1989年の「六四天安門事件」で、当時第38軍軍長だった徐勤先(じょ きんせん)少将は、鄧小平からの「北京に進軍して学生を鎮圧せよ」という命令の実行を拒否したため、中国共産党(中共)当局により秘密裏に有罪判決を下されていたことが明らかになった。最近、徐勤先氏が当時受けた裁判の6時間に及ぶ完全映像が海外に流出し「六四」当時の軍内部の行動を示す具体的な内容が多数含まれており、国内外の注目を集めている。
元第38軍軍長・徐勤先氏
「1990年1月9日、逮捕状には『戒厳命令に違反したため』と書かれていた」
1989年6月3日、中共は第38軍に北京入りを命じ、戒厳令を実施し、天安門広場に集まった市民や学生の鎮圧を指示した。当時38軍を率いていた徐勤先少将は、出動命令書への署名を拒否したため逮捕され、その後、中共軍事法廷により秘密裏に実刑判決を受けた。
徐勤先氏
「この(鎮圧)件については、私は意見が違った。これは群衆による政治的な事件であり、基本的には政治的な方法で解決すべきだと話した」
報道によると、徐勤先氏はその後、当局から秘密裏に懲役5年を言い渡され、秦城刑務所に収監された。刑期を終えた後は河北省石家荘市で暮らしていたが、2021年1月8日に病没し、享年86歳であった。
六四事件の体験者であり研究者でもある吳仁華氏は、11月25日に海外のX(旧Twitter)プラットフォーム上で、徐勤先氏が裁判を受けた当時の完全映像を初めて公開した。その長さは6時間を超える。
徐勤先氏の裁判に関する資料は、これまで中共政府が「国家機密」として扱ってきた。映像が公開されると、国内外で大きな波紋を呼んだ。
六四学生運動の指導者の一人で、ワシントン情報・戦略研究所の経済学者である李恒青氏は次のように語った。
「これまでは彼がどのようにして命令を拒否したのかという様々な説があった。今回の映像は非常に詳細な内容で、確かに衝撃的であった」
徐勤先氏は発言の中で、中共軍事委員会が戒厳令を下し、国務院がそれを公布したこと、第38軍や第27軍が武装して北京に突入したことを明らかにした。
徐勤先氏
「こうした任務は、武器を持っていくが、軍人も市民も入り混じっており、誰が敵で誰が味方かもわからない。こんな状況でどうやって実行するのか、誰を撃てというのか。これは非常に重大な問題であり、よく研究して、どのように処理すべきかを慎重に考えるべきだと話した」
イギリス国立公文書館が公開した外交文書によれば、1989年6月3日夜から4日未明にかけて、中共は20万人以上の戒厳部隊を動員し、丸腰の学生や北京市民に対して発砲し、流血の弾圧を行い、甚大な死傷者を出した。市民の死者は少なくとも1万人に上ると推定されているが、正確な数字は今も明らかになっていない。
六四事件からすでに30年以上が経った現在でも、中共当局は「六四」虐殺の真相を徹底的に検閲し、情報を封鎖しており、犠牲者遺族の私的な追悼活動すら監視・妨害している。
現在、中国経済は悪化の一途をたどり、多くの企業が倒産し、失業率は高止まりしている。民衆の不満が高まる中で、各地で権利侵害への抗議行動が相次いでいる。専門家らは、今回の映像流出には深い意味があると分析している。
李恒青氏
「今のこうした状況下では、大規模な市民デモが起こる可能性が非常に高い。経済が急激に下落し、共産党は時代に逆行する施策を続けているため、多くの庶民がすでに生活に困窮している。したがって、大規模な抗議運動が今後必ず起こるだろう。だからこそ、この映像は中共軍の兵士たちに『再び人民に銃口を向けるな』と警鐘を鳴らしているのだ」
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