李克強氏は亡くなったが、その死因には広範な疑問が持たれている。一般的に彼は「心臓病にさせられた」と見なされている。近年、中国共産党(中共)の高官や企業家が突然不審な死を遂げるケースが増えている。
中共の第20回大会の後、習近平氏の第3期の人事配置では、中央政法委員会のトップである陳文清氏と公安部長である王小洪氏が中央書記処に就任し、政治局常務委員の7人のメンバーの中に2人の公安関係者が含まれることになった。これは、中共が警察・スパイを使った治国の傾向を強めていることを示している。
元中国公安大学の講師である高光俊氏は最近、新唐人テレビの番組『菁英論壇』で、習近平氏がスパイ政治をさらに進めたと明らかにした。高氏は「2018年頃、習近平氏は中央軍事委員会行動局という特別な部署を設立した。この行動局の唯一の任務は暗殺と誘拐である。行動局は中共党内の官僚たちに恐怖を与え、怯えさせている」と述べた。
高氏は例として、中共20回大会の会場で李克強氏は自分の恩人だった、前中共主席、胡錦濤氏が退場させられた姿を見る勇気さえ持てなかった事を挙げた。その時、李克強氏が感じた恐怖は習近平氏が意図的に作り出した雰囲気であり、習氏がこのようにしたのは誰も自分に挑戦しようとは思わないようにするためのものだった。
突然死する中共幹部の子女たち
高光俊氏はさらに、習近平氏が政権を握って以来、中共の幹部の子女が突然死する割合は文化大革命時を除いて最も高いと警鐘を鳴らしている。李克強氏の他にも複数の高官が謎の死を遂げている。
中共中央警衛局の前局長 王少軍
2023年7月には、中共中央警衛局の前局長、王少軍氏が「病気のため」として、2023年4月26日に亡くなったとメディアが報じた。王少軍氏の死は約3か月間伏せられていたが、その死因には疑念が持たれ、内部の不透明な事情が噂されている。
評論家の石穿雲氏は、王少軍氏が権力闘争の犠牲となり、習近平氏の命令で殺害された可能性があると述べている。また、李克強氏の大学の友人、中国民主党海外分部の責任者である王軍濤氏は、習近平氏が王少軍氏に問題があると感じ、彼の命を絶ったのかもしれないと分析している。
中共の元財政部長 金人慶
中共の元財政部長、金人慶氏は2021年8月27日に自宅のバルコニーで火災により、重傷を負い、病院に運ばれたが治療の甲斐なく享年77歳で亡くなった。地元の噂によると、金人慶氏の妻は10日前に亡くなり、その日の深夜、彼は紙幣を焼いて妻を供養していたところ、怪しい火事を起こした。彼は身体が不自由で車椅子を使用していたため、火事が起こった際に自力で脱出することができなかった。不思議なことに、官製メディアの新華社通信は彼の死について長らく報じなかった。
上海の前市長 楊雄
2021年4月12日の早朝、上海の前市長である楊雄氏は心臓発作で突然亡くなった。楊雄氏は友人によって近くの華山病院に運ばれ、到着した際には「重要人物」とのみ伝えられ、官職を示す通報もなく、高官が持つべき「赤いカード」も携帯しておらず、医師による特別な救命措置も行われなかったとの情報があった。
楊雄氏の死は、同じく心臓病による突然死であり、68歳で亡くなった李克強氏の死と多くの類似点がある。楊氏の死因についても外界からの疑問が提起されたが、葬儀は控えめに行われ、その後は何も語られなくなった。
楊雄氏は、江沢民の長男・江綿恒氏の側近であり、2012年の中共第18回大会で例外的に上海市市長を兼務し、翌年正式に市長となった。当時、習近平氏が自ら信頼する人物を上海市長に据えようとしていたが、江綿恒氏の介入により断念せざるを得なかったという情報が漏れ伝えられている。
「紅二代」陳小魯
