マカオ紙・澳門導報は3月25日から今月15日まで、温家宝前首相が昨年12月に亡くなった母親を偲ぶ長文を4回に分けて掲載した。専門家は、温氏がこの寄稿を通して、習近平現政権の不満を示唆したと指摘した。中国ソーシャルメディアの微信(ウィーチャット)では、同記事の転載が禁止された。
温氏によると、元教師である母親、楊志雲氏は生前、簡素な暮らしを好み、貧困な弱者に同情し、生徒に慕われていた。母親の教育で、自身が中国伝統文化や「岳飛」「諸葛亮」などの歴史的人物の物語に親しんでいたという。
中国の政治的中枢で28年間務め、そのうち10年を首相として国政に関わったことを振り返り、当時は「薄氷を履み深淵に臨むようだった。最初から、いつでも辞めるという覚悟していた(如履薄冰、如临深渊,受事之始,即常作归计)」と示した。
同文章の中で、温家宝氏は「私の心の中で、中国は公平かつ正義を貫く国であるべきだと常に考えている。ここでは人の心、人間性、人間の本質が常に尊敬されるべきだ」などと述べた。
また、温氏は、父親が文化大革命当時、「乱暴な『取り調べ』をよく受け、暴行を振るわれ罵声も浴びせられた」と大変苦労したことを紹介した。
中国国内SNS、微信は、温家宝氏の同文章が同社の運営ポリシーに違反したとして、「他のユーザーとの共有を禁止する」との警告ラベルを表示した。
豪シドニー工科大学の馮崇義教授は、温氏の主張が現在中国当局のプロパガンダ宣伝の方針に相反しているため、中国ネット検閲当局に転載を禁止されたのは「予想通りだ」と大紀元に語った。
馮氏によると、温氏が首相だった当時から、プロパガンダ宣伝や司法・警察などを管轄する江沢民派の高官らと仲が悪かった。「彼は、当時の最高指導部(チャイナ・ナイン)の中で、最も権力を持っていないメンバーであった。首相の退任後も、温氏は公の場で発言することは少なかった、仲間外れにされていた」という。
「温氏は香港・マカオの政界では、まだ人脈があるのでマカオ紙で文章を公開したのではないか」と馮氏は推測した。
同氏は、温家宝氏がこの長文を通して習近平政権への不満を示唆したとした。
温氏は政界引退した際、中国が(民主、自由、平等、人権、法治などの)普遍的な価値観を追求し、政治体制の改革を行い続け、さらに文化大革命の再燃などを防ぐ必要があると訴えた。
「これらの発言から、経済政策を担当していた温氏が、首相として政治体制の改革に携われなかったことを悔しく思っていることを推測できる。今回の寄稿から、独裁体制がますます強まっている今の中国が、温氏が望む中国のあるべき姿とは、大きくかけ離れているという現状に対して、彼の強い不満と失望が見受けられる」
一方、馮崇義氏によると、親が教員という平民出身の温家宝氏は首相在任中、紅二代(中国共産党の長老らの子弟)に見下されていた。馮氏と近い関係にある紅二代は、「温家宝氏の話を信じないでください。私たちは彼の言ったことを本気にしたことはない。国務院から送られた彼の指示(政策通知書など)は全部捨てた」と明かしたという。
紅二代のなかで、温家宝氏を最も敵視していたのは薄熙来・元重慶市トップだった。薄氏の失脚には、温氏が大きく関与したと馮氏は語った。「温氏は薄熙来氏の逮捕を強く主張した。薄氏が将来、文化大革命を再び起こすのではないかと温氏は心配していた」
(翻訳編集・張哲)
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