2026年に入り、中国共産党(中共)軍上層部の動揺が続いている。中共中央軍事委員会副主席の張又俠および中央軍事委員会委員の劉振立が拘束されたほか、1月だけで三人の軍高級将官が死亡した。
1月24日午後、中国共産党軍は張又俠と劉振立が調査対象となったと正式に発表した。同日夜、解放軍報はこの件に関する社説を掲載し、張又俠について「党中央および中央軍事委員会の信頼と重託を重大に裏切り、軍事委員会主席責任制を重大に踏みにじり破壊した」などと政治的評価を下した。
各方面の情報によると、張又俠は1月19日に拘束されたとされる。これと同時期に、最近3人の中共軍高級将官の死亡が発表された。いずれも当局が発表を遅らせた点が異例とみられている。
中国共産党機関メディアの新華社は1月30日、中共軍の元副総参謀長の隗福臨が病気により1月15日に北京で死去したと報じ、享年88歳と伝えた。
公開資料によると、隗福臨は中共軍で団長、師参謀長、師長、軍参謀長、総参謀部作戦部副部長、部長、総参謀長補佐、成都軍区司令員などを歴任し、1994年に中将、2000年に上将へ昇進した。
張又俠の失脚という敏感な時期に、当局が半月遅れで隗福臨の死去を発表したことについて、さまざまな憶測が広がっている。
張又俠はかつて隗福臨の部下であった。独立系評論家の蔡慎坤氏は1月21日、張又俠拘束を伝える中で「隗福臨上将の死去に際し、張又俠が送った花輪も臨時に撤去するよう通知された」と述べた。
1月29日夕方、新華社は中央軍事委員会元委員で軍の元総後勤部長の廖錫龍が「重病」により1月23日午前1時50分に北京で死去し、享年85歳と報じた。1月29日、廖錫龍の遺体は北京の八宝山革命公墓で火葬された。
廖錫龍は張又俠の「旧上官」であり、両名はベトナム戦争に参加した経歴を持ち、廖錫龍は張又俠の軍歴における重要な後援者でもあった。
蔡慎坤氏は1月26日、張又俠が1月19日に拘束されたと再び伝えており、27日には廖錫龍の息子と弟が同時に連行され、廖錫龍は各所に電話をかけたものの、誰に連行されたのか把握できず、23日に突然死去したと述べている。
事情を知る関係者は、廖錫龍の死は「病気によるものではなく、驚愕あるいは憤激によるものだ」と語ったという。
張又俠が拘束された同日、新華社は1月19日、中共海軍の元中将副政治委員である王征が治療の甲斐なく1月3日に北京で死去し、享年64歳と報じた。
しかし、中共当局はこの発表を半月遅らせ、報道でも死因に言及しなかった。
公開資料によると、王征は2013年に中共空軍少将、2019年に海軍中将へ昇進し、空軍政治部副秘書長、宣伝部副部長、師政治委員、空軍政治部宣伝部長、空軍装備研究院政治委員、済南軍区空軍政治部主任、北部戦区空軍政治工作部主任、海軍政治工作部主任などを歴任した。
2025年10月の中共第20期中央委員会第四回全体会議以降、空軍高級将官に関する問題の情報が相次いで伝えられている。
2025年11月末には、空軍司令の常丁求や政治委員の郭普校など複数の上将が失脚したとの情報が流れた。同年12月11日、政治学者の劉軍寧氏はX上で、現職の空軍司令である常丁求上将が軍紀委監察委の「留置約談期間」に心筋梗塞で急死したと投稿した。
中国共産党高級将官に関する問題が相次ぐ中、64歳で空軍と海軍の双方で勤務歴を持つ王征がこの敏感な時期に「病死」したことについて、別の事情があるのではないかとの憶測が広がっている。
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