中共の元帥の一人である陳毅の息子で「紅二代」として影響力を持つ71歳の陳小魯氏も2018年2月28日、心臓発作で海南市で突然亡くなった。多くのメディアが彼の健康状態が良好であったと報じていたが、突然倒れ、海南島の三亜301病院での治療も功を奏せず死亡した。これも李克強氏の死と類似している。
陳小魯氏は「紅二代」の中でもかなりの影響力を持っており、彼は公開の手紙を通じて、文化大革命の時に起こった批判と教師への侮辱に対して謝罪を行った。陳小魯氏の親しい友人が私的に漏らしたところによると、陳小魯氏はある食事会での数言が不幸を招くことになったらしい。
その場にいた人が陳氏に向かって、「習は薄熙来よりも左翼かもしれない」と言った。これに対し陳氏は、「中国はこれ以上の混乱に耐えられない。もし彼が本当に古い道を歩むのなら、一期で交代すべきだ」と述べた。しかし、この発言が習氏の耳に入り、1週間も経たないうちに陳氏は海南で急死した。
ビジネス界でも続く大物の不審死
中共党内の幹部だけでなく、一部の企業家や著名人の突然死の割合も、過去の鄧小平時代や胡錦濤・温家宝時代と比べてはるかに高い。これらのビジネス界の有名人も死因について広く疑問を抱かれている例が少なくない。
中植企業集団創業者 解直錕
中植企業集団の創業者である解直錕氏は2021年12月18日に心臓病の発作で、61歳で死亡した。しかし、噂によれば解直錕氏はヨガルームで死亡しており、発見された時にはヨガロープが彼の首を絞めていた。自殺だと言う声もあれば、殺害されたとの声もある。
中国先鋒金融集団の会長 張振新
中国先鋒金融集団の会長、張振新氏は、2019年9月18日に英国のロンドンにあるチェルシーウェストミンスター病院で亡くなった。公式には多臓器不全、アルコール依存症、急性膵炎による救命措置が効かずに死亡したとされるが、48歳だった張振新氏がそのように体調が悪かったとは多くの人は信じられないようだ。
海航集団創業者 王健
2018年7月4日には、海航集団の創業者である57歳の王健氏が、フランスの公務調査中に写真を撮っている最中に10メートルの崖から転落して死亡した。外界では王健氏は「投げ落とされた」と疑われている。
死に至らなかったものの誘拐されたケースもある。
2017年1月、カナダ国籍の華僑で億万長者、明天集団の創設者である肖建華氏が香港のフォーシーズンズホテルから秘密裏に誘拐され、中国本土へ連れ戻された。5年の沈黙の後、肖建華氏は2022年7月4日に中国で法廷に立った。
2015年10月、香港の銅鑼湾書店の元株主でスウェーデン国籍の香港人、桂民海氏がタイで中共当局によって誘拐された。
振り返ってみると中共の全発展史を通じて、実際、スパイ政治は常態化している。周恩来は最初にKGBの訓練を受けた後、上海で特別行動科を組織し、暗殺や誘拐を行っていた。そして狙われたのは国民党の要人だけでなく、共産党内部においても暗殺や誘拐を大々的に行っていたという。
また1931年5月、周恩来は特別行動科のメンバーを率いて国民党に投降した顧順章一家9人全員を惨殺し、死体をその場で埋めて証拠を消し去っている。
また中国共産党の路線闘争中には、毛沢東と別の指導者である張国焘に対する暗殺計画もあったが、これも失敗に終わった。その後、張国焘は最終的にカナダへと逃れた。
高光俊氏は、「習近平氏が最も称賛しているのはソ連共産党であり、彼が最も模倣したいのもソ連共産党だ。その一環として、誘拐と暗殺の行動を模倣することがある。そのため彼が政権を執った後『中央軍事委員会行動局』のような組織を再構築した」と述べている。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。