ロシアが敗北したら
5月16日の報道1930(BS-TBS)は「プーチン体制崩壊ならロシア大分裂?欧米で広まる議論の現実味」という刺激的なタイトルに象徴されるように、ロシアがウクライナに敗北して、プーチン政権が崩壊した場合、ロシアはどうなるのかを集中的に議論していた。
タイトルに「欧米で広まる議論」とあるように、欧米では既にロシア敗戦後をにらんだ議論が密かに進行している。まだ戦争が決着していない段階で、気の早い議論だと思われようが、欧米では、この戦争をどう決着させるかを考える上で、様々な場合を想定したシミュレーションを行っている。転ばぬ先の杖の例えもあるように、あらゆる状況を想定して戦略を立てないと思わぬ事態が起こり大やけどをするのである。
そもそも、このウクライナ戦争自体が、あらゆる状況を想定せずに戦略を立てた結果である。事の起こりは、米ソ冷戦の終了だ。米国は1980年代、硬軟織り交ぜた戦略でソ連を翻弄し、遂には東ヨーロッパとアフガニスタンからソ連軍を撤退させ、冷戦終了に持ち込んだ。
ここまでは、米国の計画通りだった。だが1991年のソ連崩壊は、米国にとっても予想外の出来事だった。ソ連はロシアを中心とする15の共和国から成立していたのだが、実態はロシア軍が14の国を占領していたのだ。そこからロシア軍が撤退してしまうと、各国はもはやロシアの命令に服従する必要がなくなり、独立してしまったのだった。
旧ソ連の国々が独立して民主主義国になるのは、米国にとって概して望ましいことなのだが、一つだけ、例外があった。それがウクライナである。
ソ連の兵器庫
ウクライナはソ連領にあって、ソ連軍(ロシア軍)の武器を生産し保管しているソ連の兵器庫であったのである。ソ連共産党の軛(くびき)から脱した途端、規律も秩序も失われ、汚職が蔓延り、旧ソ連軍の大量の武器が武器商人の手に渡り、世界中に流出するに至った。この辺の経緯はニコラス・ケイジ主演の映画「ロード・オブ・ウォー」などで面白く描かれているので、ご存じの方も多かろう。
だがウクライナに保管されていたのは、通常兵器だけではなかった。大量の核兵器も保管されていたのである。核兵器が武器商人の手によって売りさばかれテロリストの手に渡ったら、米露のみならず、世界文明そのものが滅亡の危機に瀕することになる。こうした理由で、ウクライナから核兵器は撤去されたのである。
ロシアに侵攻された現在のウクライナは、あの時、核兵器を手放していなければ、ロシアに侵攻されることもなかっただろうと嘆いている。しかし、当時は米国を含め世界中がウクライナから核兵器を撤去することを望んでいたのである。
NATOの東方拡大
北大西洋条約機構(NATO)は冷戦期において、西ヨーロッパの集団防衛体制として、東ヨーロッパのソ連陣営と対峙していた。ソ連が崩壊した結果、それまでソ連の勢力下にあった東欧諸国がNATOに加盟するようになった。同時にEUにも加盟したから、要するに西側陣営が東側陣営を圧倒して行ったのである。
ながらくロシアの勢力下にあったポーランドは、1999年にNATOに加盟し、2004年にEUに加盟した。そしてロシアの軛(くびき)から脱したポーランドは目覚ましい経済発展を遂げたのである。
ポーランドは西の隣国であり、陸続きだから、ポーランドの経済発展の様子はウクライナ人には、手に取るようにわかる。同じ東側陣営であったポーランドが西側に加盟して、あんなに豊かになったのだからウクライナも西側に加盟すれば、同様に豊かになれると考えるウクライナ人が多数出ても不思議はあるまい。
クリミア半島の地政学
ウクライナは独立国なのだから、国民が望めば、ポーランドと同じように西側に加盟できるはずだ。これは国際法の常識なのだが、国際政治は国際法だけで動くわけではない。そこには地政学の原理が働くのである。
クリミア半島にはセバストポリというロシアの軍港がある。ロシア黒海艦隊の拠点であり、黒海はボスポラス海峡、ダーダネルス海峡を経て地中海に接続しているから、セバストポリはロシアにとって地中海への出口に他ならない。
クリミア半島はウクライナの一部であるから、もしウクライナがNATOに加盟したら、ロシア艦隊はセバストポリから撤収せざるを得なくなろう。つまりロシアは地中海への出口を失うのである。
