英国バイリンガル子育て奮闘記(77)5年制の中学校
【大紀元日本3月7日】小学校6年生になって、中学卒業試験にあたるGCSEの科目を意識するようになった。英国では小学校6年、中学5年、高校2年、大学は一般に3年という制度をとっている。初めて英国の学齢
英国バイリンガル子育て奮闘記(76)日本の国内旅行(下)(2000年春)
【大紀元日本2月28日】日本国内の1週間の旅では、基本的にペンザンスで知り合った日本人の家を転々とさせてもらった。 この前年、ペンザンスの小学校で1年間、日本文化の紹介のボランティアとして滞在してい
英国バイリンガル子育て奮闘記(75)日本の国内旅行 (上)(2000年春)
【大紀元日本2月21日】6年生の春にあたる時期に日本を訪れた。2年生の時にはわずか5日間ながら小学校に体験入学してもらい、かなり強行なスケジュールで本人の心理状態も十分に考慮しなかったためか、イギリ
英国バイリンガル子育て奮闘記(74)お墓参り(2000年春)
【大紀元日本2月14日】11歳になる春休みを利用して、再び日本を訪れた。お盆やお彼岸とは時期を逸してしまうのだが、逆に静かな時期にお寺さんを訪れたりしてきた。4歳のころは、特別に本堂に入れてもらい、
英国バイリンガル子育て奮闘記 (73)皆既日食(1999年8月)
【大紀元日本2月7日】1999年の8月に皆既日食があった。皆既日食を見ることができる経路が、なんと、地元コーンウォール州のセント・ジャストという小さな小さな村にかかるということで、夏休みの稼ぎ時でも
英国バイリンガル子育て奮闘記(72)男の子と女の子(1998−2000年)
【大紀元日本1月31日】日本で私が小学校6年のころ、女の子だけ特別に放課後残され、花が開くビデオを見せられた。そのあと、アンケート調査のような紙がまわってきて、質問に答えるようになっていた。よく意味
英国バイリンガル子育て奮闘記 (71) キャンプ(1998−2000年)
【大紀元日本1月24日】ある日、学校からのたよりで、行事日程のところにWestward Ho!と書かれていた。なんだろ、この「ホ!」って、と首を傾げた。英語を直訳すると、「西に向かって ホ!」コメデ
英国バイリンガル子育て奮闘記 (70) 読みごたえのある成績表 (1998−2000年)
【大紀元日本1月17日】たまたま娘が行った学校に限ってのことかもしれないが、英国の成績表(School Report)は、まず文章で始まる、という印象を受けた。 こうして日本語と英語を比べるだけでも
英国バイリンガル子育て奮闘記(69)選ばれない子… (1998−2000年)
【大紀元日本1月10日】イギリスの学校では、一概に「部活」の概念はない。前の小学校では、放課後にガーデニング・クラブとかスポーツとかはあったが、やりたい児童が残る程度で、私が育った日本でよく見受けら
英国バイリンガル子育て奮闘記(68)ネットがもたらしたクラスメート (2000年 秋以降)
【大紀元日本1月3日】娘が中学に上がったころだったと思う。都会の家族が越してきた。人材派遣会社を経営していて、英国内に2つも3つも家を持っているようだった。一番好きな家に住もうと思い立ち、眺めの良い
英国バイリンガル子育て奮闘記(67)オセアニアからのお母さん (1998年 秋以降)
【大紀元日本12月27日】新しい友達はエレナだけではなかった。褐色の健康そうな肌をした小柄なルイーザ(仮名)もクラスに入ってきた。父親はコーンウォール出身の海洋生物学者で魚の捕獲量に関するコンサルタ
英国バイリンガル子育て奮闘記(66)中国人のお友達 (1998年 秋以降)
【大紀元日本12月20日】秋から5年生になった。娘は幼稚園から高校まで一カ所にある小さな小さな私立に転校した。 寄宿舎があり、香港から中国人が送り込まれていた。 香港から来たエレナちゃん(仮名)がク
英国バイリンガル子育て奮闘記(65)新しいクラスメートたち (1998年 秋)
【大紀元日本12月13日】新しい学校は少数精鋭というわけではなく、主流の教育に乗り切れなかった子どもたちも混ざっていた。ここで耳にした言葉は、ディスレクシア(Dyslexia)。学習障害の一種で、辞
英国バイリンガル子育て奮闘記(64)叱られる親 (1998年 春)
【大紀元日本12月6日】学年の終わりを待たずして、最後の学期のハーフタームを境に転校させた。小さな私立で、小さな町の中にあるさらに小さな村といった感じだった。生徒も先生も親もお互いを知り尽くしている
英国バイリンガル子育て奮闘記(63)新しい学校 (1998年 春)
【大紀元日本11月29日】別の学校を探すにあたって、娘のバイリンガル、バイカルチャーを受け入れ育んでくれることを基準に据えていた。前の学校では、特に何語で娘に話しても誰も気にかけないという気楽さがあ
英国バイリンガル子育て奮闘記(62)転校 (1998年 春)
【大紀元日本11月22日】イジメの見張りの件は、一応、担任が対処するとのことだったが、やはり先生は子ども社会の一員ではない。同然ながら「誰が言ったんだ」という話になる。汚名の晴れた大柄な子は、なぜか
英国バイリンガル子育て奮闘記(61)日本へ(下)イジメの見張り…(1998年 春)
【大紀元日本11月15日】日本で小学校4年の春の入学時にあたる今回の訪日は、これまでの日本行きとは違い、日本を楽しむというより、「心はイギリスにあり」という感じだった。今回は日本の学校への体験入学も
英国バイリンガル子育て奮闘記(60)日本へ(中)日本の中のイギリス(1998年 春)
【大紀元日本11月8日】異文化拒否症の娘との関わりで疲労困憊した心を、「峠の釜飯」で癒しながら、 山村留学の見学を後にした。因みに、娘は駅弁も不気味がっていた。サンドイッチを買ったが、ポテトの入った
バイリンガル脳 認知症を遅らせる=カナダ研究
【大紀元日本11月3日】複数の言語を生涯にわたって話すことは、老いてから報われるかもしれない。最近の研究によれば、バイリンガル(二言語を話す人)は老年認知症の症状を平均4年遅らせることができるという
英国バイリンガル子育て奮闘記(59)日本へ(上)異文化拒否症(1998年 春)
【大紀元日本11月1日】娘のバイリンガル子育てにあたって、二年に一度、日本を訪れるようにしていた。円高でも夫の具合が悪くても、とにかく、これ以上日本から離れたら、娘の日本語は完全に消えてしまう、とい
英国バイリンガル子育て奮闘記(58)クマのアシスタント(1997年頃)
【大紀元日本10月25日】文部省の通信学習というのを1年生の時からやっていたが、2年生で算数の九九算の壁があり、いろいろな意味で限界を感じた。まだ習っていない漢字が提出用のシートの問題に含まれていた
英国バイリンガル子育て奮闘記(57)全国統一試験(1996年頃)
【大紀元日本10月18日】英国の学校には教科書がないが、カリキュラムはあった。親しくさせていただいた2年生の担任の先生から、 なぜか指導書のコピーをもらったことがある。バイリンガル子育てのため、学校
英国バイリンガル子育て奮闘記(56) カフェテリア形式の給食(1996年頃)
【大紀元日本10月11日】日本では、離乳食の時点から栄養価を考え、蛋白質は赤、野菜は緑、穀類は黄色などで区分分けされた乳幼児の本が出版されていたりする。日本の姉から送ってもらった離乳食の本をヘルスビ
英国バイリンガル子育て奮闘記(55) 褒め合いっこ(1996年頃)
【大紀元日本10月4日】子供を褒めちぎれない親を持ち、自信のない子になりつつある娘が、ある日、カラフルな文字がぎっしりと詰まった大きな紙を持って帰って来た。2年生の時だったと思う。 よく見ると、娘の
英国バイリンガル子育て奮闘記(54) 仮装で登校(1996年頃)
【大紀元日本9月27日】小学校では、何の予告もなく、「あした、XXの格好してきなさいって」と娘の口から言われ、「何?」と家の中を見回すことがしばしばあった。読書週間の時は、絵本の主人公になってきなさ
英国バイリンガル子育て奮闘記(53) 時間割のない学校(1996年頃)
【大紀元日本9月20日】いよいよ三年生になった。もう低学年ではない。これで、時間割のある生活が始まるのだろうと、新しい担任の先生に尋ねたら、「いやあ、その時の気分次第でやりたいものを変えるから」との
英国バイリンガル子育て奮闘記(52) 褒められない親 (1996年頃)
【大紀元日本9月13日】イギリスで子育てをして感じたことは、子供を「褒める」ということ。親も先生も、とにかく「褒める」。カフェテリア形式の昼食の際、全校生徒の行動を見ているボランティアのお母さんがい
英国バイリンガル子育て奮闘記(51) 夏祭り (1990年代)
【大紀元日本9月6日】娘が1歳の時から、地元で夏祭りが復活した。6月の夏至の週末に地元の小学校が、それぞれ木枠に紙を貼付けて巨大な人やら動物やらを作ってパレードをする。一日3回にわたり、違う小学校が
英国バイリンガル子育て奮闘記(50) ホームステイの日本人(下) (1990年代)
【大紀元日本8月30日】毎年、高校生が家を訪れてくれるのは、娘のバイリンガルの刺激になったようだ。高校生たちにとっても、日本語で息抜きができ、「家は毎日ジャガイモばっかり」とか、本音を出す場になって
英国バイリンガル子育て奮闘記(49) ホームステイの日本人 (上) (1990年代)
【大紀元日本8月23日】1986年にコーンウォールに移り住んだ頃、地元の新聞に「日本人が来た」という記事が掲載された。なんでも、海外交流を目的としたホームステイの活動が地元にあるらしく、国際的な機関