中国共産党の第20回全国代表大会(党大会)で、習近平が再任できるかが決まる。今回の中国最高指導部における熾烈な権力闘争は、習が最高指導部入りした第17回党大会(2007年11月)の時と同じくらいの激しさを見せている。習が現在、同政権に挑む党内最後の陰の勢力、江沢民・曽慶紅勢力に全力で対抗しようとしているのが様々な事象から見受けられる。
筆者はかねてから、「北京(最高指導部)の内部者が提供した確かな情報」を基に、国内情勢を判断しないようにしている。
ニューヨークに本部を置く米国の中国語メディア「多維新聞」は最近、『鄧小平南巡30年』シリーズを掲載している。記事は、習近平が鄧小平の改革開放路線を受け継いでいくと示したほかに、江沢民元国家主席の名前に複数回、言及した。記事は、江沢民の政治的失敗は腐敗行為だけではないと主張した。特に、1月24日に掲載された『南方談話前後における2つの力の争い』は初めて江沢民について、鄧小平の改革開放路線を否定する政治的対立側にいたと非難し、「(江沢民による)路線闘争」と表現した。
路線闘争:中国共産党内の死闘
中国共産党の歴史に詳しい人であれば、「路線闘争」という言葉の重みがわかるであろう。中国共産党が成立してから100年の間に、計11回の路線闘争を経験した。それらのほとんどが、党の最高指導部の生死にかかわる権力闘争であった。
多維新聞24日の記事によると、1989年5月20日に鄧小平ら最高指導部が、趙紫陽の後任として、当時の上海市党委員会書記である江沢民を党の総書記に抜てきした。同月31日、鄧小平は、李鵬や姚依林と会談して「改革開放政策を変えてはいけない。(将来)数十年にわたり変えることなく最後まで実施する。党の第11期中央委員会第3回全体会議(1978年12月開催の重要会議)以来の路線、方針、政策を徹底的に実行していく。(路線などに関する)言葉の表現も変えてはならない」と発言した。
それは「1つの中心、2つの基本点」にまとめられる。すなわち経済建設を中心に、改革開放、4つの基本原則を堅持することである。そのなかで、鄧小平が最も重く考えていたのは「改革開放を堅持する」ことで、自身の重要な政治的遺産と見なしていた。
当時の中国共産党内では、長老らが支配権を握っていた。鄧小平と陳雲の2人の下で、中国は二頭政治体制となっていた。鄧小平が改革開放を望むのに対して、陳雲は計画経済体制を続けたかった。「六四(1989年天安門事件)」以降、党内の主流は改革を否定し、陳雲が鄧小平を抑えつけようとしていたことは明らかだった。江沢民は利害関係を考え、鄧小平ではなく、陳雲寄りの立場を取った。
江沢民が1989年(党の総書記として)初めて行った「七一談話」は、「社会主義的改革観と資本主義的改革観を見極めよ」と主張し、反和平演変を党の教育政策として堅持していくと指示した。
1991年、江沢民は共産党建党70周年の演説の中で、資産階級自由化を8回、和平演変を9回口にした。江は「現在の階級闘争の焦点は、4つの基本原則と資産階級自由化の争いに集中している」と話した。後継者の育成について、江は「社会主義現代化の建設と改革開放を実践するなかで、または資産階級自由化の反対と和平演変への対抗を実践するなかで、幹部らを考察し育成していく」と述べた。江は、階級闘争と資産階級自由化の反対に触れ、さらに改革開放を、反資産階級自由化と反和平演変に並列した。これは鄧小平の改革開放路線と幹部育成の「第三梯隊」計画を完全に否定したこととなった。
ただ、多維新聞の同記事は、当時中国の人々の間で流れていた江沢民に関する噂話について触れなかった。噂によると、江沢民は「万元戸(金持ち)を破産させていく」と号令をかけた。
この情勢の下で、改革開放政策が頓挫するのを座視できなかった鄧小平は1991年旧正月、まず上海市に行き、陳雲と面会しようとしたが、陳に拒まれた。しかし、鄧は上海で党中央軍事委員会を所管している楊尚昆と2回会った。2人は意見が一致した。鄧は、楊尚昆をはじめとする軍当局の支持を得て、1992年1月18日~2月21日までの日程で「南巡」をし、情勢を好転させた。楊尚昆が鄧小平陣営に加わったことで、鄧勢力が陳雲側よりはるかに優勢になったため、2年8カ月ためらった江沢民は最終的に鄧小平陣営を選んだ。
これらのことは、筆者と同じ世代の中国人が当時身を持って経験したことであろう。
それ以降、江沢民・李鵬・朱鎔基体制と胡錦涛・温家宝体制は「鄧小平の改革開放路線を堅持する」と強調してきた。江沢民が鄧小平陣営を取るか、陳雲陣営を取るかと悩んでいたことは、もはや話されなくなった。米国人投資銀行家、ロバート・ローレンス・クーンが執筆した『中国を変えた男 江沢民』も、このことについて明確に説明できていない。この本に関して、海外では、中国国内で発行された中国語バージョンは、「六四」などのセンシティブな問題を含む英語バージョンの5%を削除したものだと話題になった。
江沢民の功績が「中国を変えた」のであるなら、江はその間、陳雲の路線に従いそれを実施していたことを自ら話すことはないだろう。過去のこととして、中国共産党中央委員会の膨大な文献のなかに消えていくしかない。
