中国にはこんな言い回しがある。「北京の都市計画について、梁思成(訳注1)が正しかったことは歴史が証明している。だが、在りし日の北京は失われてしまった。三門峡ダムの建設について、黄万里(訳注2)の主張は正しかった。だがダムは建設されてしまった。中国のおかしなところは、まっとうな発言がことごとく無視され、発言者が冷遇され、それでも発言の正当性を主張すれば不適格者の烙印を押されることだ」
「まっとうな発言者」とは、正論を述べる人、明晰な判断を下す人、物事の白黒をはっきりつける人、高い道徳意識を備えた人などを指す。
例えば、人権派弁護士の高智晟氏。政治犯として政権から危険視されている被告人などの弁護も精力的に引き受け、政権が弾圧を続けている法輪功学習者や「地下教会(訳注3)」のキリスト教徒、低所得者層の農民や個人企業家らの救済にも尽力していた。中でも、2004年末から法輪功などの団体に対する非合法的措置を中止するよう求める意見書を何度も提出し、法輪功学習者からの「臓器狩り」を調査するよう再三求めていたことは敬服に値する。だが共産党政権は、「中国のもっとも優れた弁護士ベスト10」にも選出された高氏の弁護士資格を抹消し、強制失踪や凄惨な拷問を繰り返した上、刑罰を与えた。
これはもはや、冷遇といったレベルの話ではない。高氏のように、ノーベル平和賞候補にも挙げられた「中国の良心」とも呼ぶべき高潔な人物に対し、共産党政権は「不適格者」の烙印を押した。
共産党政権が、常にまっとうな人物の口を封じようとするのはなぜか。「偉光正(偉大で栄光あり常に正しい)」を自称する共産党は、一貫して「まっとうな発言者」を排除してきた。なぜなら、まっとうな者の主張や言動が、中国共産党の失策や邪悪さ、不正を浮き彫りにするからだ。中共にしてみれば、彼らの存在自体が脅威であり、中共が最も恐れている自らの不適格を露呈されることにつながるから、あらゆる手段を講じて「安定」を維持しようとする。
だから「まっとうな者」であれば、政権にとって「不安定」要素になり排除しなければならないが、政権におもねれば、こうした目に遭わされることもなく、政府関連の職にありつくこともできるし、出世を重ね、政治局に入ることも夢ではない。しかしそこには道義はなく、共産党政権の論理に他ならない。
正統性なく樹立した政権に支配されている国家において、当局にとって不都合な人間が淘汰されるという異常な状況が頻発することは、ある意味、至極当たり前のことだ。
一貫してまっとうな発言者を排除しようとするものは邪悪しかない。共産党政権の非合法性がこの点からも実証されている。
訳注1 梁 思成(1901年4月20日 – 1972年1月9日):中国の建築史家・建築家で、中国の古代建築や文化遺産の保護に尽力したことで知られている。
訳注2 黄 万里(1911年8月20日-2001年8月27日):中国の水文学、河川工学の専門家で、三門峡ダムの建設に反対した。
訳注3 地下教会:現在、中国政府が公認しているキリスト教教会は、カトリック系の中国天主教愛国会、プロテスタント系の中国基督教三自愛国運動委員会、中国基督教教会の3つ。中国はカトリック教会のバチカン市国と国交を断絶しているため、バチカン関連のカトリック教会は、非合法組織として当局の取り締まりの対象となっている。現在、中国のキリスト教徒の2/3が地下教会の信者とみられている。
(翻訳編集・島津彰浩)
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