中国共産党は23日、最高指導部人事の刷新を行った。李強上海市党委書記(党内序列2位)、蔡奇北京市党委書記(同5位)、丁薛祥党中央弁公庁主任(同6位)、李希広東省党委書記(同7位)らが新たに指導部入りした。
いずれも習氏の側近で今後、習氏に権力と権威がさらに集まるとみられる。
李強・上海市党委員会書記 63歳
浙江省瑞安県出身の李は若い時地元の工場に勤務した後、1983年に共産主義青年団の瑞安県委員会の幹部に抜てきされ、84年に浙江省民生局に入った。
92年に同省民政庁副庁長に昇任した後、約十数年間にわたり浙江省各地の要職を務めた。2004年に同省党委員会秘書長に任命されると、当時省トップだった習近平氏の直属の部下となった。
16年に江蘇省トップ・省党委書記、17年に中央政治局員兼上海市党委員会書記に上り詰めた。
今年3月末、上海市は中共ウイルス(新型コロナウイルス)の感染拡大を食い止めるため都市封鎖を実施した。2カ月以上の封鎖は上海市の社会経済活動を大きな打撃を与えたうえ、厳しい外出規制で持病を持つ市民らが医療機関で診察してもらえず死亡したケースを含めて2次被害が相次いだ。
SNS上に投稿された動画では、市の集合住宅地を視察した李に対し住民らが激怒する様子が映され、一度は新指導部入りが危ぶまれていた。
李希・広東省党委員会書記 65歳
中国西部甘粛省出身。大学卒業後、同省党委員会秘書長などを務め、政治家人生の約22年間を甘粛省で過ごした。04年、陝西省党委員会常務委員兼秘書長に転任。
2006~11年までの5年間、延安市党委員会書記を務めていた。延安は習が文化大革命中に7年にわたって下放されていたゆかりの地でもある。
11年、西部から離れ、東部沿岸部の上海市に赴任し、幹部の人事を所管する組織部部長に務めた。14年に東北部の遼寧省党委員会副書記、同省副省長、代理省長、省長に任命され、15年省トップである省党委書記に就任。
当時遼寧省では、全国人民代表(国会議員)選出に大半の省人民代表(省議員)が金銭授受などの不正を働いたことや、2011~14年までの省の経済データにねつ造があったことが明らかにされた。共産党指導部は、これらの重大な問題を解決するために、李を遼寧省に送ったとみられた。
17年、中央政治局委員に上り、南部の重要経済都市である広東省のトップとなり、最高指導部入りが有力視されてきた。
丁薛祥・中央政治局委員兼党中央弁公庁主任 60歳
江蘇省南通市生まれ。1978~81年まで東北重型機械学院でエンジニアリングを専攻した後、機械工業部(現在・中国機械工業協会)の上海材料研究所に勤務した。96年同研究所の所長に就任し、その後政界へ転身した。
99年に上海市科学委員会副主任、2001年から市政に携わった。07年に45歳で市党委員会常務委員兼秘書長となった丁は、当時上海市トップだった習近平氏の直属の部下として仕えた。
13年、政権運営を担う党中央弁公庁の副主任に抜てきされた直後、習近平国家主席の事務所である「共産党総書記弁公室」主任に任命された。
17年の党大会で、党中央政治局委員、党中央書記処書記、党中央弁公庁主任に昇任。習の国内視察や外遊に必ず同行しており、習の最側近の一人とされている。
蔡奇・北京市党委員会書記 66歳
福建省出身の蔡は文化大革命中、同省の人民公社で労働に従事していた。文化大革命が終わると、福建師範大学に入学し、卒業後は省党委員会弁公庁に入局した。
福建省三明市市長、浙江省衢州市市長、同省杭州市党委員会副書記兼市長、同省党委員会常務委員、副省長などを歴任し、各地の地方政府でキャリアを積んでいた。
2014年、蔡は浙江省副省長の職を解かれ、新たに設立された中央国家安全委員会弁公室副主任に転任され、地方から中央政府に移った。16年に北京市党委員会副書記、17年同書記に任命された。
蔡が率いる北京市政府が17年火災防止対策として出稼ぎ労働者向けの簡易住宅を次々と取り壊し、労働者らを強制退去したことが欧米メディアに注目された。これは「低端人口(低所得者)」駆逐運動と非難された。
蔡は李希らと同じく、習近平の福建省時代と浙江省時代の部下を務めていた。今年2月北京冬季オリンピックが順調に開催されたことは、蔡の最高指導部入りの好材料になったとみられる。
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