人材抜擢の真髄 論語の真義 学而編11

2026/08/11 更新: 2026/08/10

【原文】

子曰:「父在,觀(1)志;父沒,觀其(2);三年(3)無改於父之(4),可謂孝矣。」

 

【注釈】

(1)其(き):「その人の」という意味で、ここでは息子を指す。

(2)行(こう):行動や立ち居振る舞いなどを指す。

(3)三年:古人が用いる「三」という数字は、多くの場合、ある程度長い期間を表すものであり、必ずしも三年間ちょうどを意味するわけではない。

(4)道(どう):善き理念や道義を表す言葉である。

ここでは、「正しい家風の継承」あるいは「家を治める正しい方法」と理解することができる。

 

【訳文】

孔子は言った。「父が存命中は、家のことは父が取り仕切っており、子はまだ自ら決定する立場にはない。

そのため、その者の志を見なければならない。

父が亡くなった後は、その者の行いを観察しなければならない。

もし長い年月にわたって父の家を治める道を守り続け、みだりに改めることがないならば、その人は孝を尽くしていると言うことができる。」

 

【解説】

権力を握ったとき、その人の徳が明らかになる。

一、孔子はなぜ「三年、父の道を改めない」ことによって孝を論じたのか

『論語』「学而篇」第十一章には、次のように記されている。

孔子は言った。

「父が存命中は、その人の志を見る。父が亡くなった後は、その人の行いを見る。長い間、父の道を改めないならば、孝であると言うことができる。」

ここまで読むと、多くの人は不思議に感じるだろう。

前章では、子禽と子貢が、孔子が諸国を巡り、政治に関心を寄せたのは何を求めてのことなのかを論じていた。

ところが、この章では突然、家庭における孝道へと話題が移り、まるで話が急に飛んだように見える。

しかし、実際にはそうではない。

『学而篇』の前後の流れと結びつけて見れば、この二つの章は断絶しているどころか、前後が受け継がれるようにつながっている。

前章で語られたのは、孔子がなぜ天下の政治に関心を寄せたのかということであった。

子貢は、孔子が求めるものは普通の人々とは異なることを明らかにした。

孔子は功名や利益のためではなく、徳による政治を推し進め、天下を教化し、民の徳を厚くすることを望んでいたのである。

そうすると、ここで新たな問題が自然に生まれる。

徳政は、いったい誰が実行するのか。

もちろん、孔子一人だけに頼ることはできない。

また、国君一人だけの仕事でもない。

徳政を本当に実行するためには、徳のある人々の一団が国君を補佐し、天下を治めなければならない。

父親が亡くなり、家業が自分の手に渡って、自らが本当に権限を持ち、物事を決める立場になると、その人の徳は最も現れやすくなる(Shutterstock)

そこで第十一章は、さらに次の問題に答えている。

どのようにすれば、その人が本当に徳を備えているかを見抜くことができるのか。

実際、この章は、国君や政治を担う者に、人材をどのように選び、徳政を具体的にどのように実行するか、その重要な方法を教えているのである。

そのため孔子は、病気の父母に薬を差し上げることや、朝夕に安否を尋ねることなど、人々がよく知る孝行の例を挙げなかった。

その代わりに、深く考えさせられる一つの例を挙げたのである。

「父が存命中は、その志を見る。父が亡くなった後は、その行いを見る。長い間、父の道を改めない。」

孔子は、なぜあえてこのことを選んだのだろうか。

こここそ、この章で最も深く考えるべき点である。

父親が存命中は、家庭の重要な事柄はなお父親が取り仕切っている。

その人の志を観察することはできても、まだすべての責任を実際に担っているわけではない。

その徳が本当に堅固なものかどうかは、まだ現実の行動によって確かめられていないのである。

しかし、父親が亡くなり、家業が自分の手に渡って、自らが本当に権限を持ち、物事を決める立場になると、その人の徳は最も現れやすくなる。

 

二、権力を握ったとき、その人の徳が最もよく分かる

権力を握った後、自分の能力を証明しようと焦るあまり、権力を得るや否や前任者の取り決めをすべて覆してしまう人がいる。

年長者の経験を軽んじ、何事も一からやり直そうとする人もいる。

また、目先の成果を急ぎ、自分自身の功績だけを打ち立てようとする人もいる。

孔子は改革そのものに反対していたのではない。軽率な改革に反対していたのである。また、革新そのものに反対していたのではない。おごり高ぶり、自信過剰になることに反対していたのである(Shutterstock)

