難しい思春期の子供の教育 どう叱るといい?
三世代同居が一般的だった時代、村は一つの共同体で、親だけでなく祖父母や村の長老までもが責任を持って村の子どもを教育していた。そのような環境の中で、子供たちは共有、思いやり、礼儀、尊重を学び、実践する機会が多くあったが今は
飼い主の仇を討った牛
積善の家には必ず余慶あり、積悪の家には必ず余殃(災い)あるものだ。
母の仇を討った子牛
李乙は仲の良い王甲と市場に行った時、妊娠している牛を見つけ王甲に腹にいる子牛と2匹分で得だといい購入を勧めた。そのとおりにした王甲は確かに得をしたが、それが不幸の始まりとなってしまった
「神を敬い、過ちを改める」張道陵が明示した疫病に克つ方法
西晋(265~316)の葛洪(かつこう)が著した『神仙伝』には、100人あまりの神仙の話が載っています。
肺炎で自暴自棄のいじめられっ子 修煉してポスドクになる(2)
1999年7月20日、中国共産党は法輪功への残虐な迫害を開始しました。24時間テレビで放送されている嘘に文長さんは息を呑んだと言います。法輪功を修煉していた文長さんは
肺炎で自暴自棄のいじめられっ子 修煉してポスドクになる(1)
ある若者は小さい頃、肺炎で自暴自棄になり、その上、学校ではよくいじめに遭っていました。そんな子どもはどう成長したのか、この物語は、80年代に生まれた物理学者である文長博士が、自分自身の実体験を語っています。
古人の知恵「過ちを正せば、運命は変わる」
明(みん)の時代のことです。
今の江蘇省江陰市にあたる場所に、張維彦という人がいました。まだ年は若いですが、文章がよく書けるので地元ではよく知られていました。
第6話:身近な人に対して孝悌であること【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】
人にとって最も重要なことは、まず両親を敬い、兄弟を愛することの道理を理解し、その方法を学ぶことです。次に、日常生活における知識を身につけることも必要不可欠です。ここでの知識とは、数字の変化を理解する力、計算する力、文字や
第4話:礼儀を習うことの重要性とは【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】
天然の美質を持つ玉石も、磨かなければ、役に立つ器物には成り得ません。それは人間も同じで、生まれながらに優れた素質を持っていても、努力して学ばなければ、人としての道理がわからないものです。子供の頃には、良い先生や友達と親しくし、教えやアドバイスを素直に受け入れ、人との接し方、物事への対処の仕方などの礼儀を身につけておくべきです。
「罪深き男」の悔恨と再起
陳忠は、私にとってはまさに知人であり、「友人」といえるほどの関係ではないと思います。なぜならば、私の友人には、彼のような荒れた生活をする人間はいないからです。
第3話:教育者と生徒の務めとは【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】
子供を養うにおいて、生きていく上で必要な物資だけを与え、きちんと躾をしなければ、それは親としての過ちです。また同様に、教師が生徒への教育について、厳しくしなければ、それは教師としての怠りです。
北京の動物園で客同士が殴り合い、園側の虚構声明が話題に「動物もケンカを真似した」
中国・北京野生動物園では7日、来園客同士の殴り合い事件が発生し、園側は「動物たちは人間のマネをしてケンカした」と声明の中で述べた。事件から、中国共産党体制下の中国人の「素質問題」が再び浮き彫りになり、懸念を呼んだ。
孝行の理念と伝説(二)
古文書や民話には、親孝行の例が数え切れないほどあります。
親孝行の人は、常に博愛と正義の心を持っています。
第1話:人間の本質とは【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】
『三字経』は中国で最も有名な儒教の古典の一つであり、宋の時代の偉大な儒教家である王応麟氏が最初に書いたもので、当時は私塾(現在の小学校に相当)の教科書として用いられていました。『三字経』には、儒教の根本から文学、歴史、哲学、天文地理などの内容が凝縮されており、まさに中国伝統文化の縮図のようなものです。そのため、古代の人々は「経」書として崇めていました。
ニッポン子育て発見記3 中国で失われた文化が「日本に残っていた」
