膨張する中国共産党ーー。この現代の地政学的な挑戦に直面する中、日欧米は政策の連携強化を進めている。この取り組みを強化するには、中国の隣国である大国インドの引き込みは欠かせない。今日の日印関係の背後には、軍帥と謳われた安倍晋三元首相の戦略的な思考があった。
「安倍晋三によって、インドと日本が中国による挑戦に対処し、協力することを可能にしたのだ」。インド政府元メディア顧問で経済学者、作家のサンジャヤ・バル氏はエポックタイムズの取材にこう答えた。
安倍氏は日本の首相として初めて価値の共有を提唱する広域圏構想を立ち上げ、インドと共にあゆみを進めることのできる外交安保のシナリオを描いた。この構想は、第一次安倍政権が2007年6月にインド国会で説いたインド洋と太平洋のダイナミックな繁栄の統合「2つの海の交わり」に始まった。
バル氏によれば、20世紀初頭の日露戦争で勝利を納めた日本にインド人は敬意を持ち、こうした当時の日本人の自尊心を胸に抱く指導者が安倍氏であると高く評価している。また、欧米におもねることなく、自立した判断で日本を舵取りをしてきたと論じた。
バル氏は没後1年に合わせて、安倍氏の立ち上げた構想と日印関係、インド太平洋への影響と評価を示すべく、16人の日印英からの専門家の意見を書籍『The Importance of SHINZO ABE -India,Japan and the Indo-Pacific(仮邦訳:安倍晋三の重大性ーインド、日本およびインド太平洋)』をまとめあげた。
7月1日に書籍が現地出版され、電子書籍のKindle版が10日からオンラインで発売される。インド研究の堀本武功氏、谷口智彦・慶應義塾大学教授、元総務相で実業家の竹中平蔵氏らが著者に名を連ねる。ジャイシャンカル外相が同書を推薦する。
出版を機に、エポックタイムズはバル氏に話を伺った。
ーー書籍編集の動機について。
私は、安倍晋三元首相が独自の視点で日本と他の大国との関係を考えることができる戦後日本の特別な政治家だと考えている。彼はインド、中国、ロシアに手を差し伸べた。米国や中国の傀儡のような行動をせず、日本のグローバルな役割に大いなる誇りを持つ、独立した日本人として堂々と立ち上がった。特に(昨今)、日本が再び西側に過度に依存するようになった後、安倍氏のリーダーシップを見つめ直す必要があると感じた。
ーーこの地理的概念の誕生、つまり太平洋とインド洋をつなぎ、自由と繁栄の地域にするとの構想だが、この地理的な境界を破ることによって、インド、中国、ロシアの関係はどのように変わったのか。
「インド太平洋」の概念は、インドと日本が中国による挑戦に対処するために協力することを可能にしたのだ。
安倍氏は、西洋の同盟国としてではなく、日本人としてどのように世界と向き合うかを考えていたと思う。彼は日本人であり、アジア人であることに大いなる誇りを持っていた。2007年のインド議会での演說は、彼が真の日本の愛国者であり、偉大なアジアのリーダーであることを示した。
安倍氏は戦後の過度な負担と、日本のエリート層の伝統的な西側への従属心から心を解放することができた。私はインド人であり、アジア人として、安倍氏のこれらの資質を尊敬している。
ーーあなたは以前インド現地紙ダッカ・クロニクルへの寄稿文で「西側先進国は、日本の(第二次世界大戦の)歴史を否定的な記憶としてしばしば振り返るのが好きなようだが、インドは日本をアジアの民主的な国家であり、軍事力を保有する正常な状態に移行することを期待している」と述べられた。この点についてもう少し詳しく聞かせてほしい。
日本はアジアで最初の先進国であり、偉大なアジアの国としてインド人たちは見ている。第二次世界大戦の敗戦後、日本人の多くが西洋化し、米国に依存しすぎるようになったのを残念に思う。
しかし、日本が高度に文化的な人々が住む偉大な国であり、教育が日本を主要な経済大国にさせたのをインド人は目にしてきた。日本は中国やインド、東南アジア全体の戦後の発展に寄与してきた。インドは常に日本の世界における役割に肯定的な見方をしてきた。
ーーインドは中国との関係について経済的、政治的な関係もある一方で、中国共産党の統一戦線による影響力の行使など、さまざまなリスクもある。インドは中国共産党のこれらの影響力の行使にどのように対処してるのか。BRICSとクアッドに同時加盟するインドは何を優先しているのか。
現在のインドの外交政策は、「多元的連携」(multi-alignment)と定義されている。インドは、中国とロシアを含むすべての大国との独立した関係を維持し続けている。これは、インドが引き続き、クアッド(Quad)、ブリックス(BRICs)、上海協力機構(SCO)などのミニラテラルとの関係を維持し続けることを意味する。
中国は必然的に世界の様々な分野で大きな役割を果たすことになるだろう。しかし、習近平政権の下での現在の政策は、ほとんどの隣国を不安にさせており、警戒心を抱かせるようになった。いっぽうインドと日本は、中国の挑戦に対処するために協力しなければならないだろう。同時に、私たちは中国が大国であり悠久の文明があったことも認識するべきだ。
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バル氏は2022年7月、インド現地紙デカン・クロニクルの寄稿文で安倍晋三氏こそ日本とインドとの関係を構築した人物だと評している。
祖父である岸信介氏の1957年のインド訪問から半世紀後、安倍氏が2007年に公式訪問にしたのには、特にインドに大きなインパクトをもたらしたという。これは世界貿易機構(WTO)加盟で世界貿易の一角となる中国に日本が熱線を注ぐいっぽう、核実験に踏み込んだインドとの関係は冷え込んでいた時期のことだった。
1998年5月、自身を核兵器国家と宣言したインドと、日本は距離を置いた。大使を通じて抗議し、経済制裁をかけた。同年12月、インドは立場の説明のために、バル氏を含め日本へ代表団を派遣した。その当時、インドの立場にも耳を傾けたのが当時の安倍氏(衆議院議員)だったという。
さらに踏み込んで、安倍氏は核不拡散防止条約の署名国ではないインドと核分野のエネルギーの平和利用に協力協定を締結した(2017年)。英ディプロマット紙によれば、元インド外務次官シャム・サラン氏は、「安倍氏は日本の強い反対を乗り越えて、2017年に画期的なインドと日本の核技術協力を可能にした、高い個人的な役割」を回想している。
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