24日の記事は、国営新華社の元記者である楊継縄の著書『中国改革年代における政治闘争』の内容を引用した。しかし、多維新聞はこの記事のなかで、楊継縄が2010年に本が発行された後、中国共産党中央宣伝部にたびたび呼び出され聴取を受け、本の宣伝・流布を禁じられたことに言及していない。本を広めることを禁じるのは、もちろんセンシティブな内容を広めることを禁止するためである。このなかに、江沢民は過去、鄧小平を裏切って陳雲側に付き「路線の過ち」を犯したことも含まれる。
多維新聞の江に対する態度変化
多維新聞は、江沢民に対して常に厳しいわけではなかった。習近平が最高指導者になった後、2015年1月17日、多維新聞は『内外激変の中で起用 江沢民の功罪』を発表し、江沢民を擁護した。
この記事は最初から、江沢民の無実を訴えた。
記事の作者は、「複数回、死亡説が流れていた元指導者の江沢民は今、生涯最も厳しい政治的嵐に直面している。第18回党大会で指導者となった習近平はこの2年間、『トラとハエを一緒に叩く』と大声で叫び、『反腐敗』という刀を振り回している。摘発されたのは全部、江沢民派のメンバーだ」と指摘し、「問題なのは、部下の腐敗行為だけで指導者の功罪を決めてよいのかというところにある。江沢民の場合、周りの人々のだらしなさで、江沢民本人に歴史的罪人というレッテルを貼っていいのだろうか」との疑問を呈した。
作者は、江沢民時代の深刻な腐敗問題について、江の「過ち」であると否定しなかった。「当時世論には、毛沢東時代の幹部は清廉で、華国鋒時代の幹部は跡形もなく消え去り、鄧小平時代の幹部は皆百万長者で、江沢民時代の幹部は国庫が空っぽになるまで着服した、という言い方があった」と記事は示した。
しかし、江沢民の「功績」について、「江沢民時代の官僚の一部は品行が悪かったが、その他の多くは改革開放を推進するプロセスにおいて主な役割を果たした。もし、総設計師として鄧小平の最大の功績が、高齢にもかかわらず原則を持ち続け、改革開放を揺るぎなく堅持し、さらに自ら南巡の旅へ出たことであるなら、江沢民の功績は鄧小平が設計した改革開放の未来図に従い、改革開放を実践したことであろう」と作者は強調した。
多維新聞は2019年ごろ、江沢民に対する態度を変え始めた。数年前、筆者はツイッター上で、多維新聞は中国当局の対外プロパガンダ機関の1つだと指摘した。この投稿に、中国共産党体制の内部者とみられるユーザーが「多維新聞は対外プロパガンダ機関ではなく、党内の某派閥のメディアだ」とコメントした。これに関して筆者は賛成する。この見方に基づけば、多維新聞が以前に江沢民派閥を擁護していた理由を容易に理解できる。
江沢民批判
多維新聞は昨年、中国共産党建党100周年を祝い、『特集:政治の舞台上と裏、中南海の高齢政治家に焦点』シリーズを発表した。その中の1つの記事『江沢民:なぜ最も注目される中共の高齢政治家になったのか』は非常に興味深い。この記事は、江沢民の目立ちたがり屋という性格を指摘し、江の2つの「過ち」について批判した。
1つは、第16回党大会(2002年11月)で胡錦涛に政権を移行したにもかかわらず、江沢民は全権を譲ることなく、依然として2年間、党中央軍事委員会主席の座に居座っていたこと。しかも、江は、同委員会にある専用オフィスを第18回党大会(2012年11月)の開催直前まで使っていた。
オフィスが2012年まで使われていたことは、胡錦涛政権において、江沢民の中国軍への影響力が10年間も続いたということになる。第18回党大会で、胡錦涛は政界を引退した。胡はその後、役職に一切就かなかった。これによって、指導者が引退後も指導部に影響力を及ぼす可能性を排除した。胡は行動で自身の任期中にあった「老人政治(長老支配)」に終止符を付けた。
2つは、第18回党大会以降に失脚した高官のなかに、例えば、党中央軍事委員会の徐才厚・副主席と党中央政治局の周永康・常務委員のような江沢民時代に起用され、2013年に習近平政権の反腐敗キャンペーンによって相次いで転落した高官は、実際に政権運営に口出ししていた。
この記事は、周永康が2012年3月19日深夜、武装警察部隊に指令して、中南海の新華門でクーデターを起こし失敗に終わったという情報について取り上げていなかった。
今、多維新聞はようやく江沢民の3つ目の「過ち」を指摘した。すなわち、24日の記事で言及した江が天安門事件後の2年8カ月間に鄧小平の改革開放路線を巡って過ちを犯したことだ。これは最も重大な過ちと言える。
対外プロパガンダ機関が送ったサインははっきりとしている。さらに、人民日報1月22日付の評論記事を見れば、江沢民・曽慶紅派閥はすでに清算の対象となっていることがわかる。
評論記事は、「ゼロ容認の姿勢の腐敗懲罰を、人民大衆の利益を害するすべての腐敗行為を正すことを、重要な少数派による上から下への指導を、党と国家の監督体制の完全化をそれぞれ堅持する。自我革命で偉大な社会革命をリードし、厳格に党を治めることをさらに深化し推進していく」という習近平の過去の演説を抜粋した。
江沢民・曽慶紅派閥のなかで、江沢民は今象徴的な存在に過ぎないことをここで強調しておきたい。共産党内で今、習近平を挑発できるのはこの勢力しかない。習近平に不満を持つ他の勢力も江・曽派閥に期待を寄せている。習近平は、反習勢力の結束に警戒し、他の勢力が頼る江・曽派閥という大木を倒そうとしている。
(文・何清漣、翻訳・張哲)
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