【原文】
子夏(1)曰。賢賢(2)易(3)色。事父母能竭其力。事君,能致其身(4)。与朋友交,言而有信。虽曰未学,吾必谓之学矣。
【注釈】
(1)子夏:姓は卜、名は商、字は子夏。孔子の弟子で、紀元前507年生まれ。
孔子の死後、魏の国で孔子の思想を広めた。
(2)賢賢:最初の「賢」は動詞として用いられており、「敬重する」という意味。
つまり「賢賢」とは、賢者を敬い、賢者に近づき、その徳を手本とすることである。
(3)易:多くは「変える」あるいは「軽んじる」という意味に解され、この句を「賢徳を重んじ、女色を軽んじる」という意味に取る。
しかし、「色」という言葉は古代において、より広く、人間が世俗的な栄華や富貴など、物質的な欲望を追い求め、享受しようとする心全般を指すとも考えられる。
「徳を重んじる心によって、世人が好む物欲追求の心を置き換える」と理解するほうが、この言葉の本来の趣旨に合っている。
(4)致其身:「致」は「献納する」「力を尽くす」という意味。
君主を補佐して国を治める際には、自分の全身全霊を私心なく捧げるべきだということ。
【訳文】
子夏は言った。「人賢は徳を重んじ、女色、物欲を重視しないこと。父母に仕えては力の限りを尽くすこと。君主を補佐して国を治める際には、私心なく自分のすべてを捧げること。友人と交際するときには、言葉に誠実さと信頼があること。このような人であれば、たとえ本人が『学問を修めていない』と言ったとしても、私は必ず、その人はすでに学んでいると言うだろう」
【解説】
人に学問があるかどうかを判断する基準は、読書をしたかどうかではない
前の章、すなわち第六章で、孔子はこう述べている。
「弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎く(ひろく)衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あらば、則ち以て文を学べ」
そして、それに続くこの第七章で、弟子の子夏はこう述べている。
「賢を賢として色に易え(かえ)、父母に事えて(つかえて)は能く其の力を竭くし(つくし)、君に事えては能(よ)く其の身を致し、朋友と交わりては言いて信有り。未だ学ばずと曰うと雖(いえど)も、吾は必ず之を学びたりと謂わん」
これは明らかに、弟子である子夏が、孔子の教えを聞いたあと、師の教えに応え、自分自身の言葉でその理解を述べたものである。
つまり、自分は孔子の教育の真意を理解したということを示しているのである。
孔子の教育とは、弟子たちに対し、広くすべての人に善意をもって接し、さまざまな善行を実践することを学問の中心とするよう勧めるものである。
だからこそ孔子は、「行いに余力があれば、そのとき文を学びなさい」と説いたのである。
師の教えを実際の行動に移し、その行いを実践できてこそ、本当に学問をしていると言える。
その段階に達し、なお余力があるならば、その後に古典や文化を学べば、学問の道を踏み外すことはない。
そうでなければ、たとえ多くの書物を読み、博識になったとしても、それは真の学問を身につけたことにはならない。
それどころか、善悪や是非の区別もつかず、策略や権謀術数ばかりに長け、国を害し人民に災いをもたらすような邪悪な人物になってしまう可能性さえある。

本質的に、孔子が教えていたのは、人としていかに善なる徳を修めるかということである。
善行によって自らを修めることこそが、孔子の儒学の核心なのである。
したがって、子夏は自らの言葉と理解によって、孔子が「善を勧め、徳を重んじる」教育を行った本質を明らかにしている。
家庭にいるときも、社会に出たときも、父母に仕えるときも、君主に仕えるときも、あるいは友人や同僚と付き合うときも、すべての人に対して善をもって接しなければならない。
ただし、人倫関係が異なれば、善行の具体的な表れ方にも、それぞれ重点がある。
父母に対する善は「孝」である。
君主や上司に対する善は「忠」である。
友人に対する善は、とりわけ「信」に重きを置く。
このように、一つの善徳から孝悌忠信という具体的な徳目が分かれているのであり、その目的はすべて、人々に善を勧めることにある。
だからこそ子夏は、自分は孔子の教えを理解したのだと述べているのである。
人は、このように実践することができるならば、いついかなる時でも、誰に対しても、孝・悌・忠・信を行動によって実践し、聖賢に学び、その境地に近づこうと努め、物欲から遠ざかることができる。
その人が書物を読んだことがあるかどうか、学校で学んだことがあるかどうかは問題ではない。
その行動が孔子の説いた教えにかない、さまざまな善行を実践しているならば、その人はすでに「学問のある人」と言えるのである。
これこそが、「たとえ本人が『私はまだ学問を修めていない』と言ったとしても、私は必ず、その人はすでに学んでいると言うだろう」という言葉の意味なのである。

