英国の作家ジョージ・オーウェルは1949年に、独裁者による監視社会を描くSF小説『1984年』を出版した。
作品中に描かれた架空の世界は、家族や隣人を告発し、双方向テレビである「テレスクリーン」を通じて思想を統制する、自由のない灰色の世界である。
この作品は、特に米ソ冷戦下の欧米で高く評価されるとともに、デストピア(暗黒世界)をリアルに描いたものとして、当時の読者をぞっとさせた。
作品中の主人公である独裁者「ビッグブラザー」のモデルは、ソ連の「赤いツァーリ」ことヨシフ・スターリンであるとされる。また、このビッグブラザーに対抗する人物がエマニュエル・ゴールドスタインで、そのモデルは、レフ・トロツキーであるという。史実の通りトロツキーは、潜伏先のメキシコで、スターリンが放った刺客によって殺される。
『1984年』の出版から70年以上たった今、オーウェルが考えた仮想の国よりも強力な監視システムが、共産党独裁の中国では敷かれている。小説のなかの独裁者「ビッグブラザー」が、どこにいても睨みを効かせ、聞き耳を立てているような世界が、今の中国には本当にあるのだ。
中国が、恐るべき「監視社会」であることは、いまや周知の事実であるが、それにしても最近「国民への監視レベルが、ここまできたか」と背筋を凍らせるような「ある画像」が華人圏の間で拡散されて、物議を醸している。
「これぞ現実版の『1984年』だ」。そう呼ばれた「ある画像」とは、北京でタクシーに乗った乗客が、車内の助手席あたりに貼られた一枚の「手書きの紙」を撮影したもの。そこには、こう書かれていた。
「(システムが、あなたの声を)録音しているので(余計な)おしゃべりはしないでください。(中国)共産党は素晴らしい。(ご協力)ありがとうございます」
つまり「タクシーの車内では、もはや自由な発言が許されていない。『共産党は素晴らしい』以外のことは、口にしてはならない」と、タクシーの運転手が乗客に「貼り紙」で注意喚起をしているのだ。
文化大革命初期の1966年8月24日、紅衛兵による凄まじい迫害を受けて殺された作家・老舎(1899~1968)の作品に戯曲『茶館』がある。そのなかで、舞台となる茶館の壁に「莫談国事(政治について語るべからず)」と書かれた紙が貼ってある。
それは共産党以前の、中華民国時代の北京が舞台である。その茶館という、人々がお茶を楽しみながら自由に語る場所に「莫談国事」の紙が貼ってある。ということは、つまり皆が政治について、それだけ遠慮なくおしゃべりしていたからでもあるのだ。
それに引き換え、今の中国共産党統治下の監視大国は、なんと息が詰まることか。同じ北京でも、人間の自由という意味では、百年前のほうがはるかに人間らしい扱いをしていたことは言うまでもない。
(タクシー車内に貼られた紙。「(システムが)録音中なので(余計な)おしゃべりはしないでください。(中国)共産党は素晴らしい。(ご協力)ありがとうございます」と書かれている)
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