どんなに小さな嘘でも 神様はお見通し
昔、今の中国湖南省、湖北省辺りに、とても正直な知識人がいた。玉皇大帝は冥界第七殿で人手不足なため、彼に暫く業務を代行するよう任命した。彼はそれから数日置きに冥界へ行き、閻魔帳を確認する仕事を行った。
【動画】毎週一字(1):真
漢字の「真」は、上部の「十」と、真中の「目」という文字から成る。「十」は、仏教でいうところの「十方世界(宇宙には十次元、またはそれ以上の異なる次元が存在するという考え方)」を意味し、その下に「目」があることから、全ての次元を見通す「佛の目」を表す。
三寸の舌に五尺の身を亡ぼす
宋の時代、「士大夫」という階級がありました。教養を備え、詩文にも通じ、科挙を通過した官僚を多く輩出した士大夫層は、その後も王朝が「元」「明」「清」と移り変わっても、ずっと中国の支配階級の中枢を占めてきました。宋代の「士大夫」を育てる親の教育は非常に厳しいものだったようです。
神韻日本公演スタート「最高のステージングを」
韓国での巡回公演を終えたばかりの神韻国際芸術団は16日午後3時ころ、羽田空港に到着した。同芸術団に所属する100人以上のアーティストが空港到着ロビーに現れた途端、空港に駆け付けた多くの日本人ファンから花束を贈られ、熱烈な歓迎を受けた。
1250年前、世界初お茶の専門誌が生まれた
唐代に誕生した世界初のお茶の専門誌『茶経』は、現在でも中国茶道のバイブルとして珍重されている。著者である陸羽(りくう)(733~804)は、茶聖(茶の聖人)と称えられている。
心のない愛 子を見ない親 簡体字が映すもの
愛は「爱」に変わり、「心」を無くした。つまり愛に心がこもらず、うわべのだけの愛となった。
「聴く」に込められた意味
学校でも職場でも、今や雄弁で自己アピールの上手な人がもてはやされる時代。寡黙で常に聞き役の人は、まるで損しているかのようです。古代と道徳観が逆転している今、漢字に込められた意味を理解し、ハッとさせられることがあります。
温故知新の舞台 記者が見た神韻日本公演
世界巡回公演中の神韻芸術団は、1月下旬から2月初めまで8日間に渡る日本巡回公演を成功裏に終え、韓国に渡った。失われた中国伝統文化の復興を目指しニューヨークで結成された神韻芸術団。ニューヨーク・リンカーンセンター公演での公演は満員となり立ち見席が出るなど世界各国で賞賛を受けている。日本でも公演前からチケットが完売したところもでた。話題の舞台の様子を取材してみた。
念を変えれば、人生が変わる
古代中国では、徳を積むことが重要だと考えられていました。人間はよいことを行っても、悪いことを行っても、すべて天から見られているというのです。人生で遭遇する出来事に偶然なことは一つもなく、自分の考えや行いによる結果が、常に報いとなって帰ってきます。因果応報の理について、いきいきと描かれた古代中国の物語をご紹介します。
夏王朝の誕生に伴う徳政の建立
夏王朝は禹(う)が建てた古代の王朝である。紀元前2070年頃に興り、前1600年頃に殷(商)に滅ぼされた。始祖の禹は顓頊の孫であり、姓は娰(じ)という。禹は、父の鯀(こん)の後、たびたび氾濫して民を苦しめていた大洪水をおさめた功績により、帝舜から帝位を禅譲された。
無私の心で徳を積む
明の時代(1368-1644)、羅倫(ラ・リン)という男がいた。彼は科挙の試験を受けるため、地方の山から首都へ向かっていた。山東省を旅している時、お供をしていた童子が、金色に輝く腕輪を道で拾った。童子は羅倫に一言も告げず、そっと自分が持っている荷物にしまっておいた。数日後、羅倫はふと自分が持っている金銭を勘定し、残りの旅路に足りるかどうかと案じた。
隣国のスイカを育てた農民
戦国時代、魏国と楚国をまたぐ地域ではスイカの栽培が盛んだった。魏国のスイカは成長が早く、大きくて美味なのに対し、楚国のものは成長が遅く、小さい実しか収穫できなかった。その原因は、魏国の農民たちが勤勉でスイカ作りに精を出している一方、楚国では水さえあまりやらないほど怠けていたからだった。
自分の行いを正し、修めること
自分の妻や夫から行いの悪い部分を指摘されて、素直に受け止められる人は一体何人いるでしょうか?古代中国の物語には、自分の行いを正した後、はからずも高官の職を得た人物がいます。
度量の広い宰相
唐の時代、狄仁傑(てきじんけつ)と婁師徳(ろうしとく)の二人は、武則天に仕える政治家だった。しかし、狄仁傑は常に婁師徳を誹謗していた。ある日、武則天は仁傑に、なぜ彼女が仁傑を登用したか知っているか、と聞いた。仁傑は、答えた。「私には卓越した才能があり、他人の助けを必要としません。優秀で、徳もあり、また世知に長けています」
寛容な心に涙した泥棒
東漢の時代、名士・陳寔(ちんしょく)は自分を厳しく律し、機会を見つけては自ら手本を示し、子供たちを教育していた。
大洪水に見舞われた年、多くの村は深刻な被害に遭った。田んぼが流され、大勢の人が飢饉に見舞われ、流民が溢れた。やがて動乱の世となり、盗人が横行した。
神話―中国文明の曙光
平成24年に『古事記』編纂1300年を迎え、日本では国家の成立、人類の誕生、天地開闢などがあらためて提起され、多大な関心が寄せられている。
