【大紀元日本2月22日】中共政権の機関紙「中国青年報」の特別週刊「氷点」は「現代化および歴史教科書」の文章を掲載し、中共の歴史解釈を批判したため(*)、旧正月の前に停刊処分を受けた。この事件は国内外の世論とメディアの関心を集め、特に元共産党宣伝部長・朱厚沢氏を含む十三人の引退した中共高官が抗議声明を発表したことで、国内知識人層にも波紋を広げている。国内の強い反発のため、中共宣伝部は停刊命令を撤回し、総編集長・李大同氏と副編集長・盧躍剛氏の二人を解任するなどの条件で、3月1日から同誌を復刊させると公表した。解任決定について、解任された両氏が連合声明を発表して抗議するほか、関係者からは反発の声が上がっている。
免職処分を受けた両氏は、共に新聞研究所に左遷される見込み。中共の決定に対し、李氏はこのほど、香港紙の取材で、「今回の処分は『現代化と歴史教科書』の掲載が直接的な原因と言われているが、事実上は、『氷点』がいままで中共の意に沿わない報道を続け、中国宣伝部の報道政策と対立してきた。この文章の論点には反対する勢力もあるので、中共は今回の報道を弾圧する絶好な口実と狙っただけである」と見解を示した。
また、副編集長・盧氏が免職される原因は、同氏が新聞社の内部サイトで米国に脱出した愛国作家と記者・劉賓雁氏を追悼し、海外メディアの取材を引き受け、国内の民主活動家とも連絡を取り合っているからだという。
33年の共産党党員歴を持つ李大同氏は、中共宣伝部の停刊命令の撤回は、中共宣伝部よりさらに上層部からの指示であり、「中共政権内部でも現行の報道管理体制について不満が沸いている」と推測した。さらに政権の安定と世論の開放との関係について、「中共政権はもはや圧制で統治を続けることは不可能であり、改革を迫られていることを自覚して欲しい」と語った。復刊後の「氷点」について、李氏はその精神が剥奪された以上、以前の報道姿勢を堅持するのは不可能と分析した。
また、解任されたことにも悔いはなく、「中国の報道の歴史過程において、今回の嵐のような出来事に遭遇し、渦中の人物になった事に十分に満足している」と語った。李氏のヒロイックな発言について、取材側の「明報」は「現在の中国では、正論を報道する者は、中国宣伝部と抗争するには、力の格差が大き過ぎる」と悲観的な見方を示した。
李大同氏は、停刊処分を受けたあと国内外各界からの力強い声援に感謝の意を表し、感動的な事例を紹介した。ある日、編集部に2人の見知らぬ人が訪れ、何も語らずに、分厚い札束をデスクに置き、そのまま立ち去った。後の調査でそのうちの1人は退任した市長クラスの中共高官であることがわかった。「氷点」の報道関係者を支援するために、生活が困らないように、1万元を寄付したという。
このほかも、多くの反発の声が伺える。故・毛沢東氏の秘書だった李鋭氏は16日、香港紙「アップルデイリー」の取材で、両氏が解任されることは中共による報復行為だと批判し、中共政権は停刊と復刊の理由について、説明責任を果たすべきであると指摘した。
また、「氷点」の元作家13人が17日、胡錦涛・総書記と中央指導部宛に公開状を連名で提出し、責任編集者らを解任した中国宣伝部の決定は違法であると訴えた。
一方、「中国青年報」の元編集者・王氏は、今回の事件では、事実上、李大同氏が代表する報道側が勝ったとみている。その理由として、「わずか1ヵ月の間に中国宣伝部は停刊命令を撤回したことは、上層部が自由に天下を制する時代はすでに過ぎ去ったことを意味する。実際に、国民は中共が賞賛する人や物事にはもう興味を示さない。反対に李大同氏は中共に批判されるたびに、人々から同情を集め、賛同され、益々有名になった。つまり、李大同氏が今回の事件で勝利を手にしたとも言える」と彼女は語った。
(*)「氷点」が今年1月、中国の歴史教科書を批判する文章を掲載したことで、停刊処分を受けた。問題とされる文章は、中学校の歴史教科書の中で「愛国主義運動」と讃えられている1900年の「義和団事件」が、事実上、大勢の児童を含む外国人200人以上を殺害した暴力運動であると批判した。
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