単騎の趙雲
時は3世紀、中国の強大な漢王朝は崩壊しました。この混乱期には、英雄や勇敢な人物が現れました。劉備の右腕として知られる趙雲もその一人です。
横暴な独裁者の息の根を止めた美女の策略
ほぼ2000年前の漢王朝の最末期に、董卓(とうたく)という横暴な武将が宮廷の実権を握っていました。若い皇帝の権力を奪い、大臣を不当に責め、残酷に端から処刑していきました。
中国四大名著の一つ:三国志演義
「昔から、天下の大勢は長く分かれていれば必ず一つになり、長く一つであれば必ず分かれるという」―『三国志演義』冒頭
友人間の義【雅(みやび)を語る】
前回は、精神的に支え合ってくれる友人を大切にすべきことを話しました。これ以外に、友人間で大事にしなければならないのは「義(義理)」です。
三国時代はまさに「義」とは何かを後世に伝えています。劉備、曹操、諸葛亮、張飛などの武将のことを多くの人が知っています。中でも忠義を貫いた武将がいます。それが関羽です。では、関羽は何をしたのでしょうか。
「放虎帰山」(ほうこきざん)【1分で読める故事成語】
「放虎帰山」は後で大きな災いになるものを残すという意味で、よく相手を警告する際に用いられます。
【三国志を解釈する】(14)忠義か不義か 献帝を取り巻く人々が現した義
呂布に従った陳宮は曹操に捕らえられたが、曹操に降伏せず、死ぬまで後悔しなかった。これは、国に有力な君主がない時、義の果たし方だ
【三国志を解釈する】(13)曹操は天 劉備は人 孫権は地 三国志演義が伝えた三才の文化観
董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。
【三国志を解釈する】(10)童謡が予言していた皇帝の運命と董卓の死
「帝は帝にならず、王は王にならず、千乗万騎は北邙山を追い駆ける」当時、子供たちに歌われたこの童謡は漢霊帝の死後、最後の二人の皇帝の運命を予言していた。作者は天意の存在を暗示している
全身麻酔での手術
東漢末期の三国時代に、世界で初めて麻酔薬を発明し、外科手術で全身麻酔を使用した元祖とも言われる有名な民間の医師、華佗(かだ)がいました。
【三国志を解釈する】(5)劉備は腐れ儒者ではなかったのか?
前章では、黄巾軍が反乱を起こし、張角軍が幽州(注1)の国境に攻め込んできたので、状況は危機的であったということを紹介しました。総督である劉焉は、全県に義勇兵を徴集する召集令状を発行し、その召集令状が涿県(注2)に届いたということです。そこで、劉備が正式に登場することになり、「桃園結義」の物語が始まりました。
曹操――部下の裏切りを許す【千古英雄伝】
三国志に登場する天下人・曹操(そうそう)。当時の歴史をドラマチックに描いた「三国志演義」の影響から、冷酷で計算高い人物とされていますが、実は部下からの信頼が厚く、適材適所で人を重用した名将でした。
曹操も捕まえられない人
曹操は、「一匹だけでは足りない、もう一匹取れるか?」と聞きました。左慈は釣り餌と釣り針を変え、もう一匹の鱸を釣りました。いずれも元気よくぴんぴん跳びはねていました。曹操は鱸で料理をさせ来客に味わわせました。
【神伝文化】曹操など多くの古人たちは子供に節約を教えていた
曹操は自分の子供への教育に対して、厳しい人でした。曹操が布告した「諸児令」には、「息子たちに対して、私はだれもが好きですが、大人になって才能がある人だけに重任を任せるのです」と書いてあります。曹操は自分の息子に贅沢をしないということを教えるため、彼自身が言葉で教えるだけでなく身をもって手本を示しました。日常生活の中で、自分の服装は継ぎあてがある場合が多く、夫人の卞(べん)氏は曹操が魏王になったにもかかわらず、相変わらず布の服装を着て、燈台の下で糸を防ぎ、布を織っていました。
『三国志演義』にちなんだ偉大な男・関羽の話
