最近、中共(中国共産党)の党首習近平は、「相手に三尺を譲っても問題ない」として知られる安徽省桐城市の六尺巷を訪れた。この訪問について、元大陸メディアの関係者は習近平が「退意を示した」と指摘する。
また、中共元ナンバー2であった王岐山も隠退前に六尺巷を訪れたことが報じられている。さらに、習近平は最近「失勢」の兆候があるとも言われている。
中共のメディアは10月18日に、習近平が17日から18日にかけて安徽省を視察したと報じた。17日の午後、習近平は安慶市の六尺巷を訪れ、「ここに来てみて、とても感慨深い」と述べた。
六尺巷の由来は清朝の康熙年間に遡る。当時、大学士の張英と隣人の呉家は宅地に関するトラブルを解決するために、お互いに三尺の土地を譲り合った。その結果、六尺巷が誕生した。このことから、「相手に三尺を譲っても問題ない」という意味が生まれた。争う際には、一歩引いて譲ることが重要である。
公式な報道によると、習近平が安徽省を訪れた際、同行していたのは副国家級高官は副総理の何立峰だけだった。
18日、元中国メディア関係者の趙蘭健氏はXプラットフォームで習近平の六尺巷訪問について解釈し、この行動は「明らかな意味を持つ」とし、習近平が「退意を示した」ことを表していると述べた。
王岐山との関連性 六尺巷訪問の歴史的背景
また、趙蘭健氏は習近平政権一期目時のナンバー2である王岐山が隠退前に六尺巷を訪れたことにも言及した。
趙蘭健氏は2018年3月に安慶市を訪れ、安慶日報社のリーダーと会った際に、王岐山が六尺巷を訪れたという話を聞いたと述べた。その時、地元の文化人である友人が趙蘭健氏に説明したところによれば、これは王岐山が隠退前にここで告白したもので、「相手に三尺を譲っても問題ない」ということだった。
今、王岐山の三人の旧部下が次々と死刑執行猶予の判決を受けた。これには中央巡視組前副組長の董宏、中国招商銀行前行長の田恵宇、中央銀行前副行長の范一飛が含まれる。これに先立ち、王の親友である不動産業界の大物である任志強は18年の刑を言い渡された。
王岐山は2018年3月に国家副主席に転任して以来、控えめな姿勢を保ち、2023年3月に完全に引退した。
評論家の蔡慎坤氏は、2016年7月16日に王岐山が20人以上の親しい旧部下に向けて、「これが皆さんとの最後の食事会です。今後はこのような機会はないでしょう。私も年を取り、皆さんを守る能力もなくなりました。皆さんはそれぞれの道を歩んでください」と語ったと述べている。
『大紀元時報』の編集長、郭君氏は『精英論壇』で王岐山が習近平に見捨てられたと述べている。しかし、王岐山は自分の経験から公に不満を表明しない可能性がある。それでも、政治は恐怖に基づいており、習近平が王岐山が自分に不利をもたらすことを恐れている限り、疑念が生じれば王岐山に問題が起こるかもしれない。
中国の政治動向 習近平の行動に隠されたメッセージ
習近平が突然六尺巷を訪れたことは、さらなる憶測を引き起こした。
その前に、習近平は軍の重要な会議に連続して欠席し、軍委副主席の張又俠が会議を主催したため、習近平の軍権が「他人の手に落ちる」のではないかという憶測が生まれた。
9月末、中共の経済政策が180度の大転換を遂げ、1か月前に堅持していた「経済の基盤や根本を固め、経済の活力や生命力を養うこと」を覆し、大規模な経済刺激策を突然発表した。中共の建国記念日の宴会では、元政治局常務委員の李瑞環と温家宝が習近平の左右に座り、ネット上では中共の長老たちが習の経済政策に影響を与えたのではないかという憶測が広がっている。
最近、習近平は福建省を視察し、台湾近くの前線の島々も訪れたが、公式な報道では習近平が軍隊を視察したという情報は伝えられていない。
習近平が福建省と安徽省を訪れた際、いままで常に同行していた政治局常務委員で中央弁公庁主任の蔡奇の姿は見られなかった。
一方で、新華社が19日に突然報道したところによると、17日に習近平がロケット軍の旅団を視察し、軍委副主席の張又俠が同行したと伝えている。
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