しかし、本当に徳のある人が最初に考えるのは、自分を目立たせることではなく、先人を敬うことである。

その人は、父の世代が一生をかけて家庭を営んできたことは、一朝一夕に成し遂げられたものではないと知っている。

人としての多くの原則、世に対する身の処し方、家風や伝統には、長い年月の中で積み重ねられた経験と知恵が凝縮されている。

「学而篇」の前の章で述べられたように、「慎終追遠すれば、民の徳は厚きに帰す。」

祖先から受け継いだものに対しては、敬い畏れる心を持たなければならない。

したがって、孔子が「三年、父の道を改めない」と強調したとき、重点は「三年」という期間そのものにあるのではない。

それは、人に次のことを戒めているのである。

権力に向き合うときは、まず敬い畏れる心を持たなければならない。

責任に向き合うときは、まず謙虚な心を持たなければならない。

ここでいう「父の道」とは、何よりも、父の世代が残した人としての原則、家を治める徳、誠実な家風を指している。

あらゆる具体的な方法を、永遠に一切変えてはならないという意味ではない。

時代は絶えず変化するため、統治や運営の方法は当然、調整することができる。

しかし、身を立て、世に処するうえでの道義や、自らの根本と由来を敬い知る精神は、自分が権力を握ったからといって、軽々しく覆してはならない。

したがって、孔子は改革そのものに反対していたのではない。

軽率な改革に反対していたのである。

また、革新そのものに反対していたのではない。

おごり高ぶり、自信過剰になることに反対していたのである。

独善に陥り、物事の土台を壊してしまわないためである。

本当に徳のある人は、責任を担った後、まず学び、受け継ぎ、観察し、そのうえでどのように改善するかを決める。

先人を急いで否定し、自分自身を証明しようとはしない。

だからこそ、孔子がここで見ようとしているのは、単なる孝だけではない。

その人が権力に直面したとき、なお自らの徳を守り通せるかどうかを見ているのである。

このような思想から、中国古代の聖王が、徳を観察して賢者や有能な者を選んだ伝統を思い起こさずにはいられない。

環境がどれほど変わっても、身分や地位がどれほど変化しても、後にどれほど大きな権力を持っても、舜は終始、自らの徳を変えなかった(Shutterstock)

 

三、聖王は徳を見て人を選び、孔子はその道を受け継いだ

伝承によれば、堯帝(ぎょうてい)が天下を継がせる人物を選ぶ際、最初にその才能を調べたのではなく、長い時間をかけて舜(しゅん)の徳を観察したという。

舜帝の生涯は、常に極めて困難な環境の中にあった。

父の瞽叟(こそう)が弟をひいきすること、継母の厳しい仕打ち、そして弟の象が繰り返し危害を加えようとすることに直面しても、舜は不公平な扱いを受けたからといって孝道を捨てることはなかった。

また、後に堯帝から認められ、帝の娘を妻に迎え、高い地位に就いた後も、父母を軽んじたり、家族に復讐したりすることはなかった。

本当に得難く尊いのは、舜が単に父母によく仕えることができたという点だけではない。

環境がどれほど変わっても、身分や地位がどれほど変化しても、後にどれほど大きな権力を持っても、舜は終始、自らの徳を変えなかった。

舜は家庭内の対立を理性的に処理することができた。

悪い行いを放任せず、それでいて父母を敬うことも捨てなかった。

責任を担っても、地位を得たことでおごり高ぶることはなかった。

天下を治める立場になっても、常に仁厚で謙虚な態度を保った。

堯帝が本当に観察していたのが舜であったとするなら、その観察の対象は、権力、利益、責任が目の前に現れた後も、その人の徳が以前と変わらないかどうかであった。

これこそ「慎終追遠」の実践である。

舜の孝道は終始一貫していた。

そのため天下の人々を感化し、四海の人々が従うようになった。

そして後世における、孝によって国を治める模範となったのである。

ここで改めて、孔子がこの章で述べた、

「父が亡くなった後は、その行いを見る。長い間、父の道を改めない。」

という言葉を見ると、その意味が理解できる。

孔子は生涯、先王の道を回復することを志していた。

『詩経』と『書経』を整理し、『礼』を修訂し、『春秋』を著し、諸国を巡って諸侯に諫言した。

そのすべては、徳によって人を教化し、礼によって世を治める社会を再び築くことを望んでのことであった。

したがって、孔子が先王の道を回復しようとした志と結びつけて考えるならば、彼が強調した「孝によって徳を観察し、人材を選ぶ」という考えは、まさに古代の聖王の志を受け継ぎ、さらに発展させたものなのである。

後に漢代では、「孝廉を挙げる」という制度が行われた。

「孝」と「廉」を官吏選抜の重要な基準としたのである。

これもまさに、徳を重んじて人を選ぶという思想を、さらに制度化したものだった。

朝廷が見ていたのは、単にその人が父母に孝行であるかどうかだけではない。

孝行を通して、その人の責任感、敬い畏れる心、誠実さ、謙虚さ、そして責任を引き受ける力を見ようとしていたのである。

こうした資質こそ、民を治め、徳政を推し進めるための本当の根本である。

このようにして改めて『学而篇』を振り返ると、孔子が弟子たちに教えたことは、終始「徳」という一字から離れていなかったことが分かる。

学ぶのは、徳を修めるためである。

孝は、徳の出発点である。

礼は、徳を規律するものである。

慎終追遠は、民の徳を厚くするためである。

諸国を巡ったのは、徳政を推し進めるためである。

そして、「父が亡くなった後は、その行いを見る。長い間、父の道を改めない。」

という言葉は、世の人々に次のことを教えている。

真の徳とは、責任、権力、利益が自分の目の前に現れたときにも、なお祖先を敬い、道を守り、自分を律し、謙虚であり続けられることである。

そのような人物であってこそ、国君を助けて徳政を行うことができる。

家庭は、徳を最初に実践する場所である。

そして権力を握ることは、徳が最も厳しく、最も現実的に試される場である。

家庭は、徳を最初に実践する場所である。そして権力を握ることは、徳が最も厳しく、最も現実的に試される場である(Shutterstock)

孝道に対する観察は、必ず国家における賢者の選抜と結びつく。

徳ある人材を選んでこそ、徳政を実行することができる。

そして初めて、天下を教化し、民の徳を厚くするという目的を本当に実現できるのである。

これこそ、孔子がこの章で、このような角度から「孝」を語った本当の深い意味なのである。

劉如
文化面担当の編集者。大学で中国語文学を専攻し、『四書五経』や『資治通鑑』等の歴史書を熟読する。現代社会において失われつつある古典文学の教養を復興させ、道徳に基づく教育の大切さを広く伝えることをライフワークとしている。
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