これはロシアにとって到底容認できる事態ではない。そこで2014年ロシアはクリミア半島を武力併合したのである。だがクリミア半島だけ取っても、ロシアと陸地では切り離されており、物資補給の安定を確保できない。
そこで昨年、ロシア軍は再度、ウクライナに侵攻し東部と南部を占領した。これによりクリミア半島はロシアと陸上補給路で結ばれたのだ。
ロシアはウクライナ全域の占領を目指しているかのように言われているが、これは西側の流しているプロパガンダだ。ロシアは既に戦争目的を達成しており、いつでも停戦に応じられる状況なのだ。
だが、いま停戦すれば、ロシアはクリミア半島及びロシアにつながるクリミア回廊を確保できるから事実上、ロシアの勝利ということになる。ロシアの行動は地政学的には必然であったが、国際法的には侵略であり違法である。従って西側は、安易にこれを認めるわけにもいかないのである。
ロシア分裂の可能性
ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア軍をウクライナ全土から追い出すまで戦うと豪語している。国際法的には、これが正義なのだが、これが実現した場合、ロシアはセバストポリを失い、地中海への出口をなくすから、地政的な大打撃を被ることになる。
ユーラシア大陸を横断する広大な領土を有するロシアに地政学的な変化がもたらされた場合、当然、その変化はユーラシア大陸全体に及ぶものと考えられる。それは一体、どのようなものなのか?
冒頭で触れた「プーチン政権崩壊ならロシア大分裂?」というシミュレーションは、こうした疑問に答えようとする試みなのだ。
確かに、ロシア軍がウクライナから敗退した場合、プーチン政権は一気に求心力を失い、崩壊する可能性がある。ロシア国民は常に強力な指導者を求める。あの広大な領土を統一できる強力な指導者をロシア国民は必要としているのだ。
従ってウクライナに敗けるような指導者をロシア国民は決して許さないだろう。大統領選まで、もう1年を切っている。だが、プーチンが退場すれば独裁体制そのものが崩壊するからロシアは統一を保てなくなろう。ロシアが分裂する公算は高いのである。
ロシア分裂後の世界
ロシアはユーラシア大陸に横たわる大国である。ユーラシアとは、ヨーロッパとアジアが合わさった合成語だ。従ってロシアはヨーロッパ地域とアジア地域に二分できる。
ヨーロッパとアジアの境界線は、ウラル山脈から黒海、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡に至る線である。つまりロシアはウラル山脈で二分できる。
ウラル山脈以東をシベリアと呼ぶが、これは16世紀に、ロシア軍がウラル山脈を越えて侵略を始め、シビル・ハン王国を滅ぼしたことに因む。シビル・ハンと言う名でお分かりの様に、もとはモンゴル帝国である。
中央アジアにはアゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスといずれもトルコ系の国が林立しているが、これらはいずれもモンゴル帝国の末裔なのだ。
トルコはこれらの中央アジアの国々に強い関心を寄せているが、ここで重要なことは、トルコはNATOの加盟国である点だ。もしロシアがウラル山脈を境に分裂した場合、NATOはウクライナ、ジョージア(グルジア)、アゼルバイジャンを経て、中央アジアに東方拡大を図っても不思議はない。
中央アジアがNATOに加盟すれば、シベリア西部は、間違いなくNATOの勢力範囲となる。
シベリア東部がどうなるかだが、ロシア太平洋艦隊の拠点ウラジオストックがある沿海州はもともと中国領である。19世紀にロシアに侵略された地域であるから、当然、中国は取り返すだろう。
だがここで重要なのは沿海州には、樺太(サハリン)、千島列島、北方4島が含まれる可能性がある点だ。つまり中国軍は、今のロシア軍に代わって、この地域に駐留する可能性が考えられる。
現在、日本は中国の南からの脅威にさらされているが、将来、中国の北からの脅威にもさらされることになるかもしれない。
(了)
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