5月、中国国内で史上最大規模の個人情報流出事件が発覚した。流出データは40億件超、総容量は631GBに達し、微信(WeChat)ユーザー8億人分の身分情報をはじめ、多様な個人データが含まれていた。この事件は、中国共産党政権下で推進されてきた個人情報の大規模収集の実態を世界に晒し、国家主導の監視体制、情報管理の脆弱性、さらには体制内部の複雑な力学を浮き彫りにした。
40億件の個人情報、無防備に公開
2025年6月10日、独立系メディアCybernewsが報じた内容によって、事件の全容が明らかになった。同年5月19日、パスワードによる保護が施されていない巨大なデータベースがインターネット上で確認され、40億件におよぶ個人情報が誰でも閲覧可能な状態に置かれていた。このデータベースには、微信や支付宝(Alipay)ユーザーの身分証番号、氏名、電話番号、住所、金融情報など、極めて機微な情報が多数含まれていた。
セキュリティコンサルタント会社SecurityDiscovery.comのボブ・ディアチェンコ氏とCybernewsの調査チームは、流出データベースの16のデータセットを精査した。その中には、8億件を超える微信ユーザーIDを収めた「wechatid_db」、7.8億件の住所情報を含む「address_db」、6.3億件の金融情報「bank」、6.1億件の三要素認証データ、5.77億件の微信メタデータ「wechatinfo」、3億件の支付宝カード情報「zfbkt_db」などがあった。さらに、台湾関連情報、ギャンブル、車両登録、就業履歴、年金、保険に関する情報など、膨大な分野にまたがるデータが確認された。
データベースはCybernewsチームによる確認直後に閉鎖されたものの、セキュリティ専門家は「流出全体のごく一部にすぎない」と判断している。被害者への連絡手段が存在せず、情報を奪われた個人は対抗手段を持たないまま放置されている。
国家レベルで構築された収集体制の一端
データベースの所有者や管理主体について、Cybernewsは「特定できなかった」と述べている。しかし、データの収集規模と管理の精緻さ、対象範囲の広さから、全中国市民の行動履歴や社会・経済的プロフィールを構築する目的が透けて見える。これほどのデータを収集・整理するには膨大な人員と資金が必要であり、通常は国家機関、またはそれに準ずる研究機関が関与していると考えられる。
サイバーセキュリティ業界の匿名関係者は、「この規模のシステムを維持するには国家レベルの力が必要である」と断言する。情報機関、公安、国家安全部門と、テンセント(微信の運営企業)など大手IT企業や主要クラウドプラットフォームが共同で構築した可能性が高く、国家主導による個人情報収集体制の実像が浮かび上がる。
なぜ情報が流出したのか
今回の流出は、データベースにパスワードが設定されていなかった事実に起因する。Cybernewsによれば、5月19日に外部からアクセス可能な状態となり、翌日には閉鎖されたものの、公開されていた時間や閲覧件数は不明である。
原因について、専門家は「管理上の過失」と「内部関係者による意図的な流出」の両面を考慮する必要があると指摘する。国家レベルの情報インフラが外部委託や多重下請けによって運用される過程で、セキュリティ認証が形式化し、管理体制の緩みが生じる。また、関係者が利益目的でデータを闇市場に流したり、将来の責任追及に備えて外部にデータを保持させたりする動きも頻発している。
内部テスト時にセキュリティが一時的に解除されたままの状態が残された可能性、組織内の利益相反による意図的な情報売買、あるいは内部告発的な動機など、複数の要因が絡み合っている。中国社会では「アルバイトの失態」「不可抗力による障害」など、責任回避を目的とした言い訳が常套句として使われがちである。
繰り返される中国の情報流出
中国では、過去にも大規模な情報流出事件が後を絶たない。Cybernewsは、微博や滴滴出行、上海共産党関連記録の15億件流出事件、中国ユーザー記録12億件流出事件、iPhoneユーザーの6200万件記録流出事件など、近年だけでも複数の重大事例を報告している。
当局は「プライバシー保護」を強調する一方で、国家による情報収集を継続しており、制度上の脆弱性や漏洩リスクが常に社会不安の火種となっている。ネットユーザーの間では、「最大の個人情報侵害者は中国共産党自身だ」との皮肉が広まっている。
海外メディアが最初に報じた理由とその背景
本件を最初に報じたのは、中国国内のメディアではなく、独立系の海外メディアCybernewsである。同社は「ホワイトハッカー」として、ネット上の脆弱性を調査・公開する活動を続けているが、今回なぜ彼らが最初にデータベースの「開放状態」を発見できたのかは不明である。
業界関係者の間では、「内部告発」あるいは「投名状」としての情報リークの可能性が指摘されている。巨大な監視体制の内部では、関係者が体制の矛盾や責任の所在を恐れ、保身のために海外メディアへ情報を流す行動に出ることもある。このような「自己防衛的リーク」は、監視体制の構造的矛盾や内部崩壊の予兆といえる。全ての関係者が体制に忠実とは限らず、「誰が裏切るか」という不信が常に漂っている。
国家による監視社会の限界とリスク
中国共産党政府は、個人情報の大規模収集と監視を「社会管理」「治安維持」「経済発展」などの名目で正当化してきた。しかし、こうした体制のもとで繰り返される情報流出は、国家そのものの正当性を揺るがす危機につながる。技術発展は本来、社会の利便性や安全性向上を目的とすべきであるにもかかわらず、監視と統制の手段として運用されることで、かえって国家体制の脆弱性を露呈している。
業界関係者の一人は、「ビッグデータが人民の利益ではなく、監視の手段として使われるのであれば、いずれその矛盾が体制を崩壊させる」と警鐘を鳴らす。今回の事件は、その矛盾が顕在化した象徴的な事例である。
公式対応の欠如と将来的な展望
6月時点で、中国当局はこの事件に対する公式見解を発表していない。これまでの慣例を踏まえると、責任を末端や外部要因に転嫁し、核心への追及を避ける姿勢を貫くと見られる。
個人情報保護の脆弱性、国家監視体制の限界、そして内部関係者による情報漏洩。これらの要素が重なった今回の事件は、監視社会に潜む「綻(ほころ)び」の象徴にほかならず、今後も同様の問題が再発する可能性は高い。
中国の個人情報流出事件は、単なる技術的問題にとどまらず、国家体制の矛盾と構造的リスクを映す鏡である。デジタル社会の深化とともに、情報管理の在り方、個人の権利、国家との関係が、改めて問われている。
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