊さんは中国大陸には人権がないと批判している。「暴力と変わらない追い払い、逮捕拘留は一度や二度の問題ではない。我々に対しいつもこのような対応をする当局は、はなから人権、正義、正当な道理を軽視している。さらには我々を一人の人間として見ていない」と話す。
天津市民の巫さんは当局が思いのままに陳情者を拘束、労働教養所へ送ることを批判している。もし、身体が悪くなければ前のように市政府前に行って抗議し、五輪開催期間に受けた暴力的な抗議阻止を訴えると話している。彼女は、「我々多くの陳情者は皆、帰った後に当局に拘留され、労働教養所に送られたものも多い。私は昨年、北京へ陳情しに行き当局の催涙弾を使った弾圧を受けました。これらの化学物質で私の眼や心臓はダメージを受け、さらに肺もひどく傷つけられ今に至るまで完治していません」と訴えた。
記者は多くの陳情者の携帯に電話をかけた。しかし電話は電源を切られ通じなかったため逮捕された彼らの状況やどこに拘留されているのかを知ることは出来なかった。
暴力をふるった天津公安局の当番職員は電話を取らないことにより記者の取材を拒絶した。また、市政府の投書陳情弁公室、および市政府弁公室の電話にも誰も出なかった。
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