中国の歴史上、最も尊敬される人物の中には、あの有名な「関羽」が挙げられます。関羽に対する崇拝は三国時代からすでに始まりました。当時、関羽が亡くなってから、魏、呉、蜀三国は共に彼に尊敬の意を表しました。孫権は関羽の首を曹操へ送り、曹操は諸侯の礼を持って彼の首を洛陽に葬りました。一方、孫権は諸侯の礼をもって彼の胴体を当陽に葬り、蜀漢は成都で彼の装束を埋葬する墓、すなわち成都に関羽の墓を作りました。そのため、民間の間では「関羽は洛陽を枕にして眠り、体は当陽に横たわり、魂は故郷に帰した」という言い伝え
立場は関係ない?典韋に見る上司との付き合い方
上司と部下の関係の中で、特に部下が上司とどう付き合っていけばいいのか、悩むこともあるのではないでしょうか。
ここでは、三国志の時代に「悪来」と呼ばれた典韋から見る、上司との付き合い方を考えてみたいと思います。
偉大なる男・関羽
中国の歴史上、最も尊敬されている人物に、あの有名な「関羽」が挙げられる。
曹操――千年にわたり誤解され続けた大義の士【千古英雄伝】
「三国志」というと、人々は劉備、関羽、張飛を義の士と言い、曹操は義が無いかのように言われている。実のところ曹操も義の厚い人間の王である。最も分かりやすい例は、趙雲子龍が単騎で主である阿斗(劉禅)を救った際、曹操は兵士に射殺させることができたが、曹操はそれをしなかった。
諸葛孔明――草船で矢を拝借【千古英雄伝】
最高の贈り物は、友から来るのでしょうか? それとも敵から来るのでしょうか? 3日で10万本の矢が必要となった天才軍師は、最も便宜的な解決策を見出しました。敵の弓や矢筒から放たれた矢を利用しようということです。
三国志 関羽が中国で神様と崇められた訳
青龍刀を片手に赤兎馬をかり、劉備の部下として数々の戦いで大活躍した関羽。三国志の英雄としては、名軍師として名高い諸葛亮とともに、日本でも非常に人気があります。
曹操――本当の姿【千古英雄伝】
三国時代の輝かしい政治スター曹操と言えば、頭に何が浮かぶでしょう?人々は「三国演義」で描かれた悪賢く、奸佞、手段を択ばない梟雄を思い浮かぶでしょう。実は本当の曹操はこのような者ではない。それは作者の羅貫中が劉備・関羽・張飛の義を際立たせるため、曹操の人格を虚構したのである。それでは歴史上の真実の曹操はどんな人なのでしょうか。
【味の話】 お屠蘇
【大紀元日本12月3日】お正月にはどの家庭でもお屠蘇をいただく習慣があります。「お屠蘇」とは、お酒やみりんで生薬を浸け込んだ一種の薬草酒で、正式には屠蘇延命散と言います。「屠蘇」と難しい漢字を書きま
「三国志」曹操の墓、盗難が深刻 顔部分切り落とし 仇敵の報復か
【大紀元日本6月15日】「2009年度新発見、中国十大古代遺跡」に選ばれた曹操の陵墓について、河南省文物局は11日、最新の研究結果を公表した。曹操の陵墓は歴史上、何度も盗難に遭ったとみられる。侵入口
三国志の名将、曹休の墓が発見される
【大紀元日本5月23日】17日、河南省文物局は、洛陽邙(ぼう)山陵墓の墓群から三国志で有名な曹操(155~220年)の一族である曹休(※)の墓を発見したと発表した。 邙山
【名医伝奇】三国演義中の神医─華佗
【大紀元日本4月4日】古代、多くの医学者は皆、特別な技能を持っていた。現代の言葉でいうところの「超能力」である。例えば、扁鵲(へんじゃく)は斉の桓公の顔を看て、その病状の進み具合を知ることができたし
曹植の七歩詩
【大紀元日本9月2日】三国時代の魏の文帝・曹丕と、弟の曹彰、曹植はともに、武帝・曹操と卞太后の子供である。曹丕は、曹操の王位を継いだあと、曹彰が武勇に勝っているのを妬み、毒の棗を食べさせて殺した。そ
古代の名医 華佗
【大紀元日本3月18日】華佗は中国の後漢から三国時代の非凡な才能を持つ伝説的な名医である。彼は養生術を熟知しており、不老長寿の術にも精通していたといわれている。年齢は百歳に近いのに、容貌は壮年のよう