1981年ごろ、平壌で撮影された金正日一家5人の写真がある。長男・金正男氏は子供のころ、執務室の席に座る父親から「大人になったら、ここに君は座り、命令を出すんだ」と言い聞かされた。2500万人の独裁政権国のトップに立つのは、兄弟で最年少の金正恩氏になるとは、2人とも当時は頭の片隅にもなかっただろう。
一国の指導者の長男であった彼の姿は、2017年2月、マレーシアのクアラルンプール国際空港の監視カメラに収められていた。群衆のなかに紛れる太った45歳の男性。禿げ上がった頭を帽子で隠していた。突如、若い2人の女性が、背後から正男氏を襲った。
マレーシアのクアラルンプール国際空港で2月、正男氏は殺害された。実行犯2人が使った凶器は国連が大量破壊兵器に指定するVXガス。一日数万人が利用する同国最大の国際空港で、白昼堂々行われた暗殺劇だった。正男氏は病院に搬送されたが、間もなく死亡した。他、在外公館の北朝鮮籍の男性8人が事件への関与を疑われたが、証拠不十分などで起訴されず、全員が北朝鮮に帰国したとされる。
米ニューヨーク・タイムズ紙2月15日の報道によると、北朝鮮当局による正男氏の暗殺未遂は2010年、2012年にも起きている。正男氏は2012年、国の指導者について間もない正恩氏に手紙で「私と家族を罰する命令を撤回してほしい。私たちに隠れるところはなく、唯一の逃げ道は自殺」と、暗殺の恐れを知り、計画の変更を懇願していた。
少なくとも5年前から計画されていた暗殺計画が今年2月、クアラルンプールで実行された。韓国の高麗大学教授で国家安全保障戦略研究所の前所長ナム・ソンウク氏によると、正男氏は身の危険を自覚していた。マレーシア滞在中に正男氏は「北朝鮮の諜報機関に密かに追われている」と、韓国の諜報機関に連絡していたという。
「正恩氏は長期に渡って権力者の席に座り、世界の大国と対等に交渉したいと考えている」と、ソンウク氏は最近、米紙GQの取材に答えた。「その唯一の手段は、武力による威嚇と恐怖を保つこと。これ(異母兄の暗殺)は彼が描く壮大な計画の一環に過ぎない」と述べた。
空港監視カメラに映る正男氏は、暗殺当日、身なりの良い白いスーツ上下で、マレーシアから定住先のマカオへ戻る準備をしていた。朝日新聞6月の報道によると、遺留品の手持ちカバンには現金12万ドル(約1300万円)が入っていた。マレーシア捜査当局はこの多額の現金について、直前に米国諜報機関と繋がる米国籍男性と面会しており、北朝鮮に関する内部情報を受け渡した報酬だと推測している。
中国当局は、マカオにいた正男氏を保護していたと考えられている。韓国情報機関は、中国共産党高層指導部の子弟からなる「太子党」と深い交友関係を持つ金正男氏に関して、中国当局は金正恩政権が崩壊する場合、金正男氏を新たな指導者に擁立する狙いがあったと分析する。
しかし、正男氏は、中国当局に守られることなく殺害されてしまう。これについて、中国側は北朝鮮をすでに「見限った」との見方がある。中国清華大学現代国際関係研究院の閻学通・院長は2016年2月、ニューヨークタイムズの取材に対して、「習近平政権はもう北朝鮮を盟友として見なしていない」と述べている。
(翻訳編集・佐渡道世)
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。