同文化圏の中国でも近年、伝統文化のブームがしだいに高まり、その中で神話伝説への関心度が突出し、関連の研究も優れた成果を多く挙げている。しかし、裏付けとなるような詳細な資料の欠乏、マルクスの史的唯物論などに囚われているため、中国における神話伝説の研究、とりわけ宇宙創成や生命誕生など神話の根本的な問題に関しては、たいてい同じ唯物的次元で徘徊し、諸家の論考に小異はあっても
どんなに小さな嘘でも 神様はお見通し
昔、今の中国湖南省、湖北省辺りに、とても正直な知識人がいた。玉皇大帝は冥界第七殿で人手不足なため、彼に暫く業務を代行するよう任命した。彼はそれから数日置きに冥界へ行き、閻魔帳を確認する仕事を行った。
六世代にわたる報い
昔の人は「徳」について、よく言及していました。「徳」とは善行を積み、辛いことに耐えること。徳を積めば善果を得られ、悪行を積めば悪報が待っています。科学ばかりが重視される昨今、精神的なことは忘れられがちです。徳と子孫繁栄を何よりも重んじた古代中国の物語が、大切なことを教えてくれるでしょう。
「八観六験」人の品格を見極める古人の知恵
デジタル時代を生きる人類は多くをコンピューターに頼り、物事を数字で判断するようになりました。その依存度は、コンピューター占いによって自分の運命まで機械任せにする人も現れるほど。しかし、自身の品格を高め、他人の品格を見極めるには、自らの経験や見識に頼るしかありません。人を見る目があるか否かは個人の能力の問題ですが、「人を見極める方法」を知っているかどうかも重要です。その方法の一つに、中国の戦国時代に編集された『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』に記されている「八観六験(はちかんろくけん)」というものがあります
孔子が説く「君子の道」
一、君子の徳行
孔子曰く、「顔回は君子の徳行を四つ持っている。一つ目は仁義を貫く事、二つ目は人の勧告を素直に受け入れる事、三つ目は官職に慎重で謙虚である事、四つ目は日頃の行いを慎んでいる事。史鰍も君子の徳行を三つ持っている。一つ目は官職がなくても上の者に忠誠を尽くす事、二つ目は祭祀を行わなくても神様を尊敬する事、三つ目は自分に厳格であり、他人に寛容である事」
【儒家故事】 学問は何よりも勝る
【大紀元日本6月15日】ある日、孔子は息子の伯魚にこう言った。「人を夢中にさせ、飽きさせないものは、おそらく学問しかないだろう。容姿が悪くとも、力がなくとも、家柄が貧しくとも、頼れる人がいなくとも、末
過ちを改めた君主
【大紀元日本6月11日】中国の五代十国の時代では、小さい国々の間は紛争が止まなかった。どの君主も民衆の命を軽んじ、武力で支配した結果、どの国も長く続くことはなかった。しかしその中でも、後唐第2代皇帝の
【儒家故事】 孔子と弟子の問答
【大紀元日本5月18日】子夏は孔子に聞いた。「顔回は、どのような人ですか」 孔子は、「顔回は人として正直であり、この点では私より優れているのだ」と答えた。 子夏は聞いた。「子貢はどのような人ですか」
【佛家故事】 美しさも愛情も 人生は無常
【大紀元日本5月7日】ある所に一人の長者がおり、彼の息子の妻は息を呑むほどの美人であった。息子は美しい妻のそばを一刻も離れようとせず、毎日を暮らしていた。 ある日、国の交通の要路が壊され、他国の人々が
雲泥の差(うんでいのさ)【1分で読める故事成語】
少し古いが、『AERA』に「日本人大学生よ、もっと頑張れ」と叱咤激励したくなる記事があった。
中国伝統文化復興の舞台、台湾で完売続く 15日に日本公演スタート
【大紀元日本4月8日】「失われつつある中国伝統文化の復興」を掲げ、毎年世界ツアーを開催する米神韻芸術団(本部・ニューヨーク)の台湾公演は全席完売で終演を迎え、待望の日本公演が15日から始まる。 今年の
【名言警句】 躬(み)自ら厚くして、薄く人を責むる
【大紀元日本4月6日】「躬自厚而薄責於人」。これは孔子の言葉で、「自分に対して厳しく律し、他人に対して寛大な心で対応する」という意味です。原文の言葉をかみ砕いて解釈すると、「厚責於己而薄責於人」と読み
【名言警句】 学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)
【大紀元日本3月5日】「学而不思則罔 思而不学則殆」。これは『論語』に記されている。「学ぶだけで思考しなければ知識を生かすことができず、思考するばかりで知識を学ばなければ賢明な判断ができない」という意
美貌より徳を重んじた男
三国時代、許允(きょいん)という男の妻・阮氏(げんし)はとても賢明であったが、容姿は非常に醜かった。 許允が初めて彼女を見た時、彼女の醜い容貌に驚き、婚礼が終わり、来客が去ったあ
【儒家故事】 親孝行になった不孝息子
【大紀元日本2月20日】中国・北魏の時代、房愛東という男がいた。彼の妻は崔氏といい、清河地方の人だった。子供がまだ幼い時から崔氏は自ら二人の息子に※「九経」を教え、小さい頃から礼儀正しく、思いやりのあ