急死した李克強前首相の追悼活動を禁止 鎮静化はかる中国政府 

2023/11/06 更新: 2023/11/06

先月27日に急死した中国の李克強前首相に対して、一時期、多くの民衆が花束を手向けるため、同氏のゆかりの地を訪れる追悼活動が進んだ。

しかし、こうした「追悼の動き」をきっかけとして政府への抗議活動が起きることを警戒する中国政府は、李氏の追悼に関する書き込みや閲覧に対する制限など開始。一転して、当局の検閲が強まっている。

一夜にして消えた「花束の海」

中国の主要SNSの人気検索ワードから、李克強氏の検索ワードのトレンドは「消えた」。いや、消された、というのがより正確な表現であろう。一部の大学へは、李氏の「追悼活動の禁止令」が届いている。

それでも政府は、一定の「ガス抜きが必要」と考えたのか、安徽省の省都・合肥市にある李克強氏の生家や、李氏にゆかりのある場所(以前に赴任した勤務地など)での追悼活動について、これまでは「大目に見てきた」といってよい。

 

(多くの民衆によって「花束の海」となった、李氏の生家周辺)

しかし、その「寛大さ」にも、ついにピリオドが打たれたようだ。

北京で李克強氏を火葬した翌日(11月3日)には、市民による自発的な献花が絶えなかった同氏の生家周辺にあった「花束の海」は、前夜のうちに完全撤去され、跡形もなく消えたことがわかった。

同氏の死去以来、連日のように花束を手にした大勢の市民が長蛇の列をつくり、大混雑したこの場所が、まるで初めからから何もなかったかのような静寂を取り戻した。

その激変ぶりが、かえって今は一種の異様な空間を際立たせている。もちろん、付近には私服警官が複数配備されているだろう。

「本心ではない追悼」が何を意味するか

このような、当局による「急ぎ過ぎるほどの撤去」について、多くの市民は「李氏が残した政治的影響を、早急に消すためだろう。当局は、民衆が李氏の死を一刻も早く忘れることを望んでいる」と考えている。

また、多くのアナリストは「民衆が李克強氏の死を悼むのは、彼が何か輝かしい功績を残したわけではなく、人民のために何かをしたわけでもない。民衆はただ、これを機に中国共産党当局に対する不満を発散させているだけだ」と分析する。

毛沢東という人物が、中国人民に膨大な苦難と損失をもたらした恐るべき魔王であったことは、史実からして間違いない。しかし、その死(1976年9月9日)にあたって、中国人民は、大声をあげて号泣した。

一種の集団的トランス状態になったということもあるだろう。何よりも、神格化された毛沢東を崇拝するよう、骨の髄まで民衆を洗脳してきた結果でもある。「文革の悲劇は、全て四人組の横暴が招いたことだ」。そう思わずにはいられない、民衆の心情もあった。

毛沢東死去のあの時、中国の民衆が、その死を悲しんで大泣きしていたのは、確かに「本心」からであった。この場合「泣いたフリをしなければ自身が守れない」という北朝鮮のような事情は、ひとまず考えなくてよい。

いっぽう今日、李克強氏へ花を手向ける民衆に、そのような「本心」からの追悼はない。

李克強氏も、所詮は中国共産党の一官僚である。李氏が、個人としての人柄はどうであれ、それこそ民衆が本心では嫌悪している中共の党員であることは変わりない。まして李克強氏がその在任中、民衆に尊敬され敬愛されるほどの大きな業績を遺したわけでもないのだ。

当局は「何を恐れているのか?」

にもかかわらず、このたびの李克強氏の死に際し、生花店がさぞや繁盛したであろうと思うほどの大量の花束が寄せられたことには、故人への追悼とは全く別の意味があるとみてよい。

なかには、こうした追悼の波が過ぎた後で「この怒涛の民意を利用して、習近平を引きずり下ろそうと企む者も出てきそうだ」とする声さえある。習近平氏の現体制は、やはりそれを恐れている。

李氏の葬儀は、北京市にある墓苑で2日午前に営まれた。習近平国家主席や中国共産党の幹部らがこぞって出席し、遺族である程虹夫人を弔問する様子を中国中央テレビなどが報じた。

いっぽう、火葬の当日(2日)から合肥市の李氏の生家周辺には、ほとんど戦時に近いような「戒厳令」が敷かれた。

大勢の公安や私服警官が間隔を密にして立ち、異様なほどの警戒に当たっていた。いったい何を恐れての「警戒」であるのか理解に苦しむが、そうした過剰な警戒ぶりから浮かび上がる「現体制の危うさ」について、当局は隠す術をもたないようだ。

ネット上に流れている動画によると、11月1日の夜から、李氏の生家周辺の「花束の海」の片付けは始まっていたようだ。2日の葬儀を終えた翌3日の朝には、花1本さえもなくなっていた。

 

(11月1日の夜から、李氏の生家周辺の「花束の海」の片付けが始まる。そして3日の朝には、何もなくなっていた)

「この蒼天には、眼がついている」

李克強氏の「突然過ぎる死」をめぐっては、今も話題が尽きない。

療養先の上海のホテルのプールで泳いでいたときに心臓発作で死去。とは言うが、その死に至るまでの過程で「死亡時の不自然さ」や「医療処置の不備」など、指摘される多くの謎がある。

さらには、あくまで噂ではあるが「上海武装警察総司令の陳源氏に毒殺された」など、各種の暗殺説も未だに尽きない話題になっている。

ともかくも、李氏には「習近平に冷遇された、中国史上、最も哀れな首相」としてのイメージが、中国の民衆のなかで定着しつつある。いっぽうで李氏が今年3月、約10年にわたる首相(国務院総理)の大役を終え、国務院本部庁舎前でスピーチした際に発した「ある言葉」が、再度注目されている。

その言葉とは「人々は、いつもこう言う。人のなすことは、すべて天が見ている。この蒼天には、眼がついているのだ。(人們常説:人在幹,天在看.看来是蒼天有眼啊)」である。

この一句は、李氏への弔辞のなかで、たびたび引用されてきた。しかし李克強氏自身が、それから7か月後に、鬼籍に入ることになるとは思いもよらなかっただろう。

李氏が、その言葉「人在幹,天在看(人のなすことは、すべて天が見ている)」を、何らかの具体的な予言として遺したとは思われない。

ただし、多くのアナリストが口をそろえるように「中国共産党崩壊へのカウントダウンは、すでに始まっている」という事実を、逃げられない「天罰」の意味でとらえるならば、李氏の言葉はまことに整合性があると言える。

自身が「現代の毛沢東」になることを夢見る習近平氏に、李氏の遺訓である「人在幹,天在看」が共有される可能性は、おそらく極めて低いだろう。

李凌
エポックタイムズ記者。主に中国関連報道を担当。大学では経済学を専攻。カウンセラー育成学校で心理カウンセリングも学んだ。中国の真実の姿を伝えます!
鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。
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