社会 改良主義批判から日本への警鐘まで

袁紅氷氏が講演 天安門事件後の中国民主化の失敗 日本の中共認識の甘さに警鐘鳴らす

2025/07/24 更新: 2025/07/25

1989年の天安門事件は、中国の民主化運動における歴史的転機であると同時に、その限界を浮き彫りにした出来事でもある。事件から35年を経た現在、中国の民主化は進むどころか一層遠のき、共産党体制はむしろ強化された。こうした歴史の歯車がなぜ逆転したのか――。中国の著名な法学者であり、北京大学で教鞭をとった袁紅氷氏が、7月21日に東京都で行った講演で、その根本原因を「共産体制の改良主義」にあると断じ、同時に日本に対しても地政学的な覚醒を促す警告を発した。

民主化運動の失敗 改革派の限界

袁氏は、1989年の民主化運動が失敗した原因を、知識人たちが民衆蜂起を導かず、共産党の自己改革に期待する「共産体制の改良主義」に囚われたことにあると分析した。1989年、趙紫陽・元中共総書記が天安門広場で学生に「我々は老いたが、君たちは若い。気をつけて」と語ったが、袁氏はその後、中国で民衆蜂起は無く、変革の機会を逃したと批判し、同時期のソ連でボリス・エリツィンが民衆を率いて、共産党に立ち向かい体制崩壊を導いた事例と対比し、改良主義の限界を強調した。

海外民主化運動の衰退

袁氏は、天安門事件後の海外民主運動が初期の勢いを失い辺縁化した原因も改良主義にあると指摘し、「中国の経済が発展し、国民一人当たりのGDPが一定水準に達すれば、中国共産党は自動的に専制を放棄する」という「経済決定論」に囚われ、共産党の体制内改革に期待したと批判した。さらに、西側左派の「宥和政策」が中共を強化し、国際資本の流入がその経済基盤を支えたというのだ。国際資本、左派政治家と中共の腐敗した官僚による利益連盟は、約3億人の農民工の過酷な労働搾取や中国の自然環境破壊、資源の無制限な採掘を代償に利益を生んできたのだ。

日本の対中政策の課題

袁氏の講演は、現在の国際情勢にも触れ、習近平が権力を掌握した後、中共は世界第二位の経済力を、政治的、経済的、軍事的、文化的領域における国際共産主義のグローバルな拡張に転換した。この動きは、21世紀における自由民主主義の価値観に対する重大な挑戦となったと指摘した。日本の政治家や学術エリートが、共産党を「アメリカや日本の主要な脅威」と明確に認識していないと指摘した。特に、共産党の台湾併合戦略は日本の海上交通路(シーレーン)を脅かし、海洋国家としての国益を損なうと指摘し、この脅威を抑止しなければ、日本は共産党の政治的・経済的・文化的影響下に置かれる危険があると訴えた。

参議院選挙と保守派へのメッセージ

また講演の後の質問では、参議院選挙で躍進した参政党(14議席獲得)の「中国人問題」スタンスに触れ、袁氏は参政党が共産党の脅威を認識し国益を守ろうとする鋭敏さを評価。一方で、中共と中国人を混同する誤解を批判し、「中国人の中にも自由と民主を求める人々がいる」と強調した。この混同は、70年にわたる共産党の支配で中国社会が道徳的に堕落したとの認識に起因するが、戦略的にも誤りだと述べた。

沖縄・台湾問題と日本の役割

袁氏は、中共が沖縄の「独立」を煽る戦略で日本の世論を分断し、台湾有事での日本の関与を抑止しようとすると分析し、安倍晋三元首相の「台湾有事は日本有事」を引用し、台湾が共産党に統一されれば日本の海上交通路が危機に瀕し、自由民主主義が脅かされると警告した。「これは台湾への恩恵ではなく、日本の国益を守る戦略的必然だ」と強調した。

袁紅氷(えん こうひょう )氏は、中国出身の法学者、小説家、そして反体制活動家として知られる人物です。北京大学法学部で刑事訴訟法を専攻し、同大学で刑事訴訟法学部の責任者として教鞭をとった。1989年で「北京大学教師後援団」を組織し、学生運動を積極的に支持したため、中国当局から監視された。天安門事件後の当局の圧力を受け、貴州大学の法学部長に左遷され、その後中国を離れた。現在はオーストラリアで反体制活動家として、中国共産党の政治体制や人権問題を批判する発言を続けており、国際的な注目を集めている。

 

清川茜
エポックタイムズ記者。経済、金融と社会問題について執筆している。大学では日本語と経営学を専攻。
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