中国共産党前軍事委員会副主席の許其亮(きょ きりょう)が急死した。発表上の死因は心筋梗塞であるが、権力闘争や軍高官の粛清との関連が取り沙汰され、政局の不安定さが一段と広がっている。
6月2日、中共当局は、許其亮の死を「病死」と公表し、享年75だが、その死の詳細や背景について、多くの憶測と疑念が飛び交っている。
突然の訃報と広がる疑念
中国当局は、「病死」としか説明しておらず、詳細を伏せたが、一方で、数日前からインターネット上では、「許其亮が死亡した」との噂が急速に拡散している。
5月31日、元中国メディア人の趙蘭健氏はX(旧Twitter)で「許其亮が5月28日未明に心臓病で死亡した」と投稿した。また軍関係者の証言として「連日の圧力により、精神的に追い込まれ、最終的に崩壊した。まるで「怖死(恐ろしさのあまり死ぬこと)」のようであった」と伝えた。
6月2日夜、オーストラリア在住の自媒体人・尹科氏もXにおいて「許其亮の娘・許丹丹が訃報を出し、死因を『心源性突然死』と記していた」と報告した。さらに、数日前から301病院で救命措置を受けていたが、回復には至らなかったとの情報もある。
香港メディア『星島日報』は、北京のベテラン記者・馬玲氏の話として「許其亮は朝のランニング中に急性心筋梗塞を発症し、搬送先で死亡した」と報じた。しかし、「死亡時刻」について、新華社による政治的な調整が行われた可能性も指摘された。
「心筋梗塞死」は偶然か、それとも…
元中共海軍中佐の姚誠(よう せい)氏は「許其亮は飛行士出身で健康体。副国級として高度な医療支援を受けていたはずであり、75歳での急死は不自然である」と述べる。「301病院の高官病棟は最近“満室”だが、仮病で入院している者も多い。許其亮もその一人であった可能性があり、何者かが手を下した可能性も否定できない」と主張した。
独立評論家の蔡慎坤(さいしんこん)氏も、「“怖死”説は信じがたいが、“殺害された”可能性を排除できない」と言及した。
台湾国防安全研究院の沈明室研究員は、「許其亮の死は、李克強前首相の突然死と酷似している」と指摘する。李克強は2023年10月に上海で水泳中に急死したが、死因を巡る疑念はいまだ払拭されていない。李克強の死に疑問を呈した元新華社広東分社長・顧万明は、その後「騒乱挑発罪」により1年の実刑判決を受けた。
連鎖する軍高官の「異変」
許其亮の死は、ここ1年で続発している中共軍高官の異常事態の一例にすぎず、2024年11月には、軍委政治部主任の苗華が失脚。軍委副主席の何衛東も、今年3月の全国人民代表大会以降、公の場に現れず、失踪説が流れている。
上将の何宏軍は、拘留中に自殺未遂を図り、死亡に至った。武警司令の王春寧、ロケット軍司令の王厚斌、東部戦区司令の林向陽、海軍政委の袁華智らも次々と調査対象となり、消息不明との報道が相次いだ。
海外法学者の袁紅冰氏は「これはドミノ倒しの現象である」と分析する。苗華が供述した内容によって、軍内部に動揺が広がり、連鎖的な不安定要因が拡大したという。
時政評論家の李林一氏は「副国級以上の高官は、専門の医療チームを持ち、心筋梗塞による突然死は極めて異例であり、李克強、許其亮と続いた“心筋梗塞死”は、権力闘争の清算の一環と見るべきだ」と述べた。
許其亮の経歴と「派閥」
許其亮は1950年、山東省に生まれた。1966年に入隊し、空軍の特級飛行士として活躍。江沢民時代に三度にわたり国防大学で研修を重ね、1999年には瀋陽軍区副司令兼空軍司令官へ昇進した。胡錦濤政権下では副総参謀長、空軍司令官を務め、2007年6月に空軍上将に就任。2012年11月の18回党大会で軍委副主席として政治局入りし、2017年の19回党大会で再任。2022年10月の20回党大会で引退し、2023年3月の全国人民代表大会後に正式に退職した。
評論家の蔡慎坤氏は「許其亮は江沢民・曾慶紅派の後押しで出世したが、習近平政権下では軍改革や反腐敗運動の中心人物として行動し、習近平の“軍中の右腕”となった」と語る。ただし、許が登用した将軍の多くが現在、粛清や調査対象となった。
時事評論員の李燕銘(りえんめい)氏は、「福建・福州時代から習近平と関係を築いた許其亮は、軍改革や粛清の実務を担った」と分析する。許が指導したロケット軍や戦略支援部隊は、近年の粛清の主な標的となっている。
習近平体制の揺らぎと「心筋梗塞死」の連鎖
最近、習近平自身が約2週間にわたり公の場に姿を見せておらず、最高指導者の「蒸発」と軍幹部の急死が重なり、政局の不安定さがさらに際立っている。
大紀元の情報によれば、習近平は表面上こそ権力を保持しているが、実際には元首相・温家宝や軍委第一副主席・張又侠らが政局の主導権を握っている可能性がある。
台湾国防安全研究院の沈明室氏は、「許其亮は習近平派の中核人物であった。派閥内の将軍が次々と拘束される中、許其亮も極度の不安を抱えていた可能性が高い」と分析する。
終わらぬ党内闘争と今後
許其亮の死は、単なる健康問題として片付けられる事象ではない。軍改革や粛清の「実行者」として権力中枢に位置した人物が、激化する党内闘争の渦中で命を落とした事実は、現体制の混乱と不安定性を象徴している。
今後、四中全会を控える中で、党内権力闘争がさらに激化する可能性は十分にあり、「心筋梗塞死」の連鎖は、偶然の産物なのか、それとも党内部の激烈な闘争の現れなのか。
許其亮の死は、今なお多くの謎を残し、波紋を呼び続けている。
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