ここまで学ぶと、孔子の教育思想を中心とする儒家の古典『論語』が、その冒頭で掲げる第一の言葉 -「学びて時にこれを習う」-が、いったい何を意味しているのかが、非常によく理解できる。
「学」とは、聖賢の徳を学び、その人としての教えを学ぶことである。
「習」とは、その教えを実践に移し、行動の中で何度も繰り返し実践することである。
「時習」とは、常に、絶えず実践し続けることを意味する。
『学而篇』の冒頭七章は、まさにこの一句の意味を繰り返し説き、その内容を裏づけるために存在している。
そして弟子たちに、教育と学問の最も根本となるものを理解させようとしているのである。
決して、自分がどれほど多くの書物を読んだか、どれほど才能に恵まれているかを誇示する傲慢な人間になってはならない。
また、才能はあっても徳がなく、その能力によって世の中に災いをもたらすような狡猾な人間になってはならない。
孔子の基準からすれば、現代社会において、高い学歴を持ちながら人格や品格に欠ける人は、本当の意味で学問のある人ではないのである。
だからこそ、古代では孝道と忠信が非常に重視された。
歴代の皇帝は孝道によって国を治め、人材登用にも「挙孝廉(きょこうれん)」という制度を設けた。
男女の別や身分の高低を問わず、たとえ一般の庶民であっても、とりわけ孝行に優れた者は皇帝から褒賞を受け、ときには官位まで授けられ、天下の人々の模範とされたのである。

朝廷の「挙孝廉(きょこうれん)」と孝行を顕彰した物語
いわゆる「挙孝廉」とは、地方官は父母に孝行であり、品行が清廉な人物を推薦し、官吏として登用する制度である。
朝廷が人材を選抜するとき、文章の才能や学識だけを重視したのではなく、それ以上に人格や徳行を重んじた。
古代の人々は、父母にさえ善く接することのできない者が、どれほど才能に優れていても、人民を善く治め、国家に忠誠を尽くすことは難しいと考えていたからである。
後漢の時代に、江革という名高い孝子がいた。
彼は貧しい家に生まれ、戦乱の中で年老いた母を背負いながら各地を逃げ回っていた。
その途中で盗賊に遭遇した。
盗賊たちは彼が弱々しいのを見て、連れ去ろうとした。
しかし江革は涙ながらにこう願った。
「私の母は高齢で、世話をする者がおりません。もし私が連れ去られれば、母は飢え死にしてしまいます」
盗賊たちは彼の孝心に心を打たれ、危害を加えるどころか食糧を与え、無事に帰してやった。
後に朝廷はその孝行を聞き、彼を孝廉として推薦した。
また、黄香という人物もいた。
幼い頃から家は貧しく、九歳で母を亡くしたが、父に対して非常に孝行であった。
夏の暑い日には、自ら父の寝床を扇いで涼しくし、
冬の寒い日には、自分の体で先に布団を温めてから父を休ませた。
これが後世に伝わる「扇枕温衾(せんちんおんきん)」の故事である。
後に黄香も、その徳行によって名声を得て、朝廷から官職に招かれた。
さらに晋代には、楊香という孝女の物語がある。
楊香はごく普通の民家の娘であった。
幼い頃、父とともに畑仕事に出かけた際、突然猛虎が現れ、父を襲って引きずっていった。
しかし幼い楊香は逃げることなく、命を顧みず虎に飛びかかり、父を救おうとした。
古い記録によれば、その至誠の孝心に虎が心を動かされ、ついには父を放して立ち去ったという。
この出来事は村中に広まり、次々と上級官庁へ報告され、ついには晋の武帝の耳にまで届いた。
武帝は詔を発して彼女を表彰し、その孝行を天下に広く知らしめた。
古代の皇帝たちが、このような普通の人々の善行をこれほど重視したのは、単に個人の美談に感動したからではない。
こうした行いを通して天下を教化し、人々に対して、国家が真に尊ぶものは富や権力や家柄ではなく、人間の徳であることを示そうとしたのである。
結語
このように、孔子とその弟子たちが繰り返し孝・悌・忠・信を強調した根本的な目的は、単に本を読み文章を書くことだけに長けた学者を育てることではなかった。
まず人としての道を学び、その上で知識や技術を学ぶことを教えようとしたのである。
なぜなら、才能が徳によって制御されなければ、能力が高いほど、かえって大きな害をもたらしやすいからである。
反対に、真に善徳を備えた人であれば、多くの書物を読んでいなくても、孔子の基準では、すでに「学んでいる人」なのである。
このことは、宋王朝の建国の宰相である趙普が、『論語』一冊を読んだだけで、その二十篇の教えによって国家を治め、多くの博学な官僚たちを上回る政治を行うことができた理由を説明している。
それは、彼が学問の本質と核心を真に理解していたからである。
問題に直面しても、国を治め民を安んじるという本分を忘れず、私心なく徳を重んじるという原則と初心を守り続けた。
だからこそ、あらゆる問題に適切に対処することができたのである。

そして、この『論語』の精神を経済の分野に生かした人物が、日本近代資本主義の父・渋沢栄一である。
渋沢栄一もまた、『論語』を人生と経営の指針とし、儒商として活躍した。
その結果、日本経済は急速な発展を遂げ、日本近代経済における「誠実と信用を重んじる」という特色の形成に大きく貢献し、日本は世界から尊敬と信頼を得るようになったのである。

「半部の論語をもって天下を治む」から語る 論語の真義 序
刻まれた徳育の根幹 論語の真義 学而編1
「孝弟」が社会の根本 論語の真義 学而編2
愛想の良さは「偽善」? 論語の真義 学而篇3
「無事」を極める真のリーダーシップ 論語の真義 学而篇5
論語を読み解く鍵 論語の真義 学而編6
真の学問とはなにか 論語の真義 学而編7
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