《日本の皆さん、こんにちは。私は中国出身で、今は日本で生活しながら3人の子どもを育てている媽媽(マーマ)です。私は日本が大好きです。そんな私が発見した日本文化のすばらしさを、皆さんにお届けします》
養生の術
世の中に病気の原因は数多くありますが、治療法は限られたものしかありません。現代人の病は様々であり、生理的、心理的、あるいは環境から引き起こされたものがあり、本当に多種多様といえます。
ニッポン子育て発見記 2 「お辞儀をする心」
《日本の皆さん、こんにちは。私は中国出身で、今は日本で生活しながら3人の子どもを育てている媽媽(マーマ)です。私は日本が大好きです。そんな私が発見した日本文化のすばらしさを、皆さんにお届けします》
ニッポン子育て発見記 1 「静かにする」教育
《日本の皆さん、こんにちは。私は中国出身で、今は日本で生活しながら3人の子どもを育てている媽媽(マーマ)です。私は日本が大好きです。そんな私が発見した日本文化のすばらしさを、皆さんにお届けします》
医者の道徳
「医学の父」と呼ばれる古代ギリシャの医学家・ヒポクラテス(紀元前377年~460年)が書いた『ヒポクラテスの誓い』は西洋医学史の中でも有名な医者の倫理に関する文章で、『ヒポクラテス全集』に収録されています。米国の医学部生は卒業後、医療の道に進むにあたり、この『ヒポクラテスの誓い』に沿ってどのように道徳理念と人道主義を守るのか、という誓いの言葉を書かなければなりません。
罪をとがめるより更生を励ます
悪行を改めるよう、寛大な心で更生を励ますことは、良知ある人を育てることに繋がる、というお話。1900年も前の物語とされる、「元」泥棒と賢人の典故を紹介します。出典は中国北宋時代に、学者・宋李昉らにより編纂された『太平御覧』の第900巻、兽部十二 牛下から。
本当の宝とは
中国の戦国時代(475–221 B.C.)の頃のお話です。ジン・ホウ(Jing Hou)という高官が魏の国の王子を訪れました。ジン・ホウは、この日のために、特別にしつらえた豪華な服を身に付け、腰には光輝く石が埋め込まれた刀剣を差し、肩には宝石で飾られた首飾りをぶら下げていました。国宝級の装飾品を身に付けた彼は、誇らしげに魏の宮殿に入っていきました。
弟子規(15)
路を歩くときはせかせかとせず、立つ時は姿勢を端正にし、頭を真っ直ぐにして胸を張る。揖の作法をするときは腰を深く屈め、拝する態度は恭しくする。門の敷居を踏まない。身体は斜めに傾斜させない。坐るときは両脚を広げたり、貧乏揺すりをしない。
弟子規(14)
着用する衣服は清潔を重視し、必ずしも煌びやかな華麗なものを身に付ける必要はない。まずは自らの身分を考え、後に家の経済状態と折衷をはかればよい。
日常の飲食では栄養の均衡に気を付け、好き嫌いの偏食をしない。三食は腹八分目とし、暴飲暴食を戒める。年少者は酒を飲んではならない。酔って言語態度が乱れると醜態が百出するからである。
弟子規(13)
魯の哀公が孔子に訊いた。「先生が着用しているものは、儒者(注1)特有の服装ですか?」。
孔子が答えた。「私は幼少の頃より魯國に住んでいて、袖の広い上着を着用しています。後年長じてからは、宋国に住み、宋国人が被っていた黒い帽子を被っています。私が聞いている所では、有徳の君子は学習に励み、その学識を広くするものです。服装は単に俗に入るためのもので、衣冠は適当であればそれでいいのです。私は元より儒者が何か特別な服装をしているとは知りません。」
弟子規(12)
朝は早くから起き、夜は多めに学習に時間を費やしてから就寝するようにする。人の老いるのは早いため、時間を惜しまなくてはならない。
弟子規(11)
年輩者の前では声を抑えて話すが、低調になりすぎて聴きにくくなってもいけない。
弟子規(10)
路上で年輩者に遇ったら、すみやかにその前に進み出て一礼し、何も話がなかったら、その傍らに恭しく立つ。自らが馬上にあって年輩者に遇ったら即刻に馬を下りる。
弟子規(9)
飲食する時、あるいは歩く時も座る時も、年輩(先輩)者が先で、弱年(後輩)者は後になる。年輩者が人を呼んでいるときは、即刻年配者に替って人を呼びに行き、その人が不在の時には自らが手伝う。
弟子規(8)
兄姉は弟妹を可愛がり、弟妹は兄妹を尊敬する。兄妹姉妹が互いに和やかに睦み合えば、孝道は自ずとその中にある。
弟子規(7)
父母が病気に罹ったら、その子女は薬を熱すぎないか嘗めて確認し、日夜看病して病床を